【有料記事】 僕たちを「次の時代」に導いた平成の邦楽30曲
時代が、変わる。
「令和」が幕を開けようとしている今だからこそ、一人の編集者として、僕たちが生きてきた「平成」という時代を振り返るべきだと考えた。
経済、社会問題、カルチャーなど、様々な切り口があるが、僕は、この時代に輪郭を与える補助線として、音楽を選んだ。
音楽は、時代を映す鏡であると言われる。それは音楽が、映画やテレビドラマ、漫画といった他のどのメディアよりも、柔軟に、的確に、スピーディーに、その時代を生きる人々のリアルな感情を射抜いてきたからだ。
この約30年の間に、そうした時代に寄り添う名曲が、いったいどれだけ生まれただろうか。日本独自のJ-POPという概念の誕生/浸透/成熟を通して。また、テクノロジーの発展による恩恵を受けながら。昭和の時代と比べて、音楽は、僕たちの日々の生活にとって、ずっと身近な存在になったと言える。
しかし、もし音楽シーンが、時代に寄り添うだけの楽曲で満ち溢れていたのならば、僕たちは、音楽に退屈してしまっていたかもしれない。この国の音楽シーンが、幾度となく黄金期を更新することができたのは、僕たちを「次の時代」に導いてきた楽曲が、新しく生まれ続けてきたからだ。
「平成」という時代と共振しながら、時代そのものに変革を巻き起こす。もしくは、強い意志と覚悟を持って、既存の価値観に異論を唱える。そして、まだ誰も発したことのなかったメッセージや、僕たち日本国民の心からの声を、果敢に発信/体現していく。
僕は、そうした楽曲を勇気を持って届けてくれた全てのアーティストたちへ、最大限の敬意を払う。そして、編集者/ライターとしての意地とプライドの全てを懸けて、ここに一つのランキングを編み上げた。
僕たちを「次の時代」に導いた平成の邦楽30曲。
今まさに幕を開けようとしている「令和」が、新しい感動に満ち溢れた素晴らしい時代になることを願って。その礎を築いてきた「平成」における革新の音楽史を振り返っていきたい。
同じ想いを持つ方には、ぜひ最後まで読み進めて頂けたら嬉しい。
【30位】
ポリリズム/Perfume(2007)
クールでストイック、同時に、等身大なキュートさを兼ね備え、そして、いつの時代から振り返っても「未来的」。Perfumeの3人は、平成時代における新しい女性アーティストの在り方を鮮烈に提示してみせた。
また、「チームPerfume」という言葉があるように、彼女たちは、それぞれ異なる領域における強みを持つクリエイターたちのコラボレーションを通して、J-POPの可能性を果敢に押し広げ続けている。
2019年4月、Perfumeは、アメリカの世界最高峰の野外フェス「The Coachella Valley Music and Arts Festival」への出演を果たした。そして、ライゾマティクスのリアルタイムエフェクトによって実現した、極限まで洗練されたハイエナジーなライブパフォーマンスは、世界中の音楽ファンの度肝を抜いた。
音楽、そしてポップカルチャーは、テクノロジーとの掛け合わせによって無限の広がりを得られることを、「チームPerfume」は証明し続けているのだ。彼ら/彼女らが導く、次の新しい音楽革命に期待したい。
【29位】
今夜はブギー・バック/小沢健二(1994)
2011年、小沢健二は、自身のサイト上に公開したテキストの中で、この曲について次のように振り返っている。
「カバーというと、していただくことが一番多いのは、やはり"ブギー・バック"。宇多田ヒカルさん、クレバさん、竹中直人さんとワタナベイビーくん、ハルカリとソウルセットなどなど、名を挙げて感謝し出すと何億光年も行きますが」
そう、この曲は、あらゆるカルチャーの「交差点」としての機能を果たしながら、平成時代の共有財産として輝きを放ち続けてきたのだ。
小沢健二をはじめとする「渋谷系」アーティストが秘めたクロスカルチャーの精神性は、色を変え、形を変えながら、ゼロ年代、テン年代を彩り、照らし続けてきた。
だからこそ、これからも、この国の音楽シーンは、ジャンルの壁を更に無化しながら、より豊かな実りを得ることができるのだと思う。この曲は、そうした「次の時代」の礎として、明日も、どこかで、誰かによって、愛と敬意と共に歌い継がれていくのだろう。
【28位】
Darling/西野カナ(2014)
この曲だけではない。"もしも運命の人がいるのなら"、"会いたくて 会いたくて"、そして、"トリセツ"。時代の歌姫として音楽シーンを牽引してきたアーティストの中でも、これほどまでに多くの等身大な「わたしの歌」を紡ぎ続けてきたのは、きっと彼女だけだ。
西野カナの「共感」のメカニズムは、単なる一人称のポエムでもエッセイでもなく、客観的なマーケティング思考法による新しい発明である。そう、時代が西野カナの歌に共振したのは、その知的でストイックな表現姿勢ゆえの必然だったのだ。
そして彼女の歌は、テン年代における等身大の恋愛観の記録としての価値をも秘めている。いつか、平成時代の恋愛を振り返った時、西野カナが紡いできた「わたしの歌」を思い出す人は、きっと少なくないはずだ。
【27位】
マルシェ/KICK THE CAN CREW(2002)
2000年代初頭、ヒップホップ/ラップが、本国アメリカにおいてメインストリームのカルチャーとして花開いた流れを受け、日本でも日本語ラップのメジャー化が急速に進んでいった。
そのシーンの最先端で新たなチャレンジを重ねながら、日本語ラップというカルチャーの革新/浸透を牽引してきた2つのグループがある。それがRHYMESTER、そして、KREVA、LITTLE、MCUの3人から成るKICK THE CAN CREWである。
三者三様のラップ、その高度な掛け合い、そして、一切のメッセージ性を排して「上げる」ことに徹してみせたポジティビティに溢れた「マルシェ」は、瞬く間にこの国の空気を変えた。
極めて曖昧なグルーヴ/バイブスといった概念に輪郭を与え、現在にまで続くヒップホップ/ラップのムーブメントの礎を築いた彼らの功績は、やはり、あまりにも大きすぎる。
【26位】
Paradise Has No Border/東京スカパラダイスオーケストラ(2017)
彼らは、平成の30年間の活動を通して、「音楽の世界に国境はない」ことを証明し続けてくれた。「国境がない」ことを証明するためには、何よりもまず、自分たち自身が国境を越えていかなければならない。スカパラは、強固な覚悟とタフネスをもってして、その偉業を見事に成し遂げた。
そしてもう一つ、彼らが、僕たちに伝え続けてくれたメッセージがある。もしかしたら、インストゥルメンタル・ミュージックに、メッセージを求める人は少ないのかもしれない。しかし、スカパラのライブにおける「音楽が鳴れば楽しい」というプリミティブな現象そのものが、彼らが約30年間にわたって発し続けてきた最上のメッセージなのだ。
また、逆説的ではあるが、「言葉」を持ったスカパラは強い。奥田民生をはじめとする数々のアーティストとの共演が、それを見事に証明している。
いったい「次の時代」には、どんな驚きと感動に満ちたコラボレーションが実現するのだろうか。期待して待ちたい。
【25位】
愛のかたまり/KinKi Kids(2001)
男性アイドルの「アーティスト化」。あえて語弊を恐れずに言えばそうなるが、"硝子の少年"、"ボクの背中には羽がある"然り、KinKi Kidsの楽曲には、既存の「アイドルソング」の枠組みを大胆に打ち壊してきたものが多い。
マイナー調の憂いを秘めた2人の歌声、極めて繊細でフラジャイルな歌詞の世界観。知的な批評性を感じさせる佇まいと、どこまでもストイックな表現姿勢。与えられた楽曲をただ歌うだけではない。自分たちの信念をもって「表現」に挑むその姿に、後進のジャニーズたちは大きな影響を受けたはずだ。
そしてこの"愛のかたまり"は、堂本光一の作曲、堂本剛の作詞によって生まれた自作曲である。女性目線で綴られた、切なく壮絶な恋愛観。それをポップソングとして昇華させる流麗なメロディは、ため息が出るほどに美しい。
2人の卓越した才能を証明したこの曲がなかったら、この国における「アイドル」「アイドルソング」の在り方は、今とは全く違うものになっていたかもしれない。今まさに、自ら作詞作曲を手掛ける関ジャニ∞が、アイドルとしての新たな生き様を表現しているように、きっと「次の時代」にもこの変革は続いていくはずだ。
【24位】
Fantasista/Dragon Ash(2002)
「ミクスチャーロックは好きですか?」というKjの挑発にも似た問いかけに、日本の音楽シーンは激震した。
"Deep Impact"、"百合の咲く場所で"など、彼らはデビュー当初から幾度となく、どこまでもエモーショナルで攻撃的な楽曲によって、シーン全体を揺さぶり続けてきた。そして、ついに放たれた会心の一撃であるこの曲は、日韓ワールドカップの高揚感とシンクロを果たしながら、日本人の音楽観を不可逆的に変えてしまった。
ロックはメジャーシーンに迎合するべきか否か。時代の節目ごとに持ち上がる、そんなあまりにもくだらない二元論を、Dragon Ashは、日本のど真ん中から痛快に打ち砕いてくれたのだ。これこそまさに、ロックバンドの底力である。
パンク/ハードコア/ヒップホップ、ラテン、そして王道のギターロック。彼らが全身全霊で体現しつてきたミクスチャーロックの精神性は、今日に至るまで更新され続けている。何があっても、ロックバンドとしての歩みを、闘いを止めない。「The Show Must Go On」という不屈の魂に、奮い立たされたアーティスト/音楽業界人/リスナーは、もはや計り知れないほどに多いはずだ。
【23位】
ロビンソン/スピッツ(1995)
スピッツの楽曲では、音楽の教科書に掲載されるほどにポップでキャッチーなメロディが光っている。しかし、そこで歌われる主題は、必ずしも、ささやかな日常だけではない。
国民的ロックバンドとしての不動の地位を確立しながらも、彼らは、根源的な「死」や、生々しい「性」といったテーマから目を逸らすことはしなかった。そして、巷に溢れているような生温い綺麗事や身勝手なフィクションを、「現実」と「ファンタジー」という二重のフィルターを通して、鋭く批評し続けてきた。
そう、スピッツは、J-POPシーンを主戦場としながらも、「ロック」の生き様、その正当性を果敢に証明し続けているバンドなのだ。
彼らの存在、そして数え切れないほどの楽曲が、後進のロックバンドに、どれだけの希望を与えたか。その影響の大きさは、もはや計り知ることができない。
【22位】
有心論/RADWIMPS(2006)
「有神論」をモチーフとしたこの曲は、あまりにも過剰で過激な「愛」の形を歌い上げている。
ただ「君」のことだけを想い、「君」にとっての「僕」が「僕」の全て。まるで一つの宗教と思えるほどにラジカルで、真っ直ぐ過ぎるからこそ生々しく、痛々しい。野田洋次郎は、そうした一人称の「愛」が紡がれることによって、この世界が成り立っていることを、音楽を通して証明しようとした。
その企みの結果は、もはやここで説明するまでもないだろう。ロックシーンにおいて、いや、この国の音楽シーンにおいて、真っ直ぐに真理を射抜く「愛」の歌、「愛」のロックアンセムは、強く求められていたのだ。
今でこそ、多くのロックバンドが当たり前のようにラブソングを歌うようになったが、ゼロ年代の日本のロックシーンに、その礎を築いたRADWIMPSの功績は、やはりあまりにも大きすぎる。
【21位】
君の知らない物語/supercell(2009)
昭和時代から脈々と受け継がれてきた「アニソン」というカルチャーは、ゼロ年代において、完全なるアップデートを果たした。そして、そのクオリティとマーケットの可能性を、一気に高次元に引き上げる起爆剤となったのがこの曲だ。
アニメの物語(&キャラクターの感情)とリンクすることで、音楽は、全く新しい輝きを放ち得るを、僕たちは、この曲を通して知ってしまった。
そして、同時期における発明として、何よりも特筆すべきは、「ボーカロイド」という新しい概念だ。"メルト"、"ブラック★ロックシューター"をはじめ、supercellの1stアルバムの楽曲は、全て「初音ミク」によって歌われている。「ボーカロイド」という発明によって、「歌」は、人間の「声」という制約から解き放たれて、無限の可能性を得た。
それは、テクノロジーが著しく発展し、同時に民主化された平成という時代だからこそ起こり得た、あまりにも痛快な音楽革命であった。
【20位】
NEO UNIVERSE/L'Arc~en~Ciel(2001)
日本音楽業界における最上の黄金期を駆け抜け、そして今もなお、果てしないロマンを追い続ける孤高のロックバンド、それが、L'Arc~en~Cielだ。
眩いくらいにゴージャスでグラマラスなオーラを纏いながら、そして同時に、深遠な艶やかさを放つ。これほどまでにエンターテイナーとしてのポテンシャルを誇るロックバンドは、かつて存在しなかった。
また、メンバー全員が表題曲を書けることが象徴的だが、底知れぬ才気と優れたバランス感覚を兼ね備えた4人が一つのバンドに揃ったことは、平成の音楽史における一つの奇跡と言ってもいい。
彼らの楽曲は、非常に多彩でバラエティに富んでいるため、ここで1曲に絞るのに苦労したが、今回は、2001年の元旦にテレビで最初に流れた資生堂のCMに使用された、つまり、「21世紀」の幕開けを華々しく飾ったこの曲をセレクトした。
【19位】
ギブス/椎名林檎(2000)
突如にして、J-POPシーンのど真ん中に現れた「歌舞伎町の女王」、その名は椎名林檎。
浮世離れした世界観と、凛とした佇まい、そして冷徹な知性と批評性。投げかけるメッセージは豊かな文学性を帯びていて、ライブパフォーマンスにおいて昂りをみせる激情は、明らかに常軌を逸している。
はっきり言って、彼女にまつわる全てが、圧倒的に新しく、まるで既存の音楽シーンへの挑発のようでさえあった。
昭和歌謡を踏襲したメロディと、極限まで歪み切ったバンドサウンド。その中にこそ宿る執念、狂気、欲望、そして確固たる信念。椎名林檎は、この平成の時代において、鮮烈な「女性像」を自ら率先して体現し、そして不可逆的に変えてしまった。
それでいて恐ろしいのは、彼女の巨大な才能は、その「異端さ」ゆえに聴き手を選ぶようなことは決してなく、ポップシーンの中心で、鮮やかに花開き続けてきたことだ。
孤高の音楽家として、東京事変のボーカリストとして、そして一人の生活者、女性として。椎名林檎が歩んできた20年の歴史は、たとえ「次の時代」から振り返っても、決して古びることはないだろう。
【18位】
Rising Sun/EXILE(2011)
「愛」「夢」「幸福」
そのあまりにも深い意義と晴れやかな可能性を、彼らは、東日本大震災の傷跡を前に立ち竦む僕たちに、もう一度信じさせてくれた。そして、僕たちの夜明けに燦々と輝く「希望」を高らかに掲げてくれた。彼らの歌に、パフォーマンスに、言葉に、僕たち日本人は、どれだけの力を与えられてきただろうか。
復興の季節を超えて、この曲には、いつまでも「次の時代」を鼓舞するアンセムとして鳴り響き続けて欲しい。そう願っているのは、きっと僕だけではないと思う。
【17位】
Stand Out Fit In/ONE OK ROCK(2018)
ONE OK ROCKは、現時点における最新作『Eye of the Storm』において、長年にわたって自分たちが追求し続けてきた「世界水準」を、ついに超越した。
バンドサウンドとプロダクションの新配合によって実現したサウンドデザインは、僕たちに、全く新しい感動と興奮をもたらし、そして、「次の時代」に鳴るべきロックの在り方を高らかに示してくれた。
美しくクリアで、しなやかなフォルム。地鳴りのように響く重厚なローサウンド。そして、あまりにも大胆な「ポップ」への接近/フュージョン。それら全てが、新しい時代におけるロックのスタンダードだ。
そして、「はみだしてなじめ」というメッセージを放つこの曲は、多様性が尊ばれる「次の時代」のガイディングライトとして輝き続けていくだろう。
新時代と共に幕を開ける、ONE OK ROCKの新章に期待したい。
【16位】
Stay Gold/Hi-STANDARD(1999)
90年代後半~ゼロ年代初頭にかけて、Hi-STANDARDは、日本のロックシーンにおける最も大きな「夢」を見せてくれた。
そして、一度は止まったと思われた3人の物語は、2011年、東日本大震災の悲しみに襲われた日本を救うために、再び動き出した。
たった120秒に込められた、俺たちの生き様と、この先の未来を貫く黄金の信念。たとえ時代が変わったとしても、「いつまでも輝き続けていて」という鮮烈なメッセージは、決して色褪せはしないだろう。
そして、音楽の力を、現実社会における連帯や行動へ結び付けようと働きかける「AIR JAM」のDIY精神は、もちろん今も健在である。
狂騒的な「青春」の季節を超えてしまっても、3人は、かつての輝きを決して失ってはいない。だからこそ、パンクスの信念と覚悟は、「次の時代」にも轟き続けていくはずだ。
【15位】
evolution/浜崎あゆみ(2001)
ここで歌われる「こんな時代」とは、まさに僕たちが生きてきた平成時代のことだ。彼女は、そのパワフルで鮮烈なパフォーマンスで、ゼロ年代の日本を取り巻いていた停滞感/倦怠感を鮮やかに吹き飛ばしてくれた。
その卓越したタフネスと覚悟を兼ね備えながら、J-POPシーンのど真ん中でポップな才気を放ち続けてきた女性アーティストは、他にいない。その存在は、まさに時代のロックスターであった。
だからこそ、彼女を取り巻く全ての事象が、その時代を象徴する現象たり得たのだろう。平成時代の歌姫として、浜崎あゆみが「次の時代」へと語り継がれていくのは間違いないと思う。
【14位】
風の日/ELLEGARDEN(2002)
「平成」の音楽シーンに、ELLEGARDENというロックヒーローがいたことを、同じ時代を生きてきた者として心から誇りに思う。
彼らは、本当にたくさんの「僕たちの唄」を送り届けてくれた。主語は「僕ら」と「We」。乱暴なことを言ってしまえば、主語が「僕」や「I」でも、それは「僕と君の唄」であり、たとえ孤独を叫ぶ唄であったとしても、歪ませたギターの爆音と合わせて共に歌えば、それは「僕たちの唄」になる。
そしてELLEGARDENは、音楽を通して繋がることができた全ての人を、決して裏切ることはしなかった。たとえ、その人が情けなくて、ずるくて、どうしようもなくバカであったとしても、笑って優しく包み込んでくれた。明日からもクソみたいな日常を生きていかなければならない僕たちに、自信と誇りと笑顔を与えてくれた。一瞬で世界の全てを塗り替えてしまうような圧倒的なロックサウンドは、不条理へと立ち向かう全能感と覚醒感を与えてくれた。
彼らがたくさんの「僕たちの唄」を残してくれたからこそ、その唄にふさわしい自分であるために、僕たちは強く生きることができたのだ。
そして、2018年、ELLEGARDENの4人は、活動休止から10年の時を経て、「約束」通り復活を果たした。僕たちとELLEGARDENの物語は、またここから続いていく。
【13位】
Hero/安室奈美恵(2016)
J-POPの歴史は、常に彼女の歩みと共にあったと言っても過言ではないかもしれない。10代、20代、30代、そして40代、それぞれの年代において、「理想の女性像」を更新し続けたアーティストは、彼女の他にいないだろう。
リオデジャネイロオリンピックのテーマ曲となった"Hero"は、世代や性別を超えて、数え切れないほど多くの日本国民の背中を押した。そして、2018年の社会現象となった彼女の引退劇、その鮮やかな幕引きは、あまりにも美しいものであった。
ポップスターとして平成の音楽シーンを導きながら、同時に、その歴史を華やかに彩り続けてきた彼女の功績は、「次の時代」においても、その輝きを失うことはないだろう。
【12位】
デイ・ドリーム・ビリーバー/THE TIMERS(1989)
この国に、忌野清志郎という永遠のロックスターがいたことを、僕は微力ながら「次の時代」に伝えていきたい。
彼がこの日本語詞に込めた等身大の「願い」、そして、どうってことない日々の「気分」が、いくつもの時代を超えながら、いつまでも僕たちの未来を照らしていきますように。
最大限の愛と敬意を込めて。
【11位】
サイレントマジョリティー/欅坂46(2016)
初めて彼女たちが音楽シーンに現れた時の衝撃を、改めて言葉にしたい。
僕たちが、欅坂46のデビュー曲"サイレントマジョリティー"に驚かされたのは、彼女たちが「アイドルなのに」メッセージ性の強い楽曲を歌っていたからだろうか。
違う。
断言してもいいが、当時のメジャーシーンにおいて、これほどまでに真っ直ぐに、そして果敢に、社会への「反抗声明」を叩きつけたミュージシャンは他にいなかった。
あえて語弊を恐れずに言えば、他のどんなロックバンドよりも、欅坂46の存在は、リアルであり、エッジーであり、つまり、「ロック」の異彩を放っていた。
J-POPシーンのど真ん中を主戦場としながら、妥協も忖度も迎合も一切しない。歪みきった大人たちへの反骨精神、そして、灰色の時代を自分らしく生き抜くための信念。それらを全身全霊で体現してみせるという確固たる覚悟をもってして、彼女たちは茨の道を切り開き続ける。
この「沈黙」の時代において、思春期を過ごす少年少女たち、そして、その季節における青い衝動を失いかけた大人たちは、そんな欅坂46の「ロック」を必要とした。
凝り固まったJ-POPシーンへ「異論」を唱え続けていく彼女たちの姿に、何度も、静かに心が震える。
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