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読書日記|0828-0903


0828 晴れ

すぐに深刻ぶっちゃって、どうかしてると思うけど、太陽の光にあたれないこと、布団の外にでられないこと、掃除も料理もできないこと、という事実は、思いのほか私を深刻にさせて、エアコンの冷たい風を浴びながらくしゃみばかりしていた。思えば一年前の夏もそうだった。だからといってずっと冬を過ごしているわけでもなく、それなりに夏の暑さにやられて、ぼんやりとしているわけで、すべて夏のせいだと思えば、秋はやってくるのでだろうか。そのとき私は笑みを浮かべているのだろうか。みえない日のことをおもって、不安になって、エアコンの風は冷たいのに、汗ばかりかいている。




0829 晴れ

あたりまえのように続いていく日々にいつまでも慣れなくて、すこしの困惑とともに一日がはじまって、またはじまったと目を開ける。動けないから、夫がご飯を作って、布団まで持ってきてくれるのだけど、おなじような毎日のなかで、ちがうご飯がでてくることはこんなにも嬉しいものなのね。きょうはなにかな、と毎朝おもって、いろいろあるけど、この人と結婚してよかったと毎晩おもってる。

又吉直樹の『夜を乗り越える』を読了。本を読む楽しさや嬉しさが詰まっていて、良い気分。まったんの『東京百景』が大好きなので、再読しようかな。

たぶん誰にだって越えられそうにない夜はあって、だけど時間は平等に流れていて、苦しくて、悔しくて、怒っていて、だけど一分一秒しか時は刻まれなくて、だからといって、私の怒りや不安を蔑ろにする必要は一つもなく、無理に笑うこともしなくていいのよね。





0830 曇り

武者小路実篤の『友情』を読了。

ほんとうに良質で、後篇からの往復書簡(大宮は小説といってたけど)は凄かった。若かりし頃、天秤にかけては悩んでいたものが丁寧に描かれていくその過程で、青春時代に思いを馳せては胸を抉られはしたのだけど、それはそれとして、想いも伝えず、ただお話をするだけで、どうして彼女が未来の奥さんになるなんて傲慢なことを考えられるのでしょう。好きなひとが自分を好きになってくれるかなんてわかりやしないのに、大体からして、彼女にも選ぶ権利はあって、だから彼女だってあなたのことを見ていて、欲しい、欲しい、という馬鹿みたいな一方的で残酷な感情(じぶんが御人形のようにされているというか、一方的に搾取される感覚)を押し付けられたからには、やはりどう足掻いたって、それはもうだめだと思うの。というか、あなたは彼女に選んでもらえるほどすてきな御人なのですか。とおもってしまうのは私が大人になってしまったからでしょうか。まぁ、それはそうだとして、残酷なことをするなあとは思ったけれど。全く関係がないのに、遊んでいる最中に急に彼氏を連れてきて、彼氏の膝の上に座ってイチャイチャしてみせたあの子のことを思い出しては腹の中でビンタした。


いつの時代も友情と恋愛は天秤にかけるだけ恐ろしいものよ。





0831 雨のち晴れ

スラムダンクをはじめから読みました。中学生の頃からみっちーが大好きでそれは今も変わらないけれど、大人になればなるほどりょーちんを好きになる不思議。50回以上読んでいるけれど何度読んでも鼻水をだらだらと流して泣いてしまうものなのね。そのまま夜はバスケW杯。ベネズエラ戦。鳥肌が立つほどかっこよく、明後日も勝ってほしいという気持ちがふつふつと。




0901 晴れ

こうしてなにかを後悔したり、あれをしたかった、これがしたかったという現実には起こり得ない未来をおもうことは今日で終わりにしたい。だって優先すべきものがある。わかっている。わかっているのにうだうだと考えてしまうのは、あまりにも空白の時間が多いからなのだとおもう。きっと、そう。


今日ほんとうはレトロ印刷さんへいって、zineを仕上げる予定だった。中身もほとんど完成していて、あとはデザインをどうするか、紙質、製本をどうするかを決めるだけだった。委託する本屋さんも決まっていた。もし私がデザインに凝っていなければ、おそらく販売はできていたのだろう。どうしたって私は美しい本が好ましくおもうから、紙質もこだわりたいし、製本にもこだわりたい。なるだけ美しく、大好きな本屋さんに置いてもらっても堂々としていられるような、そんなzineにしたい。出歩くことができない事情を説明すると、ご迷惑をおかけしてしまった大好きな本屋さんの店主さんは、いつだっていい、出来上がったときに声を掛けてくれたら販売するといってくれて、胸がいっぱいになる。何ヶ月後になるかはわからない、数年後になるかもしれない。だけどいつか必ず憧れの本屋さんで。


夜、『八本脚の蝶』を読みはじめる。彼女からみえる世界、その輪郭の危うさ、それらを言葉にしたときのなんともいえぬ美しさに、寝ようとしていた気持ちが失せていく。引用したい言葉ばかりが並び、どうすればいいかわからない。わからないけれど、毎ページ付箋が貼られていく。今年のベストにもちろんはいるけれども、もはや人生レベルなのではないかという気さえする。まだ読み終えてもいないのに。



0902 晴れ

寝れなくて、それで午前中は眠かった。母に図書館へ予約本を取りに行ってもらう。『ツユクサナツコの一生』『全ての装備を知恵に置き換えること』『母という呪縛、娘という牢獄』の三冊。又吉直樹の『東京百景』を再読のち読了。おもしろくてスイスイ読めちゃう。読めちゃうんだから仕方ない。夜はバスケW杯。カーボベルデ戦。凄かった。ほんとうに凄かった。次はラグビーとバレーボールですね、といいたいところだけど来週末まずサッカーです。ところで私はそろそろ趣味にスポーツ観戦と書いてもいいのではないかとおもう今日この頃。

死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだと信じるようにしている。のどが渇いてる時の方が、水は美味い。忙しい時の方が、休日が嬉しい。苦しい人生の方が、たとえ一瞬だとしても、誰よりも重みのある幸福を感受できると信じている。その瞬間が来るのは明日かもしれないし、死ぬ間際かもしれない。その瞬間を逃さないために生きようと思う。得体のしれない化物に殺されてたまるかと思う。反対に、街角で待ち伏せして、追ってきた化物を『ばぁ』と驚かせてやるのだ。そして化物の背後にまわり、こちょこちょと脇をくすぐってやるのだ。

又吉直樹著『東京百景』



0903 晴れ

益田ミリさんの『ツユクサナツコの一生』を読了。

日々を過ごしているとなにが起きるかわからない。ふとした瞬間、この世から消えてしまうかもしれない。そう思っているときだけ臆病になって、だけどそれは束の間のことで、明日も生きているという根拠の無い自信のもと、隣にいる人におやすみなどといって、このまま永遠の眠りにつくかもしれないというのに、おはようと朝を迎えることが、さも、あたりまえかのように眠りに落ちる。とても呑気で腹立たしい。とても呑気で腹立たしいのに、深刻そうに生きつづけられるはずもなく、あと一時間後の私はきっと呑気に眠りにつくのだろう。


読めない、今は読めない、きっと読めないと、自宅安静になったときにそう思っていたはずで、まぁそれなりに実際に読めなくて、ああ、そういう感じね、と納得していたわけだけど、読んでいても、読んでいなくても、何も変わらないのだから、それなら読んでみようと読んでみたら、なんてことはない、ふつうに読めた。深刻ぶったって読めてしまう。それでいいのよ、きっと。

窓辺で寝転がって本を読むものだから、薄いカーテンの向こう側にいるひとにみられているのではないかとおもって、布団を全身にかぶり、毛布でカモフラージュして、ここに人間はおりませぬ、というように繕っているのだけど、道を通るのは農家さんばかりで私になど気にも止めず、夏野菜の収穫をせっせとされていた。茄子が美味しそう。



それでは、また来週。


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