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読書日記|0710-0716


0710

午後から外が暗くなった。この世の終わりみたいな雨雲が流れ込んできて、突然の大雨と雷、強い風。お客様と「急に降ってきましたね」というような話をしながら過ごす。雨がやんだあと、入道雲があって、夏の空という感じがした。もうすぐ梅雨が明けるのかもしれない。

日々の雑音のスイッチを切れば、まず安らかな静寂がやってくる。そしてつぎに、とても静かに、光のように静かに、意味が戻ってくる。言葉とは、語ることのできる静寂の一部分なのだ。

『灯台守の話』P.151




0711

仕事終わりに甥っ子と餃子を作る。唯一の特技は餃子を包むこと。せっせと150個を包み、食す。美味しかった。最高だった。

わたしたちはここにいて、あそこにいて、ここにいなくて、あそこにいなくて、小さな塵のようにくるくると舞いながら、一人ひとりが宇宙と同等の権利を主張している。かけがえのないもの、無に等しいもの、みずから招いた望まない生にとらわれたもの。そこから抜け出し、一からまたやり直す、なぜ自分たちに過去がついて回るのかわからないまま、過去をどう語ればいいのかわからないまま。

『灯台守の話』p.149






0712

朝読書に阿久津さんの『読書の日記』を読みはじめる。近頃ほんとうにバタバタしていて、というのも、保護猫たちのお世話に朝夜それぞれ二時間くらいかかるので、なかなか自分の時間をとれなかったけど、ひさしぶりに朝読書をするととても気持ちがよかった。午後から外が暗くなる。仕事終わりに図書館へ。『桃を煮るひと』『その少年は語れない』の二冊を借りた。



『灯台守の話』を読了。

孤独と孤独の重なり合い、物静かな灯台の暮らしと、海の香り。ただただ美しく、波に揺られるようにしてたくさんの物語に触れた。


どれだけ苦しいことや悲しいことがあったとしても、そのどれもが物語のひとつとなり、それはただ私だけの、あなただけの、そしてそれらを誰かに物語っていくことで浄化され、あぁそうか、経験しなくてよかったことなんて、この世にはなに一つもないというふうに、そうしてきっと物語には終わりはなく、どこまでも、どこまでも続いていくのね。そうよね、ピュー。あなたのことがだいすきです。

わたしたちは幸運だ、たとえどん底の時でも。ちゃんと夜は明けるのだから。

『灯台守の話』P.251



佑季さん、
素敵な物語をおすすめしてくれてありがとう。






0713

勝気なひとが嫌い。
といっている私も勝気なのだろうか。

夕方、動物病院。保護猫活動仲間から保護した子猫を預かれないかといわれ、すぐに向かう。甘えん坊ゴロゴロマンの三毛猫ちゃんで今日から我が家でお世話をすることに。とても可愛い。ずっとの里親さんを探そうね。それまで仲良くしてね。よろしくね。

さっちゃん(サク)





0714

朝から病院。問題なし。3時間ほど滞在したあとは桃のケーキを買いに、ケーキ屋さんへ。美味しかった。

530円の幸福(桃のカスタードタルト)



すこしずつ読んでいた森茉莉の『幸福はただ私の部屋の中だけに』を読了。幸福も不幸も、そのなにもかもを、だれにも左右されず、自由に生きる姿は優雅で美しく気品に溢れていた。

奇麗な空を眺めなさい、素敵な景色を見つけて散歩しなさい、美しい文章に触れなさい、そしてそれらすべてのことに素直に感動できるこころを持ちなさい

『幸福はただ私の部屋の中だけに』P.88



美しいとおもうこと、それを言葉にすること、それは私だけのものだから、その領域は誰にも奪われやしないし、だからこそ私はそれをきちんと守っていこうね。あなたの美しいはあなただけのものだし、わたしの美しいはわたしだけのものだもの。





0715

涼しくて、窓を開けて眠った。朝起きても涼しかったけれど、昼間は暑くて、嫌になった。お隣の農家さんと、夫が書店にきた。知ってるひとの顔をみると嬉しいもんだなあ。

『灯台守の話』を読むと、『ジーキル博士とハイド氏』を読みたくなるというのはとても自然なようにおもう。それで私も本棚からとりだす。

農家さんから真桑瓜をいただいた。もうすこし熟したら、冷蔵庫でキンキンに冷やして食べる。




0716

窓を開けて寝たけど、暑い。猫たちは床で溶けている。

はやく熟れないかなと毎日眺めていたトマトは黄色の品種で、赤色になるまで待つ必要がなく、食べたらきちんとトマトだった。トマト、茄子、オクラ、大葉、ズッキーニが庭を、いただいた玉葱とお米30キロが玄関を占領している。田舎に越してきて、生きてる実感がずっとある。嬉しい。風も気持ちいい。蝉の声が昨日くらいからし始めた。夏。だって本棚にカブトムシがいる。




『桃を煮るひと』読了。

「焦げちゃった」と「大根の面取り」が好き。潔さと、ユーモアに溢れていて、お〜、くどうれいんだ、という感じ。四年ぶりに味わった。

だれかが「丁寧な暮らし」だと嘲笑するかもしれないが、うるさい。わたしは大根の面取りをしているだけだ。それ以上でも、以下でもない。わたしはわたしの大根を切る。おまえはおまえの大根を切れ。

『桃を煮るひと』P. 102




それでは、また。

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