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姉がいた夏

自分に厳しい猫はいるのか」という丸恵さんの問いかけに「います!いました!うちの姉です!」と食い気味に返しそうになって、慌てて口を押さえた。

コメント欄の上限500字にはとても収めきれない。
たぶん思い出補正もめちゃくちゃかかっている。
でも聞いてほしい、私たちの「姉」の話。

昔、姉と慕っていた猫がいた。
小学4年生の夏に私と弟に拾われた彼女は、家に馴染むにしたがって自分を私たちの姉だと思うようになったらしい。
彼女は、他人に厳しい猫だった。
私たちが怠けたりズルしたりしようとすると、「ンマッ」と目を吊り上げて飛んでくる猫だった。

今にも弟を殴りたそうにしているおてて

夏休みの午後、私と弟は居間のちゃぶ台で宿題をしていた。
延々と問題集を解くのに気が滅入ってしまって、私は手を止めて座布団に横になった。
すると「ンマッ」という鋭い声が飛び、どこからか白い鉄拳がにゅっと飛び出してきた。
頬を打たれた私が「いてっ」と身を起こすと、姉が私の頭のあったあたりに仁王立ちしてこちらを睨みつけていた。
仕方なく再び宿題に向かうと、彼女は監視するように私たちの周りをぐるぐる回った。

ある晩、私と弟は二人で騒いでいた。
私の両親はわりと眠りが深く、多少大声で騒いでもめったに起きてはこなかった。
ところがである。
笑い声の隙間を縫うように「ンマッ」と咎めるような声が響き、私と弟は腕を噛まれた。
深夜に騒ぐなと言いたいのだろう。
私たちは彼女の学級委員長のような生真面目さに慄いて、そそくさと明かりを消して布団に入った。

ある日私たちは、冷蔵庫の上にあるお菓子箱をタンスに上って取ろうとしていた。
私が苦労してタンスの上に乗ると、「ンマッ」と聞きなれた叱責が飛び、姉がタンスの上に飛び乗った。
こうなるともう、お菓子を取る取らないという話ではない。
お菓子の方に進めば姉に噛まれる。うっかり姉を踏もうものならさらに深く噛まれる。
私がしぶしぶタンスから下りると、姉は優雅にタンスからひらりと飛び降り機嫌よく去っていった。
そういう、猫だった。

そもそも姉は、自分を猫だと認識していなかったふしがある。
あるとき彼女は、近所の高齢猫(オス)から熱烈な求愛を受けた。
老猫は窓ごしに熱い視線を送り、「なう~ん」と悩ましげな声で姉に何度も呼びかけたが、彼女は頑なに目を合わせようとしなかった。
一度私が外出しようとしたとき、ドア前で待ち伏せていた老猫がずいと家に上がり込んでしまったことがある。年の功の悪用にもほどがある。
捕まえようとする私をかわしていそいそと突進してきた彼を、姉は冷たく一瞥した。
そして「この色ボケじじいが!」とでも吐き捨てるように「シャーッ」と毛を逆立てた。
私に帰宅を促された老描はすごすごと出ていき、二度とうちに入ろうとはしなかった。

ここまでが、他人に厳しい姉の話。
姉はなぜかいつも使命感に燃えていて、私たちをしつけなくてはと常に目を光らせていた。その熱心さは、我々の両親をはるかにしのいでいた。

そんな彼女は、「自分に厳しい猫」でもあった。
こんなことしたら、絶対にダメにゃ!」とでも言っていそうな、葛藤の現場を垣間見てしまったことがある。

ある暑い日のこと。
風通しのよい階段で昼寝していたら、コトコトと何かが揺れるような音が聞こえた。
薄目を開けると、玄関の靴棚の上に乗った姉がガラス細工をそっと前足で押して、ちょっと首をかしげて、もう一方の前足で押し戻しているところだった。
「靴棚から落としたくてたまらない前足」VS「落としたら駄目だと抵抗している前足」の熱い戦いが開幕しているらしかった。
落としたくてたまらない前足は、かなりアグレッシブにゴルフでもしているかのようなスイングを試みている。
対する抵抗している前足は、自制心を保とうと必死なのかちょっとプルプルしている。
慎重にもともとあった場所にガラス細工を戻そうと努めているらしい。

本能と自制心の対決は、どうやら本能の方が優勢らしかった。
私が江の島で買ったガラス細工は、まるで犯行を自白中の崖の上の犯人のように靴棚の隅に追いやられていた。
このままでは崖に身投げしてしまう。

姉さん?
声をかけると、姉はびくりと身体をすくませた。
そして慌てて靴棚から離れようとした際に、尻尾でガラス細工に触れてしまった。
哀れな私のガラス細工は、崖から転落して真っ二つに割れた。
ばつが悪かったのか、姉はしばらく口をきいてくれなかった。

また別の日。
思春期真っただ中だった私は、弟二人と同じ部屋で寝起きするのが嫌で嫌で仕方がなかった。
私たち子ども三人は、一つの大きな部屋に三枚の布団を敷いて寝ていたのである。
どうしても自分の部屋がほしかった私は、新聞をポール状に丸めてテントを作り、自分の領地を主張することにした。
家族からは呆れられたが、そんなことは気にならなかった。

自分だけの場所を手に入れて意気揚々とテントのなかで寝ていたある日、テントの端を白いものがかすめた。
一瞬で消えたので気のせいかと思って目を閉じようとしたら、またカサカサと白い手が覗いてポールにかけた壁代わりの新聞を遠慮がちに揺らした。
私のテントはきっと、猫にとっては格好のおもちゃなのだろう。
友だちの家の猫は目の前の揺れるものすべてに踊りかかっていたし。
しかし真面目な姉は、「こんなことしたらダメにゃ!」と自分の信念を貫こうと頑張っているらしかった。
そっと新聞の壁を押すだけで、それ以上のことはしてこなかった。

姉さん?
静かに声をかけると、またしても姉は驚愕して硬直し、その場から走り去った。
ある日学校から帰ると、新聞テントはびりびりに引き裂かれていた。
姉でも自制心が保てなくなることがあるのかと、ちょっと安心した。

そんな彼女は、次の年の秋に病死した。
姉が埋葬されたのは家から自転車で10分ほどの距離にあるお寺で、人のお墓がずらりと並ぶ手前にペット墓地が置かれていた。
ペットの戒名が書かれた卒塔婆がぎっしりとひしめく小さな墓石には、高級な缶詰や猫じゃらしなどが供えられている。

思い出すことが一番の供養になるんですよ
そう住職に言われた私は部活の練習帰りやお使いの帰り道など、ふと思い出した折にお寺を訪ねるようになった。
思い出すきっかけになるのは、たいてい姉に怒られるようなことをしたときだ。
「ああ、これは姉さん怒るだろうな」
そう思ったときには、お寺に足が向いていた。

高校生の夏、学校帰りにお寺に寄ったときのこと。
いつものように墓石に缶詰を備えていたら、「つるじゃないか」と声をかけられた。
顔を上げると、いつもとても厳しい英語の先生が驚いた顔で立っていた。
その先生は授業は抜群にわかりやすいのに、常に威圧的な空気を醸し出しており、生徒たちから非常に恐れられていた。
とはいえ先生の皮肉っぽいユーモアが大好きだった私は、高校三年間のうちに英語で90点以上を取ろうと決めていた。

「本当は学年一位を取れたはずなのに、凡ミスでごっそり20点失った者がいる」
テストを返す前、先生はおごそかに言った。
自分のことだとは夢にも思わずへらへらと回答を受け取り、私は目を見開いた。
「〈アイウ〉で答えなさい」という問題に〈123〉と数字で答えていたのだ。
本当であれば正解だったはずの20点を、ごっそり失っていた。

しばらく先生とは顔を合わせたくない、そしてこれは姉さんにバチギレされる失態……。
そのまま家に帰る気にはなれず寄ったお寺で、早すぎる先生との再会。
あまりにも気まずかった。
まさか墓で生徒に会うとは思わなかったのだろう、先生も少し驚いていた。

「姉の墓なんです」と私が言うと、「お姉さんが……」と先生は気づかわしげに復唱した。
その表情を見て、まるで人間の姉を亡くしたみたいな言い方をしてしまったと反省する。
「姉っていっても、猫なんですけど。先生は……?」と聞くと、「チチが眠っているんだ」と返ってきた。
先生の家にはたくさんの猫がいると聞いていたけれど、亡くなった猫もいたんだなぁ。
「チチちゃんですか。かわいいお名前ですね」と言うと、先生はうつむいて言った。

すまない、父は人間だ

!!!

その先のことは、よく覚えていない。
「チチはニンゲンだったんですね!」とわけもわからず復唱して逃げるように立ち去ったような気もするし、「ンマッ」と姉の叱咤の鉄拳が飛んできた気もするし、「こんな子に育てた覚えはないにゃ!」とくるぶしあたりを噛まれたような気もする。

人間みたいな猫と、猫みたいな人間(私が勝手に誤解しただけ)がともに眠る寺。
今年も手を合わせて、姉がいた夏に思いを馳せたい。

お読みいただきありがとうございました😆