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ここには私の全てが詰まっている、It's myself Disneylandだ!

noteを毎月投稿し始めてから今回で41ヶ月目となる。別に誰かに課されてやってる訳でもないこの企画、嫌ならやめればいいのだがそれなりにプライドを持って続けている。吹けば飛んでいく、枯れ草のようなプライドだ。

ただ自分自身で「続ける事にこそ意味がある」と、胡散臭い学習塾の校訓のようなポリシーを抱きながら続けてきた。こんなこと言うのは洗脳されている生徒みたいで嫌だけど、本当に「続ける事にこそ意味がある」と思っている。

「続ける」とは口にする以上に難しい。どんなに容易なことであっても、続けるとなるとその難しさは指数関数的に増加する。人は誰しも何となく過ごしてしまいがちな愚かな存在である。だからこそ毎月自らにタスクを課し意識的に時間を過ごすことは、入る必要のない精神と時の部屋に自らの足で踏み入れる事と同質である。

また日々感じる小さな感情をメモに書き留めておくことも、日常に潜む違和感に常にアンテナを張り続けていることも、noteを続けて書いているからこそ得られるアビリティであり、本質的には私に備わっていない。そんな恩恵を受けられるなんて素敵じゃないか。

noteを書いているからこそ本を読む機会も増えた。本を読んでいると自分の考えを文字で表現することに感銘を受け、自分も文章を書きたくなる。また文章を書いている時になかなか筆が進まなければ、プロの書く文章を一度自分の中に取り込みたくなる。読書と執筆はインプットとアウトプットでありながらも相互作用の関係であり、それはどちらも私にとって便益をもたらす行為である。ここに永久機関が生まれるヒントを見つけ出すことができる。

そんなこんなで長々と自分の思想をnoteで語っていると、そこにはまるで私と言う存在を言語化したかのような空間が出来上がっている。私とはどういう存在なのか、私が何を考えているのか、私をあらゆる側面から写し出し、私の思惑だけで構成された私主体のテーマパークである。

私の次の行動を予想することに金銭を掛ける、ひとつ上の階層に住む人々が行う公営ギャンブルがある世界線では、間違いなくこのnoteの存在を知っている者が勝者なのであろう。その世界線ではこのnoteの内容は高額取引されているに違いない。

と言う訳で私を知るためのバイブルなこのnoteに、私自身それなりの熱を持って執筆しているからこそ、noteを興味深く読んでくれる人には非常に暖かみを感じる。この感情はあなたが思っている以上に強烈に感じると言うことを、noteを書かないあなたには理解できないだろう。

誰からか言われる「今月のnoteのこの表現はよかった。」とか「お前ってこう言う時、こう考えているんだろ」などの感想は、たとえそれが取るに足らないものであったとしても、小学生が手に握る駄菓子の当たり券よろしく、私にとっては至高の喜びなのである。

ましてや「今月のnoteはまだ?」などと投稿を楽しみにしてくれる人がいようものなら、その人を脇から抱えあげて持って帰りたくなるくらいに愛おしい存在であろう。

なので月に一度でいいのでこの夢の国に訪れてください。過去の投稿であってもスキやコメントすべてチェックしています。いつかnoteの投稿をまとめた一冊の聖書ができるくらいまでは書き続けていたいと思っています。


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