愛する人が嘘をついていたと知った時、改めて愛することはできるのだろうか。
2022年に映画化もされた、平野啓一郎さんの【ある男】。映画を観る前に原作をと思い、手に取った1冊。平野さんの小説を読むのは、この本が初めてだが、もともと【自分とは何か 「個人」から「分人」へ】という「本当の自分」に対する考え方の本を読んでおり、この主義が反映されている作品はずっと読みたいと考えていた。
あらすじ
感想
本当の自分とは
幼少期に深い傷を負い、過去を変えたい、昔の自分を捨てて、別の誰かとして生きていたい。そんな風に切望するほどの経験はないが、確かに別の誰からの人生を羨むくらいの時はある。でもきっと、そんな感情とは比にもならないのだろうと思う。
しかし、この小説のように仮に昔の自分を捨てて、別の人として生きるとき、それは本当の自分ではないのだろうか?平野さんの「分人主義」という前提で考えるのであれば、きっと別の誰かとして生きてはいても、それも本当の自分なのだろうと思う。ただ、名前が違うだけで。
改名したり、結婚して苗字を変えたりする人も普通にいるわけで、名前はその人についている名称なだけという考えもできるし、実際にそういう考えでこの作品は書かれているのではと思う。
だから、きっと「大祐」も名称であって、里枝と結婚した「ある男」も一貫して「ある男」だったんだと思う。
他人を通して見る自分
人には適当なアドバイスをするのに、自分のこととなるとさっぱりできなくなる、つまり客観視ができなくなる。自分で自分を直視しようとすると見えないのに、不思議と他人や小説、映画の登場人物を通して見ると、途端に客観的に見える事象ってなんなんだろう。
これは、城戸の言葉であるが、確かにその通りだなと共感した一節だった。
過去を偽っていた夫を、再度愛せるのか
正直、愛せる人もいれば愛せない人もいるし、そもそもどのぐらいの嘘の程度なのか、内容なのかなど、色んな要素が絡んでくる気がする。
大祐の元恋人の言葉。わかったところで悲しみや色んな複雑な感情が生まれるけど、そこを乗り越えてさらに愛するって単純にすごいなと思う。ただ、個人的には、嘘をついていても相手ときちんと向き合っていたという前提があってこそ成り立つものなんじゃないかなと思ったりはする。
色んな社会問題を交えて書かれている部分もあり、理解するのが少し難しいとろこはたくさんあったが、全体を通して深く考えさせられる作品だった。
原作を読んだので、次は映画を見たい。早くNetfrixかAmazon Prime Videoに追加されないかな。
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