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人類の未来とか愛とか慈悲とか

  季節がめぐっても、僕は怏々として楽しまず、日々を暮らしていた。厭世的な考えにふけることが多かった。
 
 ある日、鬱状態の熱帯魚の開発に成功したというニュースを見た。すごい技術だと思ったが、怖くもあった。そんなことができるのかと思った。そこから僕の空想はふくらんでいった。
 
 これって人間にも応用可能なんだろうか。だとしたら、人を殺すことに快感を覚える人間や、生まれつき道徳観念をもっていない人間もつくれそうだ。いろいろな強化人間も。
 もしもどこかの国がそういう軍隊をつくったら、ほかの国がかなうわけがない。世界はその国によって支配されるだろう。
 そうしたらさまざまな宗教や道徳も崩壊してしまうにちがいない。昆虫と変わらない弱肉強食の世界になる。違うのは知能が高いということだけ。
 やがて地球を出て宇宙全体を掌握するようになるかもしれない。
 それが自然の趨勢なのかもしれない。もしもそうだとしたら、「愛」とか「慈悲」とかいった宗教的な観念やさまざまな道徳は、宇宙の歴史において、人類という種に短期間だけ生じた病的な妄想だ。
 いやだな。
 愛や慈悲が普遍的であると信じたい。そうでなかったらこの世界はただの地獄じゃないか。
 
 僕はそこまで考えてやめにした。鬱々とした気分だった。それから思った。
 
 世界がどうとか宇宙がどうとか、人類の未来がどうのこうのとか、関係ない。人間として今を幸せに生きよう。それで十分だ。それ以上を求めない方がいい。
 家族の幸せを願ったり、誰かを愛したりすることが、たとえ「宇宙」からしたら無価値だったとしても、人はそれを続けるだろう。そしてそれはとてもすてきなことだ。
 たとえこの世界が地獄だったとしても、そのなかで人間らしく幸せになることをめざす。それが人間にとって最善の行動じゃないか。人類の未来とか愛とか慈悲とか考えて悩んでいるよりも。
 
 そう思うと、少し気が楽になったような気がした。 

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