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ショートショート。のようなもの#6『想い出テラリウム』


 真夜中。ようやくうとうとし始めた頃に、玄関のドアをノックする音で、僕は目を覚ました。
「…まったく。こんな時間に誰だよ」
 渋々、ドアを開けた僕は目の前に立っているソレを見て、僕は度肝を抜かれた。
 そこには、なんと全身が緑色の女が立っていたのだ。

「…ん?なんだこれ?寝惚けてるのかな?夢でも見てるのか…」

 目をゴリゴリとこすってから、改めて見たが、確かにそこには全身が緑色の女が立っていた。
 それも、服を着ていて全身が緑色になってるわけではなく、真っ裸だ。ということは、皮膚の色が緑色なのだ。しかも、その皮膚は人間の肌の質感ではなく、モケモケしていて、ぐっしょりと湿っているように見てとれる。

「なにが起こっているんだ」

 そんな全身緑色の女の頭部らしきところからは、黒いロングヘアーが生え、べっとりと腰の辺りまで貼り付いてる。
 だから、直感的なジャッジでソレを“女”だと認識しただけで、本当はナニモノかわからない。とにかく不気味だ。
 迂闊にドアを開けてしまったことを後悔しながら、恐怖のあまり体が硬直して身動きが取れなくなっているところで、そいつがしゃべりかけてきた。

「夜分遅くに申し訳ございません。私は、あのときに助けて頂いた“苔”でございます。」

 僕は完全に思考が停止していたが、なんとか声をしぼり出した。

「…は?」
「驚かせてすみません。あのとき助けて頂いた“苔”でございます」
…コケ?コケってあの苔か?こいつは何を言っているんだ。完全に頭がおかしいのだろう。現実を理解できないイライラと睡眠を邪魔されたことへの鬱憤もあり、僕は、開き直って言い返してやった。

「えーっと、何かのイタズラですか?…なんなんですか?イタズラなら帰って下さいよ」
「いえ、イタズラではございません。そして、私は、決して怪しいモノでもございません」
「いや、怪しさしかないです。警察呼びますよ」
「ちょっと待ってください。私の話を聞いて下さい。私は、今日のお昼にあなた様に助けて頂いた“苔”なのでございます」
「は?」
「あなた、今日のお昼に山登りをされてませんでしたか?」
「山登り?してましたけど」
「私は、そのときに助けて頂いたのです。最近の水不足で干からびそうになっていた“苔”の私に水分をかけて下さったでしょ?それで私は、命拾いをしたわけでございます」

水分をかけた…?あっ。おしっこだ。
急に襲ってきて尿意に耐えられなくて仕方なしに…

「本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げてよいやら。あれから、体調もすこぶるよいのでございます!」
 体調もいい?そういえば、なんか、昔はおしっこを畑の肥料にしてたと聞いたことはあるけど…
「いや、すみません、そんな、感謝されるようなことは、なにも」
「そんなご謙遜なさらなくても。失礼でなければお伺いしたいのですが、あの聖なる水は一体どこからお出しになったんでしょうか?」
「…え、いや~、まぁ~、この辺?」
僕は股間の辺りをフワーッと指さした。
「ははぁー!こちらから!?これはこれは!なんと神々しい!ありがとうございまする!ありがとうございまする!」
 苔女はその場にひざまずいて、僕の股間を拝み始めた。
「ちょっと、やめてください…」

 僕は、正直にあれはおしっこだったと伝えたが、おしっこの概念がない苔には、伝わりきらずに、ただただ有難いモノでしかないようだった。
 だから、もしものときのために“容器に入れて持ち帰らせてほしい”だの、“世界の干ばつで苦しんでいる地域に、上空から降り注がせてほしい”だの懇願された。もちろん、全て断った。

「ということなんで、そういうお願いに来られたならお引き取り願えますか?」
「いいえ、すみません。今のは余談でして、ここからが本題なのですが、そのような理由で私が助けられたのであなた様に恩返しをしたいと思いお伺い致した所存でして」
「恩返し?」
「そうでございます。あなた様に喜んで頂けるサービスをご提供しようかと」
「サービスって?」
「この名も“想い出テラリウム”でございます」
「おもいでテラリウム?なんですか?それ」
「苔テラリウムというのをご存知でしょうか?簡単に言うと盆栽の一種なのですが、苔や小石、水や木などを使いまして、小さなガラス瓶の中に自然を拵えるのが苔テラリウムでございます。小川や滝、原生林などがジオラマのように、ガラス瓶の中に息吹くのでございます。そして、私が提供いたしますのが、さらにもう一歩上の“想い出テラリウム”というサービスでございます。この“想い出テラリウム”というのは、あなた様が想像した幼少期の懐かしい風景や、温もりのある景色をガラス瓶の中に再現致しまして、そこへ入って想い出に浸って頂くというサービスでございます。それはそれは幻想的でキレイなものでごさいますよ」
「はぁ…。そんなことが現実にできればすごいことですけど」
「もちろんできますとも。ただの苔がこのように、女の姿になってるんですから、私の力は実証済みでしょ?」
「いや、まぁ、そらそうですけど。でも結構です。お断りします」
「え?断る?なんで?」
「いや、僕、別に想い出したい過去もないですし、浸りたい想い出もないですから」
「そう仰らずに、なにか楽しかった想い出ございますでしょ?」
「本当にないんですよ。僕は、小さい頃に父親が蒸発して、そこから女手一つで母に育てられて、貧乏を理由に辛いイジメなんかを受けてきましてね。
生きてても楽しいと思うことなんか一つもなかったですよ」
「…それでは、そのお父様にお会いするとか」
「そんなの会いたくないですよ。だって、あいつ、僕らの生活を知ってか知らずか、中学くらいのときに急にどこからかフラーッと現れて“やり直すために帰ってきた”とか勝手なこと言いやがって。だから僕、思わず河川敷で掴み掛かって…まぁ、とにかく想い出したい過去もなければ、戻りたい場所もないですので」
 薄暗い室内で、古い水道の蛇口から、ぽちゃん…ぽちゃん…と水が滴り落ちる音だけが響いていた。
 苔女はしばらく黙っていたかと思うと、意を決したように口を開いた。
「…それでしたら、うちへお越しになりますか?いや、お越しになってください。うちには、過去に想い出テラリウムを体験された方のテラリウムや、中には、もう帰りたくないと言って“一生暮らし”のプランをお選び頂いて想い出テラリウム内に移住してる方々のテラリウムが沢山あります。ですから、あなた様にも見て頂いたらきっと、心が癒されますので、ぜひ」

 次の日の夜。僕は気が乗らなかったが、苔女の語気から何か強いモノを感じて、吸い寄せられるように、教えられた苔女の家へ行ってみた。

 そこは深い森の中で、木々に埋もれるように建った小さな一軒家だった。
 もちろん、入り口がどこにあるかわからない程の苔だらけ。
 依然として、吸い寄せられるように中に入ってみると、僕は思わず息を飲んだ。

 六畳程の小さな部屋は、真っ暗で、唯一ある小窓から微かな月明かりが射し込む程度。
 そんな部屋の中に、そこら中からLEDライトで照らされて幻想的にひかり輝く“想い出テラリウム”らしきモノがびっしりと、棚に陳列されていた。

 僕は、うっとりとして言葉を失っていた。

 すると、どこからか苔女が現れた。
「やっぱりいらっしゃったんですね。どうぞ、どれでも好きなのをご覧になってくださいませ」
「あ、ありがとうございます」

 僕は、気がついたときには童心に帰って、目をキラキラさせながら部屋中の“想い出テラリウム”を眺めて回った。小さなガラス瓶の中には、様々な世界が広がっていた。

“太陽が燦々と降り注ぐ河原。小川がらさらさらと流れている。これは、家族だろうか?男性と女性、男の子と女の子。四人が河原に立てたテントの隣で、楽しそうにバーベキューをしているテラリウム…”

“すごい!打ち上げ花火だ!真っ暗なガラス瓶の中に小さな打ち上げ花火が上がっている!そして、それを見上げているのが、河原に三角座りをした浴衣姿の中学生くらいの男女。微妙な距離を保っている。
男の子の手が無駄に草をむしったりもじもじしている。手を繋ぎたいんだろうか…”

ほかにも

“薄らと雪化粧をした金閣寺。それを車椅子に乗ったおじいちゃんが、ポーッと眺めているテラリウム…”

“桜の花びらがひらひらと舞い散る公園。やさしい陽射しの中、公園沿いの道を走っているのは、新米ママだろうか?ぎこちないスーツ姿とパンプスで、必死に小学校の門へ向かって走っているテラリウム…”

 とにかく、全てが美しい。そしてなぜか、少し悲しい。
 胸を熱くしながら、時を忘れて“想い出テラリウム”に浸っていた僕に、苔女が静かに声をかけてきた。
「こちらのテラリウムに、見覚えはございませんか」
「はい?どれですか?」
 
 苔女が指をさした先にぼんやりと輝くテラリウム。
 それは、僕が幼少期から中学までを過ごした地域の河川敷だ。
 季節は秋だろうか?真っ赤な夕陽のなかを赤とんぼが数匹飛んでいた。
 そして、その河川敷に、全身がびちょびちょに濡れたみすぼらしいおじさんがこちらに背を向けて、ポツンと、しゃがみ込んでいた。

「…おやじ?」

 僕は幼い頃の微かな記憶から、それが自分を捨てた親父のような気がした。

 刹那、僕は想い出した。─中学三年生の夏休みが明け二学期に入った頃だろうか。
 女手一つの貧しい暮らしの中で育てられて僕は、高校へいくか、町工場へでも就職するか、焦燥感を抱きながら進路を迷っていた。
 そして、この河川敷でいつもしゃがみ込みながら、力なく小石を放り投げたり、寝そべったりしていた。

 そんなある日。突然、見知らぬおじさんがヨタヨタと近づいてきて、声を震わせながら僕にしゃべりかけてきた。

「…おう。テルアキ、元気にしとったか」
「はい?誰ですか?」
「あぁ、そら覚えてないわな。お前の…親父や」
「…はぁ?おっちゃん、何言ってるんですか?悪いけど、僕には父親はいないんですよ~」
 僕も直感で、この人が自分の父親だと思ったが、認めたくなかった。

「いや~、まぁそらそうやわな。そう言うわな。すまんな、テルアキ。違うねん。聞いてくれ。あのときはそうするしかなかったんや。ツレに借金の肩代わりをさせられて…お前らに迷惑かけるわけにはいかん思て。仕方なかったんや。許してくれ。もう一遍、お母ちゃんと三人で一緒に暮らしてくれへんか。“やり直すために帰ってきたんや”」
「“帰ってきた”?、何訳わかんないこと言ってんだよ。…もしそうだとしても、僕やお母さんの苦労も知らないで何を今さら!どの面下げて会いに来てんだよ!今までどんな思いで過ごしてきたと思ってんだよ!顔なんか見たくないよ!帰れよ!二度と僕の前に現れんなよ!」
 気がつくとそれらの言葉を浴びせかけていた。
 しかし、さらにそのおじさんは、僕の肩に手を当てて、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流して訴えかけてきた。
「頼む!頼む!な、テルアキ!わしが悪かった!」
それでも、僕は素直になれず、そのおじさんの手を振り払おうと揉み合いになり。
 そのまま河川敷を転がり…僕だけがドボーン!と川へはまってしまった。川は、前日の大雨で増水し、ゴーゴー!と唸りながら濁流と化していた。咄嗟におじさんは手を伸ばしてきたが、僕は藻掻き苦しむ間もなく、あっという間に濁流に飲み込まれ、流されていた。その中で、僕は何とか口をパクパクさせながら声にならない声で
「助けてー!ねー!助けて!お父さん!!」
と、叫んだ。
 すると、おじさんも急いで服を脱ぎ捨てたかと思うと、一切の躊躇なく濁流の中へ飛び込み、僕のほうへ泳ぎ始めた。

…ゴーゴー!ゴーゴー!

「お父さん!助けて!!」
「今行くから!待っとけ!!今いく!」
「あー!あー!早く!!もう…ダメだ…」
「今いく!絶対に助けたる!お父ちゃんが絶対に助けたる!!」

 ドンドン流されて、濁流の中で出たり入ったりしてるおじさんの顔が次第に、小さくなっていく。

…ゴーゴー!ゴーゴー!

 もう声を出す体力を失った僕は、心の中で何度も叫んだ。

“お父さん!お父さん!お父さん!…”

 しかし、一瞬でも、あのおじさんを父親だと思おうとした僕の心は、パリンッと音をたてて簡単に、壊れた。父が諦めたのだ。

 何メートルかこっちへ泳いできたが、一定のところまで行くと、諦めてこっち来なくなった。岸へ上がって、自分は安全なところへ避難して「テルアキー!」と叫ぶだけだった。

“なんだ。結局、自分が一番かわいいのかよ”

 僕の心は完全に冷め切っていた。もうこのまま、流されてしまってもいいと思った。濁流に飲みこまれてしまえば、楽になると思った。─

「と、まぁそんなことがありまして。そのあとは運よく、救助隊に助けてもらえたんですけどね。ひどいでしょ!?あいつ!あーあ!せっかくキレイなテラリウム見せてもらったのに最後に嫌な思い出を思い出してしまったなー!」

一連の話を、ただ頷いて聞いていた苔女が諭すように語りかけてきた。
「それはあなた様の勘違いでございます。お父様は、助けに行きたかったんです。自分のことを顧みずに。ただ懸命に、あなた様のことを助けるために、泳いでらしたのでございます。しかし、それ以上は行けない、壁があるんです。数メートルいったところには、ガラスの壁が…。なにせお父様は、この“想い出テラリウム”で、あなた様に会いに行かれましたので。ですから、行きたくても行かれないのでございます。どんなに強く願っても。どれだけ助けたくても…。ほら、見てください。その証拠に毎日毎日、一日に何度も、それ以上行けないってわかっていても、あなた様を助けたい一心で、壁にぶつかりながら泳ぎ続けてるんでごさいます」
「…え?いや…、だってあいつは」

ふと、テラリウム見ると。

バンバン、バンバン…、バンバン、バンバン…

 何度も何度も、壁にぶち当たりながら、濁流の中を溺れそうになりながら泳いでる“父”の姿がそこにはあった。

「…おやじ。」

 そう一言つぶやくと、僕は、吸い込まれるように父の待つ“想い出テラリウム”の中へと入っていった。


                  ~Fin~











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