見知った世界以外の半分、イラン旅行記
イラン・イスラム共和国、それは恐ろしく、遠い国だ。いつか、また行ければ良いかと思っていたが、コロナで出張も旅行も遠のいた今、わたしには行きたい場所が残されている。
2013年、わたしはシーラーズの空港に降り立った。とても遠い文化をこの目で見たいと思い立って3ヶ月、独学でペルシア語を学び、日常会話はできると勝手に想像し、そしてやってきた。時期は彼らの正月(ノウルーズ)で、せっかく事前に取ろうとしたビザも、大使館が閉まってしまい、申請料を無駄にするだけで終わってしまったことは、もはや余興に過ぎない。
ドバイの空港で係員に「米ドル持って行けよ、カードは使えないよ」と言われたとおり、はらまき財布に5000ドルを詰め、ラウンジのビールを名残惜しむべく4杯飲み込み、そしてアルコールの存在しない国に降り立った。吸い込まれそうに青い空、見渡す限りの砂漠、やたら愛想の良い左右の席に座る乗客が、旅の始まりを告げていた。
ペルシア絨毯と、その本当の値段
5000ドルを持って行った理由、それは、ペルシア絨毯を買うためだ。二度と訪れることができないかもしれない国で、欲しい物を買いそびれるほど心残りになることはない。ちなみに現地価格でも大きなモノはそれなりの値段がしており、実用品のウール素材(こちらはそこまで高くない、400−1500USD程度)と、シルク素材の高級品が存在し、後者はかなり高価であった。(3000−10000USD程度)
もちろん、その技巧と、絵の繊細さで、そのレンジを大きく上回るモノもあったはずだ。是非機会があれば、皆さんもご覧いただきたい。当時と比較し、価格が上がっているか下がっているかは、分からないが、絨毯屋が米ドルで受け取りたがることは変わっていないだろう。
独学で学んだペルシア語は通じたのか?
はじめは、ほとんど通じなかった、どうも単語のイントネーションに問題があると気づいた私は、教科書とノートを見せて現地の方に読んでもらい、イントネーションを調整することで、価格交渉、挨拶、タクシーでの場所の指定など、数日で、かろうじて通じるようになった。ガイドとホテルの人以外、基本英語は通じないので、たとえ恐ろしくレベルが低くとも、ペルシア語は旅を楽しむ不可欠な要素だ。
とても嫌われているアレクサンダーと、世界史の教科書を歩く
注:誇り高きイランの人々は、アレクサンダーが大っ嫌いである。かつて学校で学んだ、世界史教科書のアレクサンダー大活躍のページに思いを馳せるようなことを、ガイドを含め決して地元民に言ってはならない。あなたは、あくまでも邪悪な大王に破壊された、偉大なペルシア文化を学びに来たのだ。
かつての大王が、馬で駆け巡ったであろう砂漠を、おんぼろの長距離バスで走り抜ける。その先にあるのは、イスファハーンだ。どこまでも続く赤い砂漠、コントラストの強い青い空と、映画の一シーンを眺めるかのような、強烈な夕焼け。日が暮れて日付が変わっても、何故かやっているレストランでのトイレ休憩。そして、煌々と照らされる過剰なまでのハイウェイの電灯。
イスファハーン、世界の半分
かつて栄華を極めた古都、イスファハーン。「世界の半分がここにある」とうたわれた通りの、丸い屋根と、青色のモザイク、四角い広場にひしめく、多種多様な商店。
ウイスキーは、どうやら手に入ると聞いたが、信用出来ない一見さんには買えないモノの用だった。ただ、世界が綺麗な半分だけでできているわけでは無いように、もう半分の世界の産物、酒も、今なおこの国で消費されているようだった。ちなみに、シラーズ市は、かつてワイン用のブドウの名産地であった。この地から外国に、移植されたブドウで作られるワインを、シラーズワインと呼ぶことはご存じだろうか。
聖人の廟は、ピカピカである。このあたりの感覚がつかみづらいところであるが、なにやら紙幣を投げ入れ祈ると良いことがありそうだ。その感覚は非常に理解できる。賽銭を投げ入れ、ここで祭られているすごい人に手を合わせると、ピカピカな廟もありがたく見えてくる。
そして、何百年、何千年の時を経た、土作りの家の通りを歩く。どの町にも、タマネギ屋根の中心があり、四角い広場と、その周辺のバザールが賑わう。
バザールでの買い物について、2022年現在、どうなっているかは分からないが、現地人の金額のやりとりを落ち着いて聞きかじってから、わたしが同様にたずねても、意外にもふっかけられることは無かった。基本的に価格交渉のスタートラインは決まっているようなのだ。
挨拶と金額と場所の聞き方しか知らない、わたしのような外国人に、イランの方々は非常に親切である。とにかく話掛けてくる上に、それで金を取ろうとしていないので、無碍に断ることもまた、失礼だ。会話の果てに、私は小学生の少年からタンポポの種を貰った。塩味が効いていた。
行くことで気づいた、彼らの文化
これが、イラン南部の文化なのか、中東全域の文化なのかは、私の知識では答えようもないが、彼らは決して単独で出歩かない。基本的な行動単位は、家族または友人たちであり、一人で出歩いている人はまず仕事中とみて過言ではない。
武勇と恐怖で名高い、革命防衛隊や、その他の軍人・保安職員も、特に目にすることは無かった。どこかで観光客をみていたのかもしれないが。
基本的に、話をするのが大好きな人々であり、片言でミニマムな挨拶ができれば、どこまでも話し込まれる。
残った米ドルで絨毯を買い、帰国
だが、旅の参考書Lonely Planetでは、テヘランの絨毯博物館と、絨毯バザールを観ることが勧められていた。私はテヘランをスキップしてしまったが、やはり今となっては心残り極まりない。
ドバイに到着した私は、1Lジョッキになみなみとビールをついで貰い、一気に飲み干した。一杯4000円ぐらい取られた気がするが、店では酒は売っていないのでやむを得ない。超近代的な都市から眺める夜景は、とても美しかったが、ここへは、いつの日か、家族をつれて旅行へいこう。わたしは、日帰りで良いので、テヘランに飛び、絨毯博物館と絨毯バザールを、一度この目に入れてみたい。
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