やりたいことは見つかるのか?

価値観を見つける事ができた。「誇り」「自由」「快感」「好奇心」「シンプル」ライフステージによって変化する事を前提として。

価値を提供しようとした経験から目的へ

価値観に妥協せず、悔いのない人生をおくりたい。そういった「好奇心」や「快感」に基づいた自分の行動がいろんな制約にがんじがらめになっている人々に「自由」「快感」を感じさせ「気を楽にする」という価値を提供できるのかもしれない。と記載した。                   見直すと、医師として働いていた時には価値提供を仕事としてできていたのではないか。退職時、多くの患者さんが惜しみ泣いてくれた。自分にしか治せない人がいる、そういった錯覚を持つこともあった。国家資格に守られて仕事をしていたら当たり前のことかもしれない。自身の価値ではなく国が与えてくれた地位を利用してのことである。著者である八木さんは医師免許なんかなくても自分自身から作り出した大きな価値を提供している。私が提供したものは代替可能な制度上の価値に過ぎない。

目的を持った取り組みの難しさ

青臭く非現実的な事であったとしても夢や目標を持ちそれに向かって純粋に取り組んでいる人、共通の目標(単純な自己利益ではない)の達成に協力する集団を取り上げたドラマや映画、現実においてもプロジェクトチーム、部活、スポーツ選手などの情熱的なシーンに対して一倍心を動かされてしまう。自身もそういった状況に一瞬でも身を置いたことがあったが悪く言えば自己陶酔感、よく言えば充実感を感じていた。             前者の自己陶酔としての解釈を肥大化させると「そんなことやって何になる」「無駄じゃない?」「効率悪くない?」「向いてない」「自分に酔ってない」といった他者や俯瞰した自分の意見が出て高ぶった感情が静まってしまう。水を差される事もあるが確かに単なる自己満足である事も多いのが事実である。趣味であればそれでいいかもしれないが、仕事には繋がりにくい。したい事を仕事するということは社会や人のニーズに掘り起こしたりマッチさせる必要がある。したがって、相応にアレンジしていく必要がある。

本書の限界

仕事の目的に持ってくるところ。ここは1人称ではない。したがって内側から出てくるものを第3者の目でアレンジしてもらう必要がある。現在の日本社会において医師は良くも悪くも「好奇心」「自由」「快感」≒充実感(ここで言えば)を刹那的に求めることができてしまう。それを悪用する人間も多い(洗脳、やりがい搾取、折を見て記事にしたい)。保身に走って思考を制限している自分には近いようで遠い道のりのように感じた。         もっともっと深掘りしていこう。

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