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本当の自由は死んだ後

夜、電子レンジを事故りそうになりながら持って帰る時に思いついた。本当の自由とは。こけそうになりながら転びそうになりながら自転車のカゴにレンジを置き支えていた。頭の中にはBGMで24時間テレビで流れるサライを流しレンジを主人公にし鼓舞しながら僕は支えながらゴールへと向かっている時。

自由とは何だろうか

お金をたくさん持っていることか。何も縛られなく権力を行使して我が者で裸の王様を演じることなのか。僕はこの世に本当に自由な人間なんていないと思う。いないではない。なれないの間違いだと。人は皆悩みを抱える。抱えない人などいない。お金と命。この二つは切っても切り離せない。一般人はお金に悩まされ、金持ちは健康に悩まされる。そして、僕らより高等な金持ちは健康を金で買える。欲しい物を全て金で賄える。しかし、本当にそれは自由なのだろうか。不自由だから金を使い、満足できないから生き続けるのではないか。

僕は完全に自由になれない理由として納税を挙げる。人は死ぬまで税金を払わなければならない。生きている間生まれた時点で不自由。金持ちであれ誰でも不自由になってしまっている。税金を払わないために悪事を働く者がいる。税金を楽々払えるが仕事をしなければならない。不労所得もと手続き。何もしないで生きていられるようにはできていないのだ。コロナのようにいきなり不況になる時もある。読めない世界が今やってくる可能性。不安定な世界を生きている。今億万長者だったものは稼ぎ続けなければ来年の税金に食われてしまう。結局は税金に自由を暴れてしまっているのだ。生まれた時点で生きている時点で不自由。誰もが完全な自由になれない

死んでからが自由

今日本はウェルテル効果の前段階に入っている気がする。税金とは違う社会からの暴力を受け有名人が自殺を図り社会を離脱する。一般人も社会の圧力に負け毎日自殺者が跡を絶たない。離脱をする理由は世界に疲れたからだ。自由になりたい為。だから人は死ぬんだ。死ななければ自由になれないから。死なないと自由になれない世界は悲しい。自由を求めるが故に死を選択する。この辛いハードモードを直視しなければいけない。死を決断人間に口はない。周りに悲しむ人を作ってしまうだけだ。だが本人が死にたいと思った。悲しむのではなくその決断を尊重してあげても良いのではないかと思う。もちろん、これはかなりの暴論。死を正当化しているのだから。だか死ぬことで自由になれる人もいる。だから自殺を行う。捉え方を変える事も大事だと思う。

人は死ぬまで不自由。最初から諦めていれば少しは僕は世界に寛容的になれる


今を立派じゃなくても幸せに生きて明日の俺にバトンタッチ!!