人けの少ない夜九時のスーパーマーケット。薄い紙で折ったキリンのように不安定な前傾姿勢で立っている老女が鮮魚売り場にいる。彼女は四十パーセント引きの赤いシールが貼られた釜揚げしらす小パックをショーケースから手に取り自分のカゴに入れた。 「ママ、あそこにいるのミスオガワじゃない?」子どもが精肉売り場で牛肉バラ味付けカルビを選んでいた母親の上着の裾を引っ張った。 「ほら、あそこ。黄色のワンピース。真っ白いおかっぱ頭の人。ミスオガワだよね。『お久しぶりです』って挨拶しなくていいの?
20211003 書くということ 言葉にして伝えることは難しい。実際に体験したことを説明するだけで難儀する。ましてや頭に浮かんだ世界の欠片みたいなものや、不明瞭な気持ちを文章にして不特定多数の人に伝えることなどどうしてできようかと思う。しばらく置いて読みかえすと「なんだこれ」と意味不明な文章に唖然とし、一からまた書き直す。そんなことばかり繰り返している。 さりとて私は言葉を考え、書き続けている。それは長く唸ったのちに突如やってくる閃きや、思ってもみなかった世界への導き、また
書けないひと とにかく書かない。違う、書けない。こんなんじゃ「書き手です」などと言える日はいつになるのか……ほんとうに自分がいやになる。 そもそも机の前に座ることが好きではない。集中力も根気も足りない。得意なのは妄想だけで、論理的に考えることもできず教養もない。気が向いてもパソコンに打ち込まれる稚拙な言葉や文章が嫌になり、すぐ書くのを止めてしまう。目標としてきた阿波しらさぎ文学賞を受賞してからもこの姿勢は全く変わらないのだから自分でも呆れてしまう。「作家」を目指している人
20210912 授賞式が終わった。コロナ禍でどうなるかやきもきしたので、とにかく無事に終わってほっとした。極度の緊張で自分が何を話したかあまり覚えていない。ただ、始まって、まずは互いの作品の感想だろうと高をくくっていたらいきなり「なかむらさん何か選考委員の二人に質問は?」と司会をしていた佐々木会長にふられて頭が真っ白になったことは覚えている。いきなり最終のコマ割りかとびっくりした。後日動画配信されるのであの時の自分の慌てる表情をじっくり見るのが楽しみだ。ハプニングは嫌いじゃ
202109065年以上に前に「フツウ?」というエッセイを書いた。https://note.com/tsunagaru0607/n/n75e690b9782c 皆当たり前みたいな顔して暮らしているけれど何も問題を抱えていない人など誰もいない。(中略)人はその基準すら曖昧な「普通」という言葉を測りに、自分が幸せかどうかまで確認しようとする。「世間並」「平凡」などと言葉を変えて、自分が異常でないことに安心し、一方で特別な才能がないことに落胆し、「普通でもいい」と呟く。 こんな
20210905 記憶におそわれる「ぬはーーーーーー」 自転車に乗っていたり、洗濯ものを干していたり、気を緩めたとき、前触れなく突然やってくる感情がある。耐えられず首をふりふり、顔を左右上下に歪め、短く叫んでしまう時もある。 私の頭の中に突然よみがえるのは「恥をかいた記憶」。 実は今朝も庭の水撒き中に過去の恥に悶絶させられ体をくねらせた。 仕事、人間関係、恋愛、ありとあらゆる恥や失敗の体験が少なからず私にもあって、それがジュークボックスが自動的にレコードを選んでくるように、
20210904 何のために所有しているのか雨上がり、一段涼しくなった庭にでた。多肉植物が並ぶ木箱を眺めると、黒くなったのがひとつ、ふたつ。触れるとざっと葉が全て落ちた。 この夏も私はいくつダメにしてしまったのか。 モノをあまり持たないと書いた後でとても恥ずかしいけれど、元来私は収集癖で過去には映画のチラシや古いパンフレット、牛乳瓶まで集めていたことがある。最高で百数十鉢所有したこの多肉植物も私の癖のなすところだ。しかし自生地が違うものを同じ管理方法で育てることなどでき
20210903 いつでも逃げられるように うちの家は、なんというか、音がよく反響する。おそらくはモノが少なくて大きな家具もないからだと思う。がらんとしているので、入ってきた時、寂しげな部屋だと感じる人もいるようだ。もう何年も住んでいる私でさえ「まるで引っ越し前の部屋のようだ」と感じることがある。 昔からモノを持たない主義だったわけじゃない。十年以上前、蓄えたモノをごっそりと捨てる機会があったのだ。事情があって車のトランクに詰めるだけの荷物と共に当時暮らしたアパートを出て
20210901 タイマンならぎりぎり張れる 2学期初日の息子のお迎え。久しぶりの小学校に緊張したのは息子だけではない。 すぐ目の前に談笑する保護者たち。何度か言葉を交わしたことがある。何なら日傘刺してる方は連絡先も知ってる。幼稚園も一緒だった知り合いだ。しかし盛り上がる彼女の視界に私は入らない。日傘女がこちらを向いた。表情を和らげようとしてやめた。彼女の視線は私の後ろ、今やってきたもう一人の日傘女に注がれている。親しげに引き入れ、目の前の二人組は三人組になった。 オカシ
20210831 受賞の喜び、そして感傷 「阿波しらさぎ文学賞」を受賞した。電話で知らされた時の戸惑いと、その後にやってきた極まりを今も思い出せる。こんなことが自分の人生に起こるとは思いもしなかった。27日には作品が公開され、Twitterで繋がる人たちや書き手仲間から感想をいただき、その喜びや有り難さは言葉にすることができない。一方で地元ではどうか。これが上手く言えない。「ぎくしゃく」とか「見えない視線が怖い」と言ってもいいかもしれない。昨年も同じだった。何だか居心地が悪
ブンゲイファイトクラブ本戦出場作品「ミッション」を朗読してみました。 ※一番最後で間違っちゃいました(美術館→動物園) 撮って出しならではですね(゚∀゚)
気になる薬局 300坪はあろう畑の角にその小さなT薬局はあった。昼夜共にいつもシャッターが閉まっているのだからもう辞めてしまったのだろう。唯一稼働していたのは、家族計画の販売機のみ。 夜になると煌々と照らされる販売機を眺めながら前を通った。当時借りていた駐車場からマンションへの歩く道沿いにあったためだ。 しかし、もったいない。その地域はマンションは多いわりに宅地はまだ少く、平静な雰囲気に家を建てたいと思う人は多いだろう。この自販機のためだけに300坪。宅地にすれば4区
面倒な性分子供の頃から怖がりで空想癖。ちょっと面倒な性分でした。 ・電柱(もしくは建物)から次の電柱までは、息を止めてたどり着かないといけない。ミッション失敗時は爆発する。小さな石ころをずーっと家まで蹴っていかないと地球が滅亡する。というネガティブ妄想癖。 ・寝ている間に死んだらどうしようと恐怖でパニックになり両親を困らせる ・「ゴーストバスターズ」を観て、一人でトイレに行けなくなる そんな私が大人になり、それまでのストレスや諸々の疲れで、原因不明の微熱と身体中の痛
「家って1千万円くらいで建ちますか?」 初めて建築デザイン事務所に電話してこう聞いたのは5年前でした。 そして打ち合わせの時、最初に要望したのが 「不安にならない家。地震も泥棒もお化けも何もかもが怖いんです」 設計士さんに逃げられなかったのが幸運でした。 結論として、家は1千万円では建ちませんでしたが 「ほぼ安心して暮らせる家」を建てることはできました。 なにぶん不安症なもので、最初から最後まで全て見張らせていただきました。 地盤調査からずっと見張りましたよ。