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反応しない練習③

更新が遅れ年も明けてしまった。                   退職の手続きや収入の確保へ奔走したりgotoを利用して大好きな飛行機に乗りまくっていた。これに関しては後にまとめようと思う。

心の状態を理解し、自由を手にする術を知ってもどうしても反応せざるを得ない状況がある。

事実、今の職場を辞めることを決意した理由とも言えよう。

納得できかきかねる上長からの指示、同僚の言動や関係性、経営陣からの圧力、病院理念が自分に合わなくなった。                など、様々な要因があるが、人間関係に集約されるだろう。

例えば、裏方から操作的に他者を攻撃する人。権力を自身の優位性を示すために使う人。自分は全てを理解し、正しいと思い込んでいる人。

この根元は「判断」であると。本書には真実でも有益でもない判断は必要がないと述べている。しかし、相手の判断を変えることはできない。迎撃することも出来なくはないがそれには多大なエネルギーを必要とする反応であり、解決には至らない。

こういったアクションに「自分は優れている」「劣っている」「等しい」など自分自身の価値を判断しないこと。

「正しいこと」とは何なのか。世間体なのか、虚栄心なのか、他者との比較であろうか、そういった判断を繰り返してきた成れの果てが心渇いた今の自分である。「正しい自分」から「素直な自分」へ。

思い起こすと職場はあらゆる反応を引き起こす素材の宝庫であった。しかるべき法的処置をとっても良いくらいの扱いを受けることもあった。よく気付いて反応しない、感覚を意識し、反応の源泉を断つことをこの1年実践した。反応の源泉を断つ、退職という道を選ばざるを得なかった。

この記事を書きながら振り返るだけでも「記憶」に反応して「怒り」という反応を呼び起こしていることがよくわかる。冷静に、されたことに対してしっかり法的な対処を行うのみである。

今年は自分の内面の声を聞き「改善」「集中」「納得」に目を向ける「作務」を実践できるようになりたい。     





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