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人の爪を笑うな

20210831 受賞の喜び、そして感傷

「阿波しらさぎ文学賞」を受賞した。電話で知らされた時の戸惑いと、その後にやってきた極まりを今も思い出せる。こんなことが自分の人生に起こるとは思いもしなかった。27日には作品が公開され、Twitterで繋がる人たちや書き手仲間から感想をいただき、その喜びや有り難さは言葉にすることができない。一方で地元ではどうか。これが上手く言えない。「ぎくしゃく」とか「見えない視線が怖い」と言ってもいいかもしれない。昨年も同じだった。何だか居心地が悪かった。不思議な感覚だった。称賛されているのか馬鹿にされているのかわからないのだ。受賞を知って連絡してくれた知人もいたが、褒められて素直に喜ぶと「出世した人とは付き合えない」と縁を切られたり、知っているのに知らないふりをする人もいた。……何だか意味の解らない状態に、メンタルの弱い私は耐えきれず体調を崩してしまった。
同じ失敗はしない。だから大賞受賞をしても今年の私は恐ろしく慎重だ。とても面倒くさい。「やったぜーい!ブイブイ」と叫べない。こういうのって何だか悲しい。

 世間的な自分の印象はどうだろうか。在宅して庭で水撒いている印象はあるかもしれないけれど、もう何年もスーパーにさえ通えていないほど「特別な要件や仕事以外は外出せず、人との関わりを避けながら家に引きこもっている」とまではひょっとすると思われていないかもしれない。それは「フリーアナウンサー」という肩書のすり込みもあるだろう。当然だ。しかし、他の人同様、職業が性格を表すことは全くない。6年前に不安神経症を発症して以来、優先順位を決めて、以前の何分の一になったできる仕事を昼寝を挟みながら少しずつこなしてきた。今では随分回復した。最初は五枚が限界だった書く体力も随分ついた。つくづく「書くこと」と出会えてラッキーだった人間だ。

 同じように「阿波しらさぎ文学賞」の書き手としてはどうだろう。徳島の物語を書いて受賞したからと言って、徳島を人一倍愛しているわけでもない。ただ、ここで生まれて育った。それだけだ。むしろここで暮らすのが嫌で17歳で大阪へ逃げだし、未だここでの生活に苦手意識を持ちながら生きているというのが正直なところだ。だからこそ、私が書く徳島の物語はどうしたって不安の色が濃いのかもしれない。

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