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命を宿して、生まれる。
すぐには父親になんてなれない。
最近、特に心に響いた内容がこの内容だった。
子供を授かると言うことは、義務教育の中で教えてもらうよりもはるかに「授かりもの」だということを周りや自分自身が結婚や妊娠をすると、聞いたり、自分自身を通して感じたりする。
だからこそ、授かることができると授かれたことに対しての喜びと親になることに対する不安を感じる。
ただ、この時点で、男性は「妊娠」という事象には向き合えていないと思う。
「妊娠」と「父親」はセットのようで、セットでない。
子供が出来たから、すぐに自分自身が「父親」という役割だと認識することは簡単ではないと思う。
「母親」というものには、つわりや出産、大きくなるお腹、胎動など、自分自身で体感することで認識していく。
では、「父親」はどうなのだろうか。
つわりがなければ、出産もない、お腹も大きくならないし、自分の体内からの胎動を感じるなんて不可能だ。
彼らは「妊娠」を経験することはないのだ。
正しくは、妻が「妊娠」している環境を経験するだけなのだ。
だからこそ、自分から自発的に「妊娠」を知ろうと考えない限り、自分自身が「父親」になろうとしているという事実を正確に認識できてはいないのではないだろうか。
それはどういうことなのか。
例えば、妻がつわりで辛そうにしていたとして、
辛そうな妻が心配だと感じても、つわりというものを体感できないため辛さがわからないのが現実だ。
また、出産も同じで、妻が痛そうにしていたとして、辛そうな妻が心配だと感じても、出産の痛みを体感できない。
どちらも、妻を心配することはできても、本当の意味で“生命の誕生“を実感しているかはわからない。
こういったことからも、「妊娠」を経験しないことが男性にとって「父親」になろうとしているという事実を認識することは難しいことなのだ。
だからこそ、男性が自発的に向き合えるような機会が必要だと思う。
妊婦健診のエコーを見たり、胎動を感じたり、妻が「妊娠」している環境の中で“自分”という存在により妻のお腹の中に命を宿し、“生きている”事実を体験、認識していかなければ「父親」というものにはなれないからだ。
出産し、子供を抱き上げれば「父親」になれるのだろうか。
妻の「妊娠」を通して、“生命の誕生”が自分達によって誕生したことを自覚するところから「父親」が始まるのかもしれない。
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