6月に向けて

こんにちは。昼だね。
久しぶりに記事の更新。
ついつい忙しくなると呟きだけになる。
でも記録を残しているだけ良いね。

5/26は引越しをしました。
新しいピカピカの家に。
大好きな猫と一緒に。
今回の引越しは上手くいった。
とても段取り良くできました。
引越しの準備にとりかかったのは約1ヶ月前から。
徐々にやっていったら無理なく準備できるものなんだね、勉強になりました。
いっつもギリギリになってからやるタイプだったから…

今回は引越しがドタバタじゃなかったおかげて、丁寧にパッキングができました。
microUSB→USBのコードをジップロックにいれてまとめるくらい几帳面に、持っているものを最低限に、また細分化してパッキングしました。
そうすると、なんということでしょう、荷解きがすごく楽でした。
約2日で荷解きが終わった。
分類と整理、断捨離はとても大事なんだなぁ。

今回の引越しの反省点はというと、
・最後に洗濯した洗濯物を旧居に忘れた
・wifiの手配が遅くて低速制限になった
・ガス、電気、水道の手配がギリギリだった(これらは最優先事項)
・家電の手配が遅れた(これも最優先事項)
・ハサミはすぐ出るところに入れるべきだった(なんなら手荷物と一緒で良い)
・収納の量をいまいち把握していなかった
・部屋の寸法を聞いておいてあらかじめ家具のレイアウトを考えておくべきだった
ということかな。
あとは良かった。

そんな感じで引越しは無事終わり、今日は出社してミーティング。
あんまり仕事が進んでいなくて、というか仕事を溜めてしまっていて申し訳ない気持ちもあるけど、ここから巻き返して5月中にためていた仕事を全部終わらせる。
優先順位はついているので優先順位が高いものからやっていく。

引越しをしたことによって、仕事環境生活環境が格段に良くなった。
・静か(隣の家の音が全然聞こえない)
・部屋が北向きで太陽の影響を受けない(時間を気にしないでいい、体内時計を自分の好きなように調整できる)
・心が潤うくらい部屋が綺麗
・声を出すことを躊躇わなくていい
最高の環境になった。

先月、元恋人へ謝りたいことが頭いっぱいに浮かんで仕事に集中できなくなった時に、いつかの年末に彼と泊まったホテルへ感情日記を書きに行った。
結局その日はホテルの快適さにテンションあがっちゃって、感情日記もそこそこに本を読んだりテレビを見たり(うちにテレビは無いので)、歌を歌ったりして楽しい時間を過ごしてしまったけど。
その時に「ホテルみたいな暮らしがしたいな」と思って、それが現実になった。嬉しい。
私が「こうなったらいいな」と思ったことっていつの間にか現実になってるからすごいと思う。
現実になってから「あ、これやりたかったことだ」ってなるの。

2/26から今日までの約3ヶ月で私はお金の管理も家事も仕事もできるようになって、なんなら人のお世話までやけるようになっちゃった。
偉い。偉すぎる…
でもこの数ヶ月は思い返せば辛かったな。
というか去年の11月からずっとどこか胸が苦しかったな。
今も結局家族には何も頼れなくなってしまったし、心を開けなくなってしまったし、何より今は距離を取った方がいい気がしていて、ふと幸せそうな家族を見ると微笑ましくなると同時に少し悲しくなる。
私はいつかこの孤独から抜け出すことができるのだろうか、と。

孤独というのは難しい。
「誰かと一緒にいれば良い」というわけではない。
この数ヶ月間で自己管理ができるようになったのと並行して私は結構几帳面になった。
几帳面というか神経質といってもいいのかもしれない。
自分の中の秩序ができた。
だから外的要因によってその秩序が乱されることを少し苦痛に感じるようになった。
仕事やたまにの人間関係なら人に合わせて柔軟に対応できるが、日々の生活となるとストレスが溜まる。
だから結局は自分の時間が欲しいんだと思う。
たった一人の時間が。
それでも孤独はたまに感じる、よく考えたら孤独を感じる頻度は人より少ないかもしれない。
人とずっと一緒にいることは向いていないし、自分の世界に浸りたいときも、誰にも聞かれないところで歌を歌いたい時もある。
でもたまに感じる孤独感の深さは言いようがないほどのものだ。
普段たくさんある趣味や広い興味関心からの調べ物で注意がそれていて、たまにその関心が自分に帰ってきた時に自己のネガティブな感情に目がいく。
それ以外はネガティブな感情をあまり抱えない、根っからのポジティブシンキングをしているのだと思う。
それにネガティブな感情を抱えてあぁでもないそうでもないとやることが非生産的で自分の将来に良い影響を与えるとは考え難い。
だからネガティブな感情を抱えたらとことん考え抜いて解決策を見つけ数日のうちに解決する。
そうすることで早く自分の望む未来に近づいていけると思っている。

昨日、新卒で入った会社で同僚だった友人とオンラインで話をした。
久しぶりに話せて嬉しかったけれど、私が会社をやめてからはもう散々だったらしい。
非建設的な会議、上司の管理能力不足、人員不足による急な抜擢、会社の未来(業界的にも)もあまり期待できるようなものではない。
やっぱり辞めて正解だった。
私は新卒で入ったその会社を4ヶ月で辞めたが、その当時に思っていた、「この会社では成長できない」と思ったことはやっぱりその通りだった。
業界的にも未来が危ういこともなんとなく勘づいていたし、勤続年数の長い上司の働きぶりや裁量を見て、「数十年働いてもここが天井か」と思ったし、3年目の先輩を見た時に「3年後にこれくらいの成長しかできていないのか」と思ったし、何より会議や行事、あと朝礼とかお茶くみとか新人が先輩の昼食を買いに行くとか、そういう伝統・慣習に無駄が多すぎて馬鹿馬鹿しかった。
教育係がなぜか新人と離れたところで仕事をしているということの意味がわからなかったし、直属の上司も部下の仕事ぶりをほとんど見えないところで仕事をしている。
そんな状況で上司に部下を管理しろ、成長させろという方が酷かもしれない。
上司は部下の悩みを引き出さねばならないから、業務時間外に部下たちを引き連れて食事に連れていく。
食事は業務時間の後で、業界的に終業時間は22:30くらいだったのでその食事(という名の報告会)は深夜まで続く。
そして帰りは上司が車で出発するまで頭を下げてお見送りだ。
古すぎる、なんだこの体制。
どう考えてもおかしいだろ。
上司が悪いのではなく、もう組織の問題だ。
組織の秩序作りが上手くいっていない。
建設的な会議をしてどう組織を良くしていくかを話し合えないから一向に状況が良くならない。
論理的に話し、意見を引き出す力が上司に圧倒的に不足している。
そういう上司向けの教育をした方がいい。
教育業界なのに社員の教育が出来てないなんて恥ずべきことだと思った。
誰が悪いでは無く、内側から意見を言い状況を好転させていく人がいなければきっとこの会社は近いうちに潰れるだろう。
実績達成までの道のりも驚くほど抽象的で具体性にかけていて、だから社員もアクションを取りにくい。
大企業ならなおさら具体的なアクションまで、タスクまで整理する必要があると思う。
まぁ、大企業を動かした経験がないから説得力なんてないけれど。

そんな感じでかつての同僚と話して、早くそんなところ辞めた方がいいと思ったし、彼女はすごく優秀で意思も固く思いやりもあるのでいつか仕事を一緒にしたいと思った。
教育の機会を平等に与えたいという意志の下で彼女は学校を建てたいと言っていた。
彼女の作る学校は絶対に良いものになるだろう、きっと生徒一人一人のことを考えた、「個を活かす」教育のできるものになる。
私もかつて学校を建てたいと思ったことがあった。
自分の好きなことが出来ない今の学校、画一的な教育をされる学校に自分が生きづらさを感じたから。
今はそれよりもっと資本主義のピラミッドの底に追いやられてしまった人たちを私は救いたいと思っているが、それにも教育は大きな影響をもたらす。
だから彼女のこれからに期待したい。
彼女もちょっと前の私と似ていて自己管理ができないので、それを私がサポートしながらまずは自分のことをできるようにしてそれから人を救える人になって欲しい。

それで夢を語りながらそれを現実にしていく過程で待ち構える色んな壁を近くで支え合いながら、今より少し良い社会作りを一緒にしていけたら。

ということで話は色々飛んだが、私は人を守るためにまずは徹底的に自己管理ができるようになりたい。
だから今まで疎かにしていた自分の体調管理や食事の管理を6/1からはしていくことにした。
こんなに沢山の悲しい人を残して、病気になって死ぬことなんてできない。

それに食べ物の栄養バランスとかについて調べることで、それがいつか人の役に立つ時も来るだろうから、自分だけのためではないと思って頑張るつもりだ。

2020年の6/1を境に非の打ち所がないくらい身の回りのことは完璧にこなせるようになりたい。
それで仕事にも熱心に励んで将来たくさんの人を悲しみのどん底から救いたい。

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