『宗教化する現代思想』仲正昌樹
【まえがき】
現代思想を好む読者を敵に回しそうな、センセーショナルな表題だ。
筆者は現代思想界隈では、初学者向けの解説本を多数出版している(『集中講義!日本の現代思想――ポストモダンとは何だったのか』、『今こそアーレントを読み直す』及び『プラグマティズム入門講義』等)ことで有名であり、現代思想を批判する立場というよりは、むしろ現代思想そのものを養護する立場である。
不思議なタイトルだなあ、と思った。
また、現代思想を少しでもかじっていれば、分かるのだが、現代思想は思想・哲学の言語ゲーム化をもたらしており、思想自体が宗教化する可能性は低い。そういった点からも不思議な印象を受けた。
ただ出版社が、光文社新書であると言えばピンとくる人も多いだろう。
この頃の光文社新書は、売れれば何でも良いの精神で、ケレン味たっぷりのタイトル連発していた。加えて言えば、現代思想では異例の売上の東浩紀の『動物化するポストモダン』のパロディタイトルにしたかったんだろうなあ、と。もちろん、そういう販売戦略も含め、実に光文社新書的である笑
【解説】
さて、表題の問題はさて置き、内容についてだが、いたって、真面目であった。一言で表せば、『現代思想から見た、初学者向け哲学史』解説書であった。いつもの仲正だ。
プラトン以降の哲学からマルクス主義までにおける形而上学的及び宗教的側面を見出し、過去の哲学を解体していく。近代哲学以前の孕んでいた問題点を平易な言葉で解説し、初学者にはもちろんのことだが、思想好きの人についても楽しめるようになっている。
しかし、著者の哲学への執拗な解体姿勢、最後の相対主義者であるとの宣言は、答えを求めている読者にはしごを外された気持ちにさせるだろう。哲学知ったところで、何も変わらないじゃん、と
著者は徹底した相対主義者ではあるが、完全なニヒリストではない。
『無論、「人間の条件」として言語的コミュニケーションを最重視することによって解放の〝政治〟に対抗しようとするアーレントの議論にも形而上学的なところはある。言論活動を通して、外的な利害関係や暴力衝動から自由な「人間性」が形成されるというのも客観的に証明しようのないことであり、そんな実体なぞ最初からないと見るべきかもしれない。ただ、彼女のコミュニケーションの形而上学は、解放の形而上学にある程度の歯止めをかけるうえでは有用であるように思われる』第4章、Kindle版1,557ページ
解放の形而上学を論理的に解体するのではなく、コミュニケーションの形而上学と対決させる。この手法は実に弁証法的であり、形而上学を否定する著者の姿勢に反し、相対主義の徹底を遠ざける。
解放の形而上学を解体するのにも本書で取っている手法を書けばよいのに。
なぜこのような一文を記述しているのか?
また、ここで気になるのは最後の文に『有用』と表現しているところである。
ちなみに、本書において、語義の解説以外で『有用』という言葉を使用しているのはここ以外にない。
思想・哲学的には相対主義を取りつつも、社会を、別に変化させる方法として、「あえて」こう書いたのであろう。相対主義を取る(取らざるを得ない)からといって、何も語れないというわけではない。
筆者の公共哲学・政治哲学的な側面をアーレントを引用して、打ち出しているのではないか。
過去に起きた問題を避けるために−−より良い社会ではなく−−必要なアプローチを考えているのではないか。
これは完全に偏見だけど、頭いい人って、ほんと、なんだかんだアーレントとかハーバーマスに落ち着きがちですよね笑
皆さん熟議がお好きなんですよね笑
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