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親父よ、大志を抱け。

38歳。子供3人。
15年のサラリーマン生活を抜け、2022年1月11日に起業しました。

Beau&Belle Japan ,Inc.という会社で、天然水に付加価値を与えてブランド化して販売する事業をしています。ただいま社長歴2ヶ月です。

まだ何も成し遂げてないですし、ただただ商品開発と販路開拓にお金が溶けている状態ですが、数年後に成し遂げたいことを成し遂げるために奮闘中です。

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このタイトル「親父よ、大志を抱け。」は、

私が、当時9歳の息子に言われた言葉であり、私の背中を押す一言でした。

このタイトルを見て、思わずこのnoteをクリックされた人は、

もしかしたら現時点の生活に、何かしら不完全燃焼さを感じてたり、もっと輝きたいという野心があったり、志をもってらっしゃる方もいるかもしれません。

そんな読んでくださっている方が、

「へー、そんな挑戦の仕方もあるんだー」

と感じ取ってもらい、ちょっと諦めてたけど挑戦してみよっかな!と思うキッカケになったら嬉しいです。

起業の意思決定

最初に結論をいうと、

意思決定の決定打(最後に背中を押してくれたキッカケ)は、息子からの残酷な言葉でした。

起業を最初に考え出したのは大学生のときでありますが、このタイミングで起業したのは、長いキャリアを通して、自分のスキルに自信もついてきていましたし、それ以上に、素敵な同年代の経営者の仲間たちに囲まれていましたし、起業後に失敗した場合の家族に対するリスクマネジメントも描けましたし、何よりも生涯かけてやりたい!と思うことが見つかったことも大きいです。

ただ、一番の背中を押すキッカケになった言葉はやはり、

当時9歳の車好きの長男からの一言。

「ランボルギーニに乗れるような、社長の子供に生まれれば良かった」

20代で子供3人いたこともあり、会社ではイクメンと呼ばれてました。たしかに趣味に没頭する一方で、家庭では毎日朝ごはん作って掃除洗濯して、結構働き者で、土日は妻抜きで子供らと4人で遊ぶこともしばしば。良いパパな気がします。

そんな一方で、子供はとても残酷。子供からすると純粋な気持ちなのでしょうが、その言葉は、

私の魂を壮絶に駆り立たせる一言でした。

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息子の欲しい車 ランボルギーニ アヴェンタドール

起業したい気持ちが生まれた日

一番最初は大学生のときでした。

ひねくれ者の私は、周りと価値観が合わず、大学4年間で、5人くらいしか友達ができませんでした。

大学卒業したら故郷(広島)に帰り、自動車工場でも開こうと。

ただその前にTOKYO生活の土産話を作ろうと、新宿歌舞伎町に飛び込みました。

約1年、ホストクラブでレギュラー社員(会社員でいうところの正社員)として勤務しました。ひたすら、夜キャッチして、店でお客さんを盛り上げて、朝キャッチして、大学の必須授業だけ行って、家に帰って寝て、夕方起きて、を週6日続けました。

実労働時間計算すると、月380時間(会社員で残業時間として計算すると残業220時間くらい?)働いていました。

それなりの有名店であり、イケメンだらけの中、残念ながらナンバー入り(ベスト5)はできなかった(ホストとしてはショボかった)ですが、代わりに店長代理を最後は勤めさせていただき、経理以外のほぼ全ての経営を店長の右腕としてサポートさせてもらいました。

「店舗経営」「店舗運営」「人材育成」「採用」

この経験をできたことはとても貴重で、こういう才能が自分にはあるのかー!と感じました。

これが経営に興味がでた最初の経験でした。

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こんな感じでした ドンペリ入った時のマイクパフォーマンスが得意でした

起業できない事情

ビジネス感ゼロの私に、いきなり起業する度胸はなく、まずはベンチャーっぽい会社、に入ろう!ということで、就活を決意。

ホストを辞めました。

決意からの束の間、激務から解放された油断があったのか、退職後に付き合った彼女との間に、コウノトリがやってきて、大学4年にパパになりました。

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今の奥さん 今は鬼(上弦のゼロ)

妻のお父さんは、静岡の富士山の近くの土木建築会社の社長。

典型的な怖いパパで、

「どこの馬の骨じゃ!連れてこい!」

となり、説得には時間がかかりましたが、
丸刈りにし、A4ノートぎっしりに事業計画ならぬ、中期的な生計計画を作ってプレゼンし、最後は、義祖父になる会長にプレゼンし、受注に至りました。


お父さん(社長)もおじいさん(会長)も、めちゃロジカルで、殴られるかと思いきや、論理的に詰めてくるスタイルで、経営者って凄いな、と変なところで妻の家族へのリスペクトが生まれたのを覚えてます。


ただ、そこから起業は夢のまた夢、、、確実に遠のきました。

というのも、そこから極貧生活。新卒の給与で妻子を養う生活は地獄でした。お金ってこんなに大事で、こんなに人を狂わせるのかと思いました。

お金がなくて、結婚式の約束守れないかも、と何度も腹を括りました。

そして起業という2文字はいつしか、60歳の夢、みたいな相当先延ばした形となりました。

起業に近づく転機

当時ブラック企業のような激務のソフトバンクも、気づけば本当に良い会社になりました。

ボーダーフォン買収、iPhone販売開始、pepper販売開始、外資系ベンチャーの日本参入など、ありとあらゆる新しいカルチャーのジョインにより、いい意味でグループのカルチャーも変わり、どベンチャー体質から、大企業×外資×ベンチャーのハイブリッドのような会社となりました。

そんな中で私は人事のプロ、とくに採用/人材開発/組織開発については高いレベルで仕事ができるようになっていました。

生活も豊かになり、苦労した20代から解き放たれつつありました。

良い表現をすると安定。悪い表現をすると心地よいお湯に浸かってる気持ちでした。

そんな矢先、人生の転機が訪れました。

アフリカ タンザニア キリマンジャロ 独立峰としては世界1


父の定年退職記念に挑んだキリマンジャロ登頂。


標高6000mに近いこの山で、意識が飛びそうになり、生きてきて最も苦しい状況下で感じたこと。

「もっとやれる。山だけでなく仕事も。」

標高5800m 6時 一番苦しい時に現れた太陽

起業のロールモデル

キリマンジャロではもう一つ、素敵な転機となる出会いがありました。

DeNA 連続起業家 山口さん

偶然同世代が同じ登頂パーティで意気投合。

いままで知らなかった大企業の外の世界を山に登りながら教えてもらいました。

DeNAで学んだこと、卒業後に経験した、ベンチャーのこと、起業家としての道。六本木のオススメ英会話スクール。


少なからず彼のおかげで、大好きだったソフトバンクを卒業する決意ができ、オープンエイトという当時50名弱のバリバリな社長のもとで、人事責任者、という道に進みました。

入社後3ヶ月 人事総力で作り上げた初のMVP制度

起業までのカウントダウン

オープンエイトでの生活は、まさにスタートアップという感じでした。

普通のサラリーマンでいたら絶対お会いできないような方々、店、経験、そして、とてつもない失敗。

出社最終日

そこでの経験は全てにおいてぶっちぎっており、圧倒的な成長速度で3年かけ抜けました。

自分はこの会社のCHROを目指すものだと思ってました。300人、1000人にして、IPOし、グローバル企業となっていく組織を作っていくのだと。

確率ではなく、可能性にかけろ

社長に教わったこの言葉は、私の経営者第一歩の座右の銘で、感謝でしかありません。

起業へのエピソードゼロ

これまで後ろ倒しにしていた起業、という道は、意外にも自分が全てを教え込んだソフトバンク時代の弟子の当然の訃報から始まりました。

最後に彼と1on1した日。怒鳴った言葉。

「人に流されんな!お前がやりたいことやれや!」

彼が亡くなったことを知り、夜な夜な1人でワイン片手に彼のことを思い出しながら、志半ばで亡くなった彼に、堂々と今の自分を伝えられるか?考えました。

起業までの外的/内的要因


エピソードゼロからの、エピソードです。
起業する意思決定までにさまざまな要因がありました。順番を辿ると以下です。


①コーチングの資格を取ろうとしている人事メンバーのコーチングの実験台となる(忘れかけていた起業という選択肢を自らの口でメンバーに語る)

②同世代の経営者の仲間との交流を通じて、ちょっとした嫉妬、を感じる(本能のままやりたいことに全力で生きている)

③数名のCEOからリファラルされる(自分の価値を知る)

④経営者仲間でも特に仲良い奴に「お前は人事として独立は100%できる。起業となると半々かな。」と言われる。(そう言われると反骨精神が生まれる)

⑤息子に「なんでパパはランポルギーニ買えないの?ランポルギーニを買えるのは社長だけなの?じゃあ社長の子供に生まれたかった!」

この5つのプロセスのうち、一つでも欠けたら、「今」起業しなかったと思います。ただ、偶然は必然ですかね。


親愛なる仲間たち 能力はトップオブトップ ただ頭脳は中学生 


起業を決めたその後

起業するネタは、正直何個かはありましたが、確固たるプランはありませんでした。ただ不思議なことに起業を意思決定してから、どんどん色々な話が入り、昔一度恩師と志していた天然水の事業が、最も自分がやりたいことだと思いました。

上弦のゼロの鬼嫁の説得は、何よりも慎重にいきました。

気分を害せば瞬殺されるので、入念に計画を立て、妻の経営者のお父さんに仁義を切り、応援頂き、その上で、しぶしぶ了承してもらいました。

家族から応援されることってやはり大事です。

友達家族にサプライズでお祝いに行ったとき

なんだかんだでこの時期の意思決定は勇気もパワーもいることですが、今は吹っ切れて、あとは全力疾走するだけだなーと思ってます。

ということで、いままでの軌跡を自分備忘録兼ねて書いてみました。

人生何があるか分からない。
明日死んでも後悔しない生き方をする。

LOVE THE LIFE YOU LIVE,LIVE THE LIFE YOU LOVE

最後に天然水の事業に興味ある方、何かしら関われるかも、という方は、ご連絡をお待ちしてます!


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