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不幸を軽減するために大切なこと

誰かに何か気に障ることを言われたり、何かがうまくいかなかったり、アクシデントが起こったりすると、それがちょっとしたことでも、人は簡単に心が揺れ動き、不幸な気分になってしまうことがあります。

それに、年を取ったら悩みごとが減るかと思っていましたが、全然そんなことはないですね。お金や仕事、人間関係の悩みに加えて、体力の衰え、歯の本数や頭髪の量などの心配も増え、なかなか心の平穏は訪れません。

もう、いい加減に幸せになりたい!

そこで、エッセイストでもある哲学者の土屋賢二教授の2冊の本を参考に、「不幸を軽減するために大切なこと」を考えてみました。

ウィキペディア「土屋賢二」

土屋 賢二(つちや けんじ、1944年11月26日 - )は、日本の哲学者、エッセイスト。お茶の水女子大学名誉教授。専攻はギリシア哲学、分析哲学。

研究の傍らユーモアエッセイを執筆。一見哲学的な深い洞察をしているように見えながら実は論理的に奇妙な文章になっているという、学術論文をパロディ化したような独特の作風。そこからついたあだ名が「笑う哲学者」。

「まえがき」を読んでみるだけでも、只者ではない強烈なオーラを感じます。

幸・不幸の分かれ道 土屋賢二(著)

本書はユーモアエッセイではない。哲学書でもない。まして領収書でも始末書でもない。
本書はわたしが考えていることを真面目に書いた本である。わたしが考えていることは多数あるが、どれも書くのがはばかられるほど薄っぺらだ。そう書くと誤解されるかもしれないから付け加えると、薄っぺらだけでなく、ろくでもないものばかりである。さらに付け加えると、わたし自身、薄っぺらでろくでもない人間だと思わわれている。
だが、わたしの考えていることの中にも、ひょっとしたら役に立つ可能性もあるかもしれないものがある。それは不幸を軽減する方法である。

こんな風に自分を笑い飛ばせる人には、今まで会ったことがありません。ここまでの心境になることができれば、まさに怖いものなしでしょう。


誤った先入観に振り回されないようにしよう

土屋教授は、不幸を軽減するためには、大切なことが二つあるとおっしゃっています。

その内の一つめは、「〇〇しなければならない」とか「こうあらねばならない」など「当たり前」だと思い込んでいるものの中には、実は疑わしいものがある。「緻密な思考」をすることで、そういった誤った先入観に振り回されないようにしよう、ということです。

幸・不幸の分かれ道 土屋賢二(著)

「人生の目標をもたなくてはならない」とか「人間の価値は能力で決まる」と思っていれば、これといった目標をもっていない人や能力がない人は不幸だと感じるでしょう。(中略)

もしそういう考えが間違っていたら(ぼくは間違っていると思いますが)、考え違いのために不幸になっていると言うしかありません。

私も、長年「真面目に、いい仕事をしなければいけない」「少々熱があるくらいで休むなんて、もってのほか」などと思い込んでいました。

でも、よくよく考えてみると、ちょっと不真面目な軽い気持ちで仕事した方が頭が柔軟になってアイデアが浮かびやすくなるし、ダメダメな時は早めに休めば、かえってムダがなくなるし、いい仕事ができるんですね。

そもそも、「いい仕事をしなければならない」が正しいかどうかも疑ってみる必要があると思いますが、仮に正しいとしても、それが社会のための「いい仕事」なのか、会社のためなのか、上司のためなのか、自分のためなのか、どのスタンスをとるかで仕事の仕方も変わります。

家事だって、そうです。

たとえば、「隅から隅まで綺麗に片付けておかなければならない」」、「いつも手抜きしないで料理を作らなければならない」などと思い込んでいたら、どうでしょうか。

家事が趣味でない限り、いずれは、そのプレッシャーに押しつぶされてしまいそうです(少なくとも、私には耐えられそうにありません)。

自分が快適に生きていくことができるのであれば、そんなに片付いていなくても全然大丈夫ですし、テイクアウトで済ませる方がいい時もあります。

「緻密な思考」をすることで、誤った先入観や、自分に合わないものに振り回されないようにすることが大切です。


ユーモアのセンスを磨こう

土屋教授の提唱する、もう一つの大切なことは、ユーモアです。

幸・不幸の分かれ道 土屋賢二(著)

笑うということは、不幸な事態から重要性をはぎ取ることです。不幸な事態そのものを消してしまうことはできませんが、それを重視しなければ受けるダメージは少なくなります。ユーモアのセンスというのは、深刻になったときに、「そんなに深刻じゃない」と思う能力のことだと思います。

ユーモアのセンスというのは、深刻になったときに、「そんなに深刻じゃない」と思う能力のこと

とても面白い考え方です。

私が、そけいヘルニア(脱腸)になった時、友人に手術することを話しました。

「そけいヘルニアになっちゃってねぇ。下腹部に結構でっかい膨らみができちゃって、手術するんだよ」

「ち〇こ、もう一個できちゃった? わっはっは」

わっはっは、じゃねえし。

それに、「下腹部に膨らみ=ち〇こ」という発想は、どうなんでしょ。小学生かよと思いましたが、二個目のち〇こなら、そんなに深刻ではない感じはします。

幸・不幸の分かれ道 土屋賢二(著)

ユーモアの訓練というのは、実質的には、深刻な気持ちになったと思ったら、別の角度からものを見る習慣をつけることです。できれば可笑しいと思えるような角度を探す練習をするんです。とくに、深刻になりやすい事柄について徐々に練習する。一番深刻になりやすいのは自分の欠点や不幸です。自分の欠点や不幸に気がついたら、可笑しいと思える視点を探すんです。こういう視点の転換はふだんから練習していないと身につきません。

「ち〇こ、もう一個できちゃった? わっはっは」は、考えてみると「可笑しいと思える視点」なのかもしれません。

深く納得しました。


他人の言動に腹を立てないようにするために

他人の言動に腹を立ててしまうのって、いったいどんな時でしょうか。

「普通は、こうしてくれるはず」みたいな、自分の常識とか行動規範が前提にあって、そこから外れた言動を他人にされると、腹が立つんですね。たぶん。

そんな時のための効果的な考え方が書いてありました。

無理難題が多すぎる 土屋賢二(著)

<あるべき性格>を想定しなければ、<こんな性格なんだな>と思うだけだ。カバの性格に腹を立てないのは、<あるべき>カバを想定しないからである。(中略)

勝手に<ネコはワンと吠えるべきだ>と想定すればネコに腹が立つのと同じである。

秀逸すぎるたとえ話です。

上司は、適切なアドバイスをくれるべきだとか、ほめてくれるべきだとかいった<あるべき性格>を想定しなければ、何を言われても腹を立てることもない、ということですね(<あるべき>バカなら想定しておいても、問題ないかもしれません)。

そもそも、常識とか行動規範とかいったものは人によって微妙に違い、それが時には面白くもあるのですが、逆に、怒りの原因にもなったりします。コロナ禍で、そういったことが原因と思われる対立が増えてきているのは、とても残念なことです。

これからは、<あるべき>カバを想定しないで明るく健気に生きていこうと思います(ちなみに、ネコ好きとしては、ネコがワンと吠えても怒りません)。


協調性がすべてではない

会社に入ると、いや、プライベートでも、日本では協調性がとても重要視されます。さらには、会議もやたら多くて、たいがいはつまんないし、何も結論が出なかったということさえ、ざらにあります。

会議をする暇があるなら、自分の仕事を進めた方がいい、もっと言うなら寝てた方がいい、とつい思ってしまうのは、私だけではないはずです。

なので最近は、忙しいことを理由に、ほとんどの会議をパスし、一人で孤独に作業をすることが多くなってきています。

無理難題が多すぎる 土屋賢二(著)

協調性がすべてではない。かりに「みんなに合わせていさえすればいい」と言うなら、何でも多数決で決めればいいことになる。地球は平らで不動だということになり、反対者は処罰されるだろう。(中略)

孤独も重要だ。芸術家も学者も孤独の中で独創的な作品や独創的な考えを生み出してきた。わたしでさえ孤独の中で独創的に間違った考えを生んできた。協調性がすべてではないのだ。

はっ!?

ひょっとすると、私も「孤独の中で独創的に間違った考えを生んできた」のではないだろうか。なかなか結果が出なかったのは、ひょっとしたら、そのせいだったのかもしれません。

でも、過度に孤独を恐れる必要もないし、間違っていると思ったら堂々と意見を言えばいいし、土屋教授のおっしゃるように「協調性がすべてではないのだ」と思うんですよ。


「あとがき」みたいなやつ

土屋教授の名言の中から、ユーモアに関する部分をもう一度振り返っててみます。

幸・不幸の分かれ道 土屋賢二(著)

ユーモアのセンスというのは、深刻になったときに、「そんなに深刻じゃない」と思う能力のことだと思います。

ユーモアの訓練というのは、実質的には、深刻な気持ちになったと思ったら、別の角度からものを見る習慣をつけることです。できれば可笑しいと思えるような角度を探す練習をするんです

誰が何と言おうと、ユーモアは大切です。

独創的に間違っていても、このまま突き進んでいくのも独創的で面白いな、と思いました。

誰が何と言おうと、私の人生ですから。

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