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大切なことまで「不要不急」にしていませんか?

個人の違和感と、集団の同調圧力について


こんにちは。

2021年が明けて早くも1月の後半を迎えようとしていますね。

緊急事態宣言下、都内では日中の人出が減らない、と問題視されています。
お馴染みの「不要不急」という言葉もまたもや広まり、それに該当する行動は控えるよう言われていますね。

今回、真正面から、私がこの現象に感じた違和感を言葉にしてみたいと思います。


■何でもかんでも「不要不急」な社会

緊急事態宣言の御旗が掲げられると、
どうやら世の中の大半のことが「不要不急」に振り分けられてしまうようです。


田舎の家族に会いに変えることも、不要不急。

施設に入っている老親を見舞うことも、不要不急。

直接会って話した方が良い商談も、不要不急。

仕事を引き継ぐために予定していた出張も、不要不急。


他にもさまざまなことが、「じつは不要不急だった」と言われ始めているこの雰囲気に、
私は大いに違和感を持っています。

仕事柄、私はお客様と、「ものごとの優先順位」のつけ方、それらの取り組み方について
話し合うとき、必ず活用する「4つの象限」つまり、
緊急度と重要度のマトリクス」というフレームワークがあります。

※挿入図参照

図1

「7つの習慣」で有名な、コヴィー博士が提示した考え方がもとになっています。


■で、このマトリクスに当てはめると?

詳しくはここでは説明しませんが、
大まかに言うと、ものごとの優先順位は、「緊急度」と「重要度」の2つの軸によって決めるとわかりやすいのです。

すごくシンプルに紹介しますと、

象限1)緊急かつ重要「集中する」
今すぐやらないといけないし、先延ばししたら大変なことになること。
例:最も成果の出る仕事など
象限2)緊急ではないが重要「コツコツやる」
コツコツやっておかないと、あとあと大きく響いてくること。
例:コツコツ勉強しないと受験に合格できない。部下とのコミュニケーションをおこたり続けて」、結局会社を辞められてしまう。
象限3)緊急だけど重要ではない「さばく」
今すぐ、その場しのぎでいいからやらないといけない義務。
例:顧客トラブル対応。仕方なく呼ばれた会議への出席。
象限4)緊急でも重要でもない「やめる」
かかわっているだけ時間のムダ。やめるか、誰かに任せる。
例:それは本人が決めること(笑)


この4つの象限(マトリクス)に照らし合わせると、
つまり「不要不急」というのは、象限4「やってるだけ時間のムダ」
に分類されてしまうわけです。


■本当にそれはムダだったのか?

「不要不急」はまさに、水戸黄門の印籠のように、
こう言っておけば、誰もが言うこと聞いて行動を控えたくなるような力を持っています。


しかし、もう一度そこで立ち止まって自問してほしいのです。

「やろうとしていたことって、本当に、
それほどムダなことでしかなかったの?」

と。

「不要不急なんだから、自粛に協力しなさい」というのは、
要請という名の強制であり、
ある意味では他人からの価値観の押し付けでもあるのではないでしょうか。
それこそが、同調圧力というものです。

不要不急だけがひとり歩きしていますが、もう少し言葉遊びをしてみれば、

1)必要火急 (上記マトリクスの「象限1」)

2)必要不急 (上記マトリクスの「象限2」)

3)不要火急 (上記マトリクスの「象限3」)

が、とうぜんあって然るべきではないでしょうか?

さらに、上記3つを含めて、
不要不急は、個人の価値で判断されるべきものです。


何でもかんでも不要不急(マトリクスの「第4象限)に振り分けて、
「ムダだ」と切り捨てさせようとすることに、違和感を感じませんか?

言葉遊びであっても、言葉自体が広まれば、それはパワーを持ち始めます。


遠く離れた病気の親に会いに行くことが、本当に「緊急でも重要でもない」のでしょうか?
大切な顧客のフォローをするために会いに行くことが、本当に「緊急でも重要でもない」のでしょうか?
仕事の引継ぎで出張することが、本当に「緊急でも重要でもない」のでしょうか?

むろん、だからといって、人に会うことを強く勧めているわけではありません。

わかりやすい言葉を、よく吟味もせずに使うことで、受け手には想像以上の影響を与える。
ということが申し上げたいのです。


■違和感こそ大切に

台湾のIT大臣、オードリー・タン氏は本の中で、日本の状態を指していわく
日本でダイバーシティが浸透しにくいのは、日本独特の”一枚岩”文化が原因なのでは」と、
痛いところを突いています。

以前私もこのコラムで申し上げたように、

足並みをそろえることは、「見た目」はきれいです。

ところが、
足並みをそろえることによって、もし進む方向が間違っていたら、玉砕にだってなりかねません。

要は、歩を進めるひとりひとりの納得度が大切なのです。

組織のトップが、足並みをそろえることを少しでも社員に強制すれば、
強制された社員は、さらに他の社員にそれを強制します。

そして、足並みをそろえない社員を異端児として扱い、
重要なポストから外したり、陰口を言ったりします。

これが、タン氏のいう「一枚岩の弱さ」つまり、
ダイバーシティが進まない理由ということなのだと思います。


「多様性は大切だ」と誰も判を押したように言います。
しかし、その直後、自分と足並みをそろえない社員を役から外したりしているとか、よく聞く話です。


■組織は「安心感の集合体」へ

すでにコラムでも共有しましたように当社は、組織開発の最上位概念を「ケアループ」と位置付けました。

それは、ひとりひとりが持つ「違和感」を大切にする、ということでもあります。

なぜなら、違和感こそ、人間だから持ち得る感覚だと思うからです。

その違和感を共有できるからこそ、組織は「安心感の集合体」になっていくのです。

ダイバーシティが実現されるための、ようやく踏み出す一歩となるのです。


いまこそ同調圧力を解いて、

ひとりひとりの違和感に耳を傾けてみましょう。

ブレイクスルーは、そんなところから生まれます。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。


◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
あまり利口でない人たちは、一般に
自分のおよび得ない事柄については
なんでもけなす。


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