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乳がんが分かって転院するまでの話

自転車で行ける距離の総合病院で乳がんの診断、宣告を受けた。

そのとき、ドクターから、「うちの病院では再建はしていないので、まだお若いので、再建できる病院を探したほうがいいかもしれませんね。探してこられたら紹介状を書きますよ」と言われた。

取った乳房を新しく作ることを「再建」というなんて、ちょっと面白いと思った。建物なの?笑。まあ、正直このときは宣告直後で、ちょっと面白いと思ったのは、もう少し時間が経ってからだったと思う。

私はとにかく悪いものをすっかり取ることができればそれでいいと思っていた。元々大きな胸じゃないし、片方平らになったってどうってことない、とは思った。でも、ドクターはそう言うし、先に乳がんを経験していた友人も再建していたから、この年齢では再建ってするものなんかな、と思って、言われるままにいろいろ病院を検索した。

大きな病院の予約って、しかも初診だと、電話してすごく待たされて、とにかく面倒なイメージだった。検索した中に、初診の受付からメールフォームでできる病院があった。特に電話が苦手な私にとって、これはとてもありがたかった。割と有名な教授もいる大学病院だった。乳がん手術件数でもトップクラス。最寄り駅から電車に乗れば乗り換えなしで行ける。

電話は一本もかけずに、最初からここにメールフォームで問い合わせ、けっこうスムースに初診の日が決まった。それで、最初の病院に紹介状を書いてもらって、MRI超音波の画像などをCDに入れてもらって、それから私の細胞を載せたプレパラートなども持たされ、転院先の病院に行った。

この時は夫も同席してくれた。

この病院の有名で優秀な人気の高い教授に診てもらうのが最善だったかもしれないけど、私はとにかく早く診察してもらいたかったので、医師を指名することなく、最短の日程で初診の予約を取った。

呼ばれて診察室に行くと、若い男の先生だった。若くてイケメンなのが逆に私を不安にさせた。腕は大丈夫か?って。しかし、その人がそのまま私の主治医になった。帰ってからHPでスタッフの紹介を見て、他のドクターは持っている資格がたくさん書かれているのに、その医者は資格が一切かかれておらず、趣味の欄に「サーフィン」とあって、ますます不安になった。。。

結論から言うと、この心配は杞憂に終わり、このドクターは若いのにとてもまじめで優しく、腕もなかなか良いと私は思った。というのも、手術後すぐから、腕がほぼ真上に上がる状態だったからだ。

私は全摘と再建を前提にして転院してきたけど、温存にこだわることもできたのかもしれないと今になって思う。医者に「どうしたいですか?」って言われて、全然ピンと来ず、「一日も早く悪いものを取ってほしいです」と答えた。「全摘でいいですか?」「はい全摘でお願いします!」って感じで。

しこりの場所からも、温存が可能だったかもしれない。最近は温存希望だと、まず手術の前に抗がん剤でしこりをできるだけ小さくしてから手術になる場合が多いようだ。でも私はとにかく癌細胞を体の外に出したかったから、温存にしたいなんていう気持ちは全くなかった。

温存だと、取り残しがあるような気がした。全摘にしたほうが予後が良いですか?と聞いたら、全摘も温存も予後は同じです、と言われた。それでも全摘を選んだ。なんでだろう。今思うともっと落ち着いて考えておけばよかったのかもしれないけど、まあ、そんなに後悔はしていない。

術前の抗がん剤治療で、思ったようにしこりが小さくならなければそれはそれでショックだし、全摘も温存も予後が同じということは、結局再発したら同じ悲しい経過をたどることが多い、ということだろう。

たしか、転院先の初診日は11月9日だった。この年は、小林麻央さんが乳がんを発表された年でもあり、不安な人が乳腺外科に駆けこんでいたから、どの病院ものすごく混んでいたようだ。統計的にも、この年は乳がんと診断された人が多かったのじゃなかろうか。

そして1日も早く手術を!という私の希望に対して、次の手術室の空きがある日は最短で約1か月先の12月7日だった。もちろん、その日に手術をすることにして、手術の前の様々な検査の予約を取って、転院先での初診の日を終えた。

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