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ミニマリストになろうとしたお話について[意識の高さよ雲の上へ]

それは、大学三年生だった十五年近く前の、ある日の出来事であった、意識の高まりが天頂に到達したわたしは、不要なモノを全て捨て去る決意を固めた。ZENの精神曰く、不要なモノへの執着は、人生の浪費であり、必要なモノだけに囲まれた人生こそ、100%稼働する充実した人生なのだという。

生活の中で不要なモノとは、何か?

しかしながら、ただの学生の部屋に、そもそも不要なモノは置いていない。わたしはさらに意識を先鋭化させるべく、ダイエットコーラ1.5Lと、レッドブルを飲み終えた。ついでにエスプレッソも飲んだ気がする。

[明瞭意識、スイッチオン]

遂に、わたしはある真実に気づいた。そう、机の上を這いずり回る、ネズミ マウスと呼ばれる操作端末だ。工学部の学生なので、パソコンに向かう時間はとても長い。そして、なんと、その利用時間の半分程度が、この忌々しいネズミに食われていることに。

人生の本質、キーボード

キーボードとは、人生の本質であり、マウスは薄汚いネズミ、非本質的なうわべだけの人生の象徴である、そのような圧倒的真実を確信したわたしは、速やかに行動を開始した。考えてもいただきたい、キーボードだけをタイプする人生が、いかに高い生産性に満ちているか。その後、十五年の時を経た今でも、意識の高さをウリにするTwitterアカウントは、ショートカットキーをつぶやき続けているのだ。

しかしながら、全てのアプリケーションのショートカットを暗記することは、大変困難であった。そこで、わたしはこちらのタイプのキーボードに目を付けた。

そう、ネズミうわべだけの人生を廃棄する以上、トラックポイントは必須である。この時点でIBMの以下の機種に候補が絞られたといえる。

一つ目の候補は、当時現行品であった、こちらのキーボードだ

マウスを放棄し、キーボードだけで作業を行う、これはその目的にぴったり合致しているように見えるかもしれない。しかしながら、当時のトラックパッドは、望ましくない場所でダブルクリックを強要し、そして画面を勝手に閉じるなどという悪行の数々を重ねていた。犠牲となった、作成中レポートたちのためにも、その選択肢はあり得ない。そして、何よりもサイズ感がミニマムでは無い。そう、パッドが無い人生は、より本質に迫ることができるだろうから。

次の候補がこちらのキーボードだ

先ほどのキーボードから、トラックパッドを取り払い、数字キーを足したモノである。これならば、要件は確かに満たしている。

だが、しかし、わたしは自問した「本当にこのキーボードが真実なのか?」と。このキーボードは、ふわっとしたメンブレンと呼ばれるスイッチのキーで構成されており、そしてその先に得られるものは、真実とはほど遠いふわっとぼやけた人生であろう。

そう、メンブレンのキーは一クリック事に達成感を与えてくれないだろうし、これではノートパソコンを開いてキーを叩いているのと感覚が変わらない。いや、それ以上に劣化している。何事も物事を決定する上で、身体感覚は絶対的に重要である。

そして、さらに次の候補がこちらのキーボードだ

IBM Model M、それは全ての現代キーボードの母であり、プロトタイプである。メカニカルと呼ばれる機械的スイッチ本質的なキーで耐久性が高く、現代のキーボードとほぼ同じキー配列を揃えたこのモデルは、まさにわたしが探し求めている「気高く、重厚な万年筆のような」キーボードであった。

当時でもUnicompというメーカーで、IBMよりこのタイプのキーボードのライセンスを買って生産しているようであった。(注:今でもこの会社は存続している模様 https://www.pckeyboard.com/page/SFNT

しかし、である、キーボードが白いのだ。これは、わたしにとって絶対に譲れない一点であった。黒いノートPCを持ち、黒い外部モニターがあるにもかかわらず、白いキーボードが机に鎮座する!これはオセロのようにすぐに本質が反転してしまうことを意味する。意識をどこまでも高めるためには、パソコン周りは黒一色で整えることは不可欠だ。

しかし、IBMの古いキーボードのトラックポイント付きでも、白いモノばかりが観測された。今ほど情報がそろっていなかった当時、わたしは力尽きたかに思えた。

遂に発見、黒色のModel M

IBM Type M13 Track point Keyboard

しかし、遂に、eBayでこのキーボードを発見したのだ。黒い、トラックポイント付き、メカニカルキーボードの、Model Mである。

13H6705/13H6710という型番で、どうやら1997年頃に製造されたようだ。Windows 98が出たあたりだろうか。青い画面、覚えていますか?宿題のWordが何事も無くぱっと消えた思い出の、あの時代だ。

そしてマウス時間搾取装置をゴミ箱へ

わたしは記念すべき瞬間を手にした、忌々しいマウスは、完全かつ最終的に机の上から除去された。真ん中のスクロールキーの代替ボタンが存在しないことは些末な事であったし、何よりも、本質に迫る人生以上の価値は無い。

このキーボード、すなわち人生の本質を手にしていた時、同級生たちはインターンなどを経て内定を得ていたという。だが、今となってはそれも思い出の一コマに過ぎない。人生の本質と内定、どちらが重要であるかは、明らかだったのだから。

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