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安心するっていうか、そこにあるだけで安心することとか 未来について

4月に入り周りが新しい環境になったり上司が変わったりとありました
何となく最近思うことが
安心するってことについて

私は今の職場について、たまにnoteにも書きますが。。人は本当に良い人ばかりなのですが
色んなタイプがいます
会社や学校や、いわゆる団体に所属すればそんなものですよね
家族でさえも、合う合わないとか嫌な時良い時があるくらいだもの

でもね
毎日そこにいるとか、あるとか
そういったことで安心してる自分に気づくことがあって
毎日通う通勤路の街路樹もそう
毎年同じ時期に必ずある
毎年写真を撮るハナミズキ

所内では事務員は2人なんだけどね
その子の車がないと、来てないのかなぁっていう
不安じゃないけどなんかざわつく自分がいたり

そういうのって、ふとしたときに感じるものだと思うの
見えると安心するっていうのかな

そして、それはどんな子供にとっても親ってそうだと思う
色々あるけど最初生まれた時から反目し合う親子はあまりいないと思うし
大きくなるにつれて
親側からの想いや子供側の想いに違いが出てくる
それも社会に出るための練習なのかもしれない

と最近思い始めた

自分は親かではなくて
誰もが誰かの子供ではある

超超高齢化という現実も重く若者にのしかかるけれど、、高齢者の方達の生きる希望とか生きやすさとか
世代間で重荷にならないような、生きやすい良い暮らしってなんなんだろうなぁと
少し前から考えている

安心するってことと少しずれてしまったけど
子供の未来と親の未来
自分は何ができるのだろう

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