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自己紹介

そういえば、私がどんな経歴を持っているのか。どんなスキルを持っているのかを説明してなかったな。と、ふと思いましたので自己紹介してみたいと思います。ふむふむ程度で読んでいただけると光栄です。

<私の経歴>
少年時代・・・夢は教育者
18歳・・・入社(プログラマー)
20歳・・・フリーター(主に飲食でバイト)
23歳・・・入社(プログラマー)
25歳・・・医事システム、販売・導入・サポート所属
27歳・・・介護システム、サポート所属
29歳・・・介護システム、営業担当
現在(38歳)・・・営業課長
主に、ITの仕事がメインでここまで来た感じですね。

【少年時代】
ずっと、なりたい職業として”教員”を夢見ていました。理由は、小学校の先生との出会いです。高校までの学生時代を振り返っても良い先生だったと鮮明に覚えており、こんな先生になってみたい。と思ったことがきっかけでした。

【高卒での入社】
これは、私の人生を分岐するといっても過言ではないターニングポイントでした。今でもそうですが、教員になるためには大学に行くことが必須です。しかし、高校卒業時には、家庭の事情もあり”就職”しか選択肢がなかった私は、いくつか就職先候補の選択肢から”IT会社”を選択しました。

理由は2つ、①60歳超えても身体を使った仕事ができるのか?という遥か先の自分の姿を想像したこと。②これからの時代はITスキルが必ず必要になる。国語や数学ではなくITを教えるという教育分野が必ず到来するのではないか?高卒でも教員になれるのではないか。。。と当時、ものすごく真剣に考えたことがあります。その考えを信じて”IT会社”を選択しました。(誰にも話したことがないことをまさか、ここで書くとは思いませんでした。)

【第一次、プログラマー時代】
18歳~20歳までの約2年間は、死ぬほど働きました。文字通り死ぬほどです。朝から夜中まで日曜日以外ほぼ毎日プログラムを書いたり、リリース予定のプログラムのテストを行いバグ潰しやデバッグをやる日々でした。徹夜もありました。(COBOL、VB等のスキルが身につきました)ですがそもそも、私は自前のPCを持っていませんでした。入社して初めて支給されたPCでコーディングをするときは、右手の人差し指左手の人指し指を使って高速にキーボードを叩いていました。

北斗の拳のケンシロウみたい・・・つ( ゚Д゚)つ ホワターーー!

やがて、使える指はどんどん増えていき今では、タイピングは問題ありません。キーボードよ、あなたは最大の強敵(とも)だった。( ゚Д゚) 昇天

当時は、人より仕事が遅かったので時間を使って努力することしか考えていませんでした。(根性だけはあった)

ただ、不規則な生活は体調にも影響が出てしまいヘルペスが画面半分まで覆われた時は、医者から「胃がそうとうあれて起きている現象。仕事おさえなさい」と言われて仕事をセーブすることになります。ある程度月日が経過した後に、IT会社を退社すること決意します。

教育者になりたい。と考え大学受験を目指し始めました。

【第一次、フリーター時代】
仕事を辞めてから、大学受験を決意しますが「辞めたはいいが、受験自体が分からない」ということが発覚します。願書提出や、いつ試験なのか、何を勉強したらいいのか。何も知らず考えず辞めたので、今もし戻れたら当時の自分に「ちゃんと準備してから辞めろ!!」ってぶん殴りたい。

そんなこともあり見事に失敗。。。

よし!何事も経験だった。と切り替えてフリーターを満喫します。

しかしながら、このフリーター時代が今の自身の考えを大きく生成したと言っても過言ではないくらい重要な時代でした。

高田屋という、そば居酒屋で働いていたのですが、なんとこの店舗が全国の店舗の中で過去に最優秀賞を2度も勝ち取った有名な店舗でした。(居酒屋甲子園のような大会があるのです。)契約としてはバイトで働いていたのですが、もうバイトみんなが正社員並みに働くし、チームワーク重視なので仕事のミスを責めるのではなく、次起きないようにどうするかみんなで話し実行していました。ここで学んだことは、チーム一体となって仕事して、気持ちよくお酒を飲んで楽しんでもらう。飲食の基本となる部分を学びました。

【第二次、フリーター時代】
そんな、楽しかった居酒屋ですが次の接客のステップとしてバーテンダーになりたいと考え、福岡の天神のバーで働くことにしました。居酒屋が”集”としたら、バーは、”個”ですね。マスターの人柄に沢山のお客様が来店されました。

ここでは、サービスが良いだけではなく”人柄”という個性も大事なんだと学びました。マスターはお客様の中に、自分の話をしたい人は、うんうん。と頷き。話しかけてほしそうな人には、何気ない会話から悩みを聞いて、後押ししてあげたり。本当に個人と個人のやりとりを学びました。

【第二次、プログラマー時代】
バーテンダーは、続けたかった反面、将来の仕事としてやっていける自信がなく、断念しました。そして、仕事としてもう一度、プログラマーをやることにしました。

今の会社への入社です。

緊張しましたが、過去に2年間やった経験を説明し、採用となりました。
また、新たなプログラマー人生のスタートです。

この時、私はスタートと同時にプログラマー人生のピリオドに向かっているとは夢にも思いませんでした。

受託開発という仕事に就いた私は、プログラマーが不足している会社へ”応援”のような形で様々なプログラミングをやっていくことになります。一つ、二つと人材が不足している会社へ派遣されプログラミングを行っていました。

そして、自身のプログラマー人生にピリオドを打つ仕事が舞い込んできました。それは、県税システムです。

いち、会社内のシステムを構築というレベルではなく自治体のシステムをやることになりました。様々な会社と協力してプロジェクトを進めていくのですが、自身の能力の低さ。何もできない無力感に打ちのめされます。(人生で何度か、泣いたことありますがここでの不甲斐なさで泣いたことは忘れもしないです。)このプロジェクトが終わった後、私は、プログラマーと名乗ることが怖くなります。

【医事システムの担当】
会社の中では他にも部署があり、その部署で人が辞めることが決まりました。その引継ぎとして医事システムの販売・導入・サポートを任されることになります。良かった。プログラマーはもうこりごりだ。
と、思い新しい仕事に向かっていくことにワクワク感がありました。

そして、それは束の間の喜びでした。

引継ぎという引継ぎもままならないまま前任者が辞めてしまいました。ただ、既存ユーザーのメンテということは、そこまで難しく無かったのです。が、なんと新規開業のクリニックを受注してしまいました。(紹介で)

医事システムの導入には、ネットワークやPC、配線等幅広い知識と経験が必要だと自覚することになります。開業場所のまだ何もない空間で先生や様々な業者と打合せすることになり、先生や業者から色んな意見を求められれ答えなければなりませんでした。

うっそ。聞いてないよ( ゚Д゚)
この( ゚Д゚)です。ほんとに。。。

そう、18歳のころを思い出し。また根性を出して学びなおしました。
何とか、問題を起こしながらも導入が完了しました。(問題は起こす)

この仕事をする上で、医療に関する制度、医療知識、システム、ネットワーク、PC、LINUX等のスキルを一気に習得することになります。
きつかった分、身につけたスキルは大いに今後も役立っていきます。

【介護システム、サポート】
自社で介護システムを開発しているためサポートの人員として医療と介護を掛け持ちすることになりました。先輩達に介護保険制度、自社システム、現場の業務について教育してもらい、医療と介護の両方をサポートできる人材へと成長しました。

ゲームキャラで言うと剣と魔法が使えるようなキャラですね。( ゚Д゚)ドヤ

【営業マンとして生まれ変わる】
会社陣営「自社システムの営業として頑張って欲しい」私 ⇒ ( ゚Д゚)は?
青天の霹靂のような想像もしていなかった仕事を任されることになりました。そう、”営業マンとして生まれ変わる瞬間です”

いやいや、営業?あのノルマとか、頭下げてヘコヘコしたり、クレーム受けて大変なイメージの営業!?うっそだろ!?( ゚Д゚)ちょ、ホンマかいな。
と、当時の私は夢にも思わなかった仕事を始めることになります。
(もう一度言います。少年時代の夢は、”教育者”だった男です)

これが、みなさんが想像するように”めちゃくちゃ大変だった”のです。

なぜなら営業という仕事は、学校でも教えてくれない。会社でやり方が違う。テレアポって何?状態。いざプレゼンすると、言葉が詰まって頭真っ白。何度男泣きしたか数えきれないですね。本当に精神的に苦しいことがありました。

このトンネルは、いつ出れるのか

すると、自身のテレアポから契約まで初めて獲得できました。この時の気持ちは、今でも忘れません。感無量という言葉そのままです。気づいたら自分から頭を下げて、どうぞよろしくお願い致します。と自然に言葉が出ました。相手への敬意もありますが、自分の頑張りに対しても頭を下げていました。(ああ、トンネルを抜けれた。。。)

【三流営業マンからの脱却】
トンネルを抜けてからというもの、少し自信がつき営業も楽しいと思えるようになりました。契約もそこそこ増えていきます。

しかし、契約が伸びなくなりました。そう、スランプです。
なぜだ、自分はしっかり説明しているつもりだし、製品も悪くないはず。
なぜ契約してもらえないのか。。。自分の何が悪い?なぜ?

これが、長いことまた私を苦しめます。

ずっと考えても自分では、分からない。そうだ!!そもそも他の人はどうやっているんだろう?知ろうともしてなかったな。参考にしてみよう!

そこから”本” ”youtube" "他社の営業に聞く"等をひたすら何が原因なのか。を突き止めるまで行動してみました。

すると、意外な答えにたどり着きました。”一方的な営業”を無意識にやっていたことです。会社からここがアピールポイントだから、お客様にもそう伝えて欲しい。「了解しました!」と意気込んで説明していたのです。

ん?それのどこが悪いの?会社から言われたことを伝えているから変でもないような。。。っと、そう思う方もいらっしゃると思います。私もそう思っていました。

ですが、伝えたから買ってもらえる
訳ではないという真理にたどり着きます。

そう、相手の考えをくみとりながら説明していなかったのです。具体的には、相手が理解できるタイミングで説明せずに、自分が伝えたいタイミングで説明していた。というようなことが、振り返ると多々ありました。

逆に言うと、競合他社の営業が契約しているということは、私が出来ていないことを当然のように説明できており、お客様の理解を得ていた。ということになります。

これに、気づいてからというもの自身の営業方法を全て見直し改善することを最優先として勉強と行動に移しました。

【他社からも認めてもらえる存在へ】
こうして、原因を突き止め改善したことでお客様の理解を一緒に共感できるようになり、契約率が大幅に上がりました。(会社からの年間目標も達成できるようになりました。)

苦しかった、けどやっとこの域に達することが出来た!

他社の営業マンからも、認めていただけるようなお声をいただけるようになりました。(社交辞令かもしれないですが。。。)

【営業という仕事を教えよう。と考えた原点】
こうして現在に至るというのが自己紹介になりますが、いかがだったでしょうか。営業という仕事をされたことがある人は、”苦しい時期”というのを経験したと思います。

それは、社会に出る前に”誰も営業という仕事を教えてくれなかった”が要因でもあると思います。

教育というのは”教育側に余裕があること” ”教育側は内容に専念できること”この2つがあって初めて受ける側が、分からない、理解できていない。ということに対して教育側は、手を差し伸べれると思います。

ですが、会社の先輩や上司というのは、新人よりも責任や数字が大きく、余裕等無いに等しいわけです。やがて、「こんなことも分からないのか」「営業向いてないよ」という辛辣な声も出てきてしまう。言った人が悪いのか、それとも環境が悪いのか。私は後者だと思っています。(誰も言いたくて言っているとは思えない。余裕の無さが原因。)

ですから、学生のみなさんには営業という仕事の業務を学んで欲しいと思います。社会の仲間入りした際に、絶対に役に立ちます。

将来、独立したい!キャリアアップして重要なポジションで仕事したい!
美容師や飲食店を経営したい!

このすべてにおいて営業のノウハウが必須となります。

ぜひ、私の記事の営業ノウハウを一読いただき、参考にしていただければ幸いです。

【最後に自己分析したスキルについて】
・プログラミングちょっとできる。(コードを読むぐらいは問題ない)
・データベースについて理解できている。(ORACLEなど)
・ネットワーク知識と構築もできる。(VPNも多少はできる)
・医療業務について理解できている。(運用フローぐらいは分かる)
・電子カルテについて理解できている。(ガイドラインも多少は)
・医療保険制度も理解できている。(クリニック限定、病院は怪しい)
・介護業務について理解できている。(むちゃくちゃ自信ある)
・介護システムについて理解できている。(誰にも負けへんで)
・介護保険制度も理解できている。(予測できるレベル)
・当然、営業スキル(教育者になりたい!!)

書き出したら止まらなかった。ふむふむ程度で読み始めた方には大変申し訳ないです。ここまで読んでいただき感謝申し上げます。

以上です。












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