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探訪録6:日本最古の農業用水路を辿る「裂田の溝」

 こんにちは、ツキです。今回は福岡県那珂川市にある「裂田の溝」についてご紹介したいと思います。

裂田の溝とは

 それでは、まずは「裂田の溝」とはなにかご紹介します。
 ざっくりいうと福岡県那珂川市に流れている農業用水路のことです。那珂川から取水し、那珂川に合流する用水路となっています。
 ですが、ただの用水路ではありません。疎水百選という日本の農業を支えてきた代表的な用水路の1つであり、日本書紀にも載っている日本最古の農業用水路でもあります。また、近年では「古代日本の「西の都」〜東アジアとの交流拠点〜」の構成文化財の1つに追加されたようです。

歴史

 日本書紀には神功皇后三韓征伐の前に、この地にある現人神社の神田を灌漑するために造ったという記述があるそうです。しかし、周辺の遺跡の状況からそれ以前の弥生時代に造られたという説もあがっているようです。
 神功皇后が関わっていたということもあり、神功皇后関連のスポットも複数存在します。

名前の由来

 名前の由来は、この溝を掘っていると「時迩驚岡(とどろきのおか)」(現:安徳台)の辺りで大きな岩に突き当たって進めなくなった時、武内宿禰を呼んで天に祈りを捧げると雷が落ちて大岩が裂けて進めるようになったという。そのことから「裂田の溝」と呼ばれるようになったそうです。
 現在、その大岩の場所には裂田神社という神社があり、岩も現存しているようです。こちらは後でご紹介します。

 それでは、この「裂田の溝」を構成するスポットを紹介していこうと思います。

一の井手

一の井手

 まずはここ、裂田の溝の始まりの「一の井手」です。
 那珂川から水を引くための取水口で、地元では「唐戸」と呼ばれているそうです。
 江戸時代の「筑前国風土記」という書物には「筑前国最大の井手」と記されているといわれています。
 度々水害により決壊したそうで、改築工事なども繰り返しされ、昭和62年に現在の造りになったようです。

由来(画像左)、改築記念碑(画像中央)、胸像(画像右)
一の井手跡と記された石碑
改築記念碑(伏見宮)
改修記念碑(裂田溝公園)


 また、この地点と付近のスポットには一の井手の記念碑などがあったりします。
 この地点からしばらくは、田舎の用水路という感じがして好きです。結構綺麗でもあります。

一の井手近くの裂田の溝Ⅰ
一の井手近くの裂田の溝Ⅱ
一の井手近くの裂田の溝Ⅲ
ここら辺が特に用水路って感じがする
家のそばを流れる裂田の溝

裂田溝公園

公園入口
公園名の石碑と広い駐車場

 さて、一の井手から裂田の溝を辿っていくと少し大きめの公園が出てきます。それがこちら「裂田の溝公園」です。

多目的広場
球技広場
東屋のある憩いの広場

 この公園は広い広場を中心に、球技用の広場や遊具エリア、東屋もあるので子供たちの遊び場としてかなりしっかり造られています。その他にも、ジョギングコース、広い駐車場にトイレや自動販売機などもあるため、軽い運動や休憩などで大人の方もよく利用されています。 

真横を通る裂田の溝

 また、この公園は真横を裂田の溝が通っていたり、裂田の溝関連の他のスポッ卜にも近いという特徴があります。なので、散策の休憩や近くの駐車場のないスポットに行く際に使われることも多そうですね。(長時間の駐車は迷惑になる可能性が高いのでご注意ください。) 
 ちなみにここに限った話ではありませんが、山田エリアの裂田の溝はところどころに水遊びできるようなところがあったり、時期によってはライトアップされたりするため色々楽しめるエリアになっています。

一の井手公園

公園名の石碑と降りられる場所

 裂田溝公園から少し進んだところにある小さな公園です。

公園 東屋付近

 東屋と水路に降りる場所のみで規模はかなり小さいですが、この後紹介する石が一番の特徴となっています。

神功皇后御立石

石と説明看板
石は囲いがされている。

 神のお告げにより、朝鮮半島に遠征しようと考えた神功皇后は神田を造るため、この用水路を引くための工事を開始しました。ある程度工事が進んだところで神功皇后はこの石の上に立ち、「無事に水を通させたまえ」と神に祈られたそうです。その後、工事は無事に進み裂田の溝は完成したそうです。
 そう、神功皇后が立ったとされる石なのです。うん、まあ以上です。

裂田神社

遠景
鎮守の杜が確かな存在感を出している

 それでは、お次はこちら。裂田の溝を語る上で外せないスポット「裂田神社」です。
 田園地帯の端、木々が繁っているこの神社は遠目で見てもすぐ気づくことでしょう。神社の周りは、裂田の溝になっており綺麗な小川のようになっています。

神社正面

 境内は比較的小さめで、見て回ることくらいなら結構すぐできると思います。特徴的なのはなんと言っても注連石と社殿の間、狛犬の前にある竹の門でしょう。綺麗にされ、「さくた神社」や「裂田のウナデ」と書かれていたりと、地元の人に親しまれているのがよく分かります。

竹の門と社殿

祭神

 この神社の祭神は神功皇后です。裂田の溝が完成したのを記念して、神功皇后を祀ったとされています。
 創建年は分からないので当時なのか後年なのかは分かりませんが、この土地の農業を支えた用水路を造ったという偉業ゆえ祀られるのも至極当然な気もしますね。
 そういえば、神功皇后は全国の八幡宮住吉大社でも祭神としてよく祀られていますが、単体で祀られているのはわりと珍しいのではないでしょうか?

大岩

神社裏手の大岩と思われる場所

 この神社を語る上でもう1つ大事なものがこの岩です。
 裂田の溝の名前の由来のところで前述した通り、この神社には割れた大岩と思われる花崗岩の硬い岩盤が見つかっているそうです。
 神社の裏手に見える岩のようなものがおそらくこの大岩かと思われます。あまりしっかりは見えませんでしたが、何かあったということはしっかり分かるような雰囲気がありました。

神社を囲む裂田の溝Ⅰ
神社を囲む裂田の溝Ⅱ
神社を囲む裂田の溝Ⅲ

カワセミ公園

公園名の石碑と公園風景

 さて、ゆったりと裂田の溝を楽しむのならこの公園は外せないスポットです。
 安徳台の周りを流れる裂田の溝沿いにあるこの公園。5台くらい駐めれる駐車場に自動販売機、トイレに東屋と小さいながらも最低限の施設が揃っています。

遊歩道

公園側遊歩道

 特徴的なのは、この公園と裂田神社の間にある遊歩道です。安徳台の竹林や真横にある裂田の溝を眺めつつ、流れる水の音を聞きながら穏やかに気持ちよく散歩ができます。程よい距離もあるため、地元の方々も結構来られるみたいです。
 説明するより画像の方が分かりやすいので画像で紹介しますね。

公園側から見た裂田の溝と遊歩道
神社側から見た裂田の溝と遊歩道
そばを通る裂田の溝
道中ところどころにある橋
公園側から見た神社そばの裂田の溝
神社側から見た神社そばの裂田の溝

田園、そして住宅地へ

 カワセミ公園より先はスポットと呼べるような場所はなくなり、田畑や住宅街そばの用水路へとなっていきます。
 また、ここらへんから色々分岐するようにもなります。今回はそのうちの一つを辿っていこうと思います。
 こちらも画像メインでご紹介しますね。

カワセミ公園近くの分岐点
散策コース「現人神社方面」に繋がる分岐点
田んぼそばの道
ところどころ、このように田んぼに繋がっている
ここ付近は緑に囲まれている。
少し広い部分
この辺りから細くなり始め、水が減り始める。
住宅街の用水路になった裂田の溝は、
ところどころ水が枯れている。
大通りから見た住宅街の裂田の溝
那珂川との合流地点(内側)
那珂川との合流地点(外側)

 最後に

裂田の溝の創り出す綺麗な田園風景

 さて、今回は神功皇后ゆかりの農業用水路「裂田の溝」でした。
 那珂川市を代表するスポットということもあり、隠れスポットではないかもしれませんが、是非とも知って欲しいと思い紹介しました。
 自然好きにも、歴史好きにもオススメのスポットなので、那珂川市を訪れることがあれば行ってみてはいかがでしょうか?散策ルートもあり、歴史や詳細を知れる案内板も所々にありますのでしっかりと楽しめると思います。

 この度は当記事をご覧いただきありがとうございました。よろしければ他の記事も見ていただけると嬉しいです。



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