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ステキな文章はこだわりの珈琲からドリップされる

それは岡山駅で出会った。

モール内の珈琲専門店。ゆるい鬼のイラストがあしらわれたドリップパックが並ぶそのかたわらに、手のひらサイズの小箱が積まれている。

スライドさせて開けてみると、ころん、と珈琲豆の形をしたレンガ色の陶器が出てきた。消しゴムくらいの大きさなのに、手にはずしっと重みを感じる。飾りにしては少々味気ないし、何に使うんだろう。


「珈琲に入れると味が変わるんです」


後ろからかわいらしい店員さんが近づいてきた。

「えー!本当に?」
「と、思うでしょう?」

いたずらっぽく笑って、箱をひとつ手にする。これ自体に甘みや渋みがついているわけではないのに、なんだか不思議。

「備前焼でできているんです」

取り出すと今度はチョコレート色。表面に灰色のざらざらがまぶしてあって、焦げあとがついている。


「同じ備前焼でも趣が全然違いますね」
「そう!焼き方が違うんです」


表情がパッと明るくなる。執筆のおともに珈琲でもと軽い気持ちで覗いただけのに、なにやらスイッチを入れてしまったらしい。次々に箱を開けて、こっちがね、と説明してくれる。

タピオカが似合いそうな今時のお姉さんなのに、聞き慣れぬ用語がよどみなく出てくる。触れる手つきもひとつひとつ慈しむよう。もしや彼女の作品……!?と圧倒されていたら、頭に全く入ってこなかった。


いつのまにか陳列台にはとりどりの珈琲玉がころころと広げられている。色がまだらになもの、赤みが強いもの、全体がざらざらしているもの。焼き方は2種類だが、灰の当たり方や色の出方はそれぞれ。

「同じものはひとつとしてない、一点ものなんです」

消費するだけの実用品でも眺めるだけの芸術品でもない。生活の中で使いながら愛着を育てていく。

それはちょっとロマンチックかも。くらりと心が揺れて、まだ開いていない箱に手を伸ばす。


現れたのはするんとムラのない深紫。行儀良く収まっているさまは気品すら感じる。少し傾けてみると表面が白銀に光った。見る角度によって茶色、ピンク、赤、みるみる表情を変える。うっとりと息がもれた。

「ああ、これは美しいですね」

隣でお姉さんもつぶやく。

焼きものを”美しい”と感じたのは初めてかも。私にもそんな感性が眠っていたのか!

と思うとなんだかうれしくなって、気づいたときには買い物袋を手に提げていた。




早速、一緒に購入した備前焼専用のドリップパックで試してみる。

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珈琲は執筆のここぞ!というときのマストアイテム。香りを吸い込むとせかせかしていた心が落ち着いて、すうっと感性が研ぎ澄まされる感じがする。せっかく世界にひとつだけの珈琲玉をおむかえしたのだから、私なりの最高の一杯を淹れてみよう。


というわけで、カップも一張羅ならぬ一個器を。1年前に野村亜矢さんの個展で一目ぼれしたのだが、奮発しただけに壊してしまうのが怖くて実は一度も使っていない。大切にしているつもりで、心のどこかに申し訳ない気持ちがあったから、きっとこれもいい機会。

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まずはやかんを火にかけて、ぐらりと気泡が上がってくるのを待つ。お湯の量は気持ち多めに。カップを温めておくと、淹れたての風味をゆっくり味わえる。

そうだ、その間に。ちょっと思い立って本棚へ。1冊の本を抜き取り、お気に入りのページを開く。

コーヒーは生きもの。
こっちの気持ちが伝わります。
人と同じ、愛情をもって接すれば
ちゃんとこたえてくれます。
(猪田彰郎『イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由』p.18
アノニマ・スタジオより)

京都の名店イノダコーヒー三条店の店長として、何千、何万杯分の幸せを届けてきたアキオさんの言葉。今パックの中で眠っている珈琲は私のために待っていてくれたんだな。余計なことは考えない。おいしい珈琲を淹れることにきちんと向き合う。


封を破ればふわんと香ばしい香り。ゆったりと体の底にたまって息を染めていく。そこへ沸きたてのお湯を。しっとり濃く濡れてふくふくふくらむ。深いアロマがキッチンいっぱいに。

重くなったパックを上げると、ぽとんと一滴。広がっていく波紋のふちまでにごりがない。カップの淡い水色とのコントラストも気持ちを上げてくれる。うん、上出来!

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それでは、やけどしないようにそっとひとくち。含んだ瞬間、ぶわっと挽きたてのようなくっきりした香りが鼻に抜ける。舌に残るほのかな苦みもエレガント。まるで上等の喫茶店で飲んでいる気分。


そのままでも十分だけど、ここで珈琲玉をぽちゃん。傷つけないよう慎重にカップを傾ける。おお、さっきより苦みがやわらいでまろやか!口当たりも頬の内側を撫でていくよう。

ふたくち、みくちと飲み進めるたびに風味は微妙に変化する。あますことなく味わおうと五感をフル稼働させると、ぼやけていた神経が目を覚ましていく感じ。よし、このままパソコンに向かえば思いっきり集中できそう。


それに、こうして丁寧に丁寧に珈琲を淹れると、今日という一日を大事にしている実感がわく。こんなあたたかい気持ちで書く文章はきっとステキだ。

珈琲玉は何度も使えるし、お酒に入れても変化を楽しめるとか。執筆中はもちろん、書き上げた後の祝杯のおともにもなってくれそうだ。


◎備前珈琲玉/little岡山

◎猪田彰郎『イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由』(アノニマ・スタジオ)


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