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永平寺にて、精進料理とドラえもん


夏休みのある日、子どもと『ドラえもん』を見ていた。

マンガに熱中しているのび太とドラえもんに、のび太のママがお使いを頼む。ふたりとも、面倒そう。

すると、のび太がニヤリと言った。

「よし、じゃんけんで決めよう!」
ドラえもん、大激怒。

「ひどいじゃないか、のび太くん! ぼくがグーしか出せないのを知っているくせに!」

そうだった。
ドラえもんの手は、つねにグーだ。足も。

そのひとことで、懐かしい記憶がよみがえった。


***

大学生の頃、永平寺に泊まったことがある。
新緑の美しい、五月初旬のことだった。

1泊2日の宿坊体験。

永平寺のごま豆腐を食してみたい、という、我ながらなんとも浅薄で食いしん坊な理由だったが、禅寺の代名詞、永平寺で、どんな修行がおこなわれているのか、少しでも体験してみたいという思いもあった。

その時、京都から能登半島、富山、金沢まで車中泊を続けていたから、永平寺では布団で寝られるだけでもありがたかったし、なにより、かの有名な精進料理をいただけるのだ。

夕方、入山した後、雲水(修行僧)の方が、寺でのきまりを説明してくれた。

「部屋から一歩でも出たら、言葉を発してはなりません。部屋の外では常に、こぶしと手のひらを合わせ、胸の前に置きます。誰かとすれ違う時は、そのまま静かに会釈をします。お風呂場でも食事中でも、話をしてはなりません」

「……」(無言でこくり)。

やはり、ただの宿ではない(当たり前)。


私はこの非日常の緊張感にどこか胸を躍らせながら、なんとか無言で入浴を済ませると、胸の前で手を合わせ、会釈をしながら食事会場へと移動した。広いお堂には宿泊者の御膳がずらりと二列、向かい合って並んでいた。

静かに着席をする。

煮物や和え物、お漬物など、派手さはないが、野菜ひとつひとつの切り方、盛りつけ方の細部にまで気を配られた御膳からは、命のみなぎりを感じた。

ごま豆腐を確認し、ひとり微笑む。

宿泊者がそろうと、禅寺での食事の考え方について、話があった。
曹洞宗の祖、道元禅師は、座禅や読経に加え、食事をつくること、食事をいただくことも大切な修行のひとつである、と説いたという。

五観の偈(げ)』(食事に感謝する五つの言葉)をみなで唱えた後、精進料理をいただいた。

ひとつひとつ丁寧に、手間を惜しまず用意された料理たち。

食べるのはおそいほうだったが、味わいたいという気持ちが、この時とくに強かったから、目で、口で、鼻で、いつも以上に、この時間を堪能した(言うほど大そうな感覚を持っているわけでもないのですが、最大限自分の感覚を駆使して味わいたいという一心でした)。

食べ終えてしまうのが惜しい。
そう思って周りをみると、大方の人が食べ終わっていた。
前方を見ると、やかんを持った僧侶が、列の端から進んでくる。

やかんで何をしているのか、最初はよく分からなかったのだが、どうやら、食べ終わったお茶碗に、お茶を注いでいるようだった。宿泊客はそれでお茶碗をきれいにしてから飲んでいる。

これはまずい、と、焦りだす。
自分の膳を見ると、料理はまだ半分以上のこっていた。

そこからは早かった。
惜しみながらちょぼちょぼ食べていた料理を、おもいきりよく、次々と口へ突っ込んだ。心ではもちろん泣いていた。

私は真ん中あたりに座っていたが、ひとり、またひとりと、僧侶が近づいてくる。

もう私の隣まで、という時に、ようやくぎりぎり食べ終えた。
間に合った! という達成感。いったい何をやっているのか。


***

食事のあとは、大広間で説法を聞いた。
内容は、大事なひとの『死』について。

じっと話を聞いていると、前列の数人が涙を流しているのに気づいた。それぞれが、ここへやって来た理由。想像して胸が詰まった。大学生だった私にははかり知れないことのほうが多かったが、それでも、あの時の光景が今でも胸に焼きついている。

九時に就寝。
早朝の座禅を希望し、床に就く。


***

真夜中の三時。
鈴のような、けたたましい音が鳴り響く。
ふらふらと起き、夢と現をさまよいながら、座禅の場所へと移動する。
(ちなみに、雲水は二時、食事係は一時半に起床らしい。)

お尻に座蒲(ざぶ)を置いて、呼吸をととのえる。
希望者は肩を叩いてくれるということなので、挙手。
前かがみになり、首を少し傾けて待つ。

パシーンッ。
部屋中に、威勢のいい音が響きわたる。
痛みより、こ、これがうわさの……といった類の、経験できた感動が込み上げる。目も覚めた。音ほど痛くないのは、叩き方がうまい証拠なのだろう。

***

五時。朝のおつとめに参加。
その後、寺内を案内してもらった。

広い境内は、七堂伽藍が長い回廊でつながれている。
五月といえば、もうそこそこ暖かいイメージだが、山の中の永平寺は驚くほど寒かった。早朝。まだ薄暗い時間。着れる服をすべて着込んでも身体がしんしんと冷え込んだ。なにより、板張りの廊下や階段は、ありえないほど底冷えした。

私は極度の冷え性だったから、靴下のなかの足は、みるみる固まっていった。鬼のように続く大階段や廊下。歩いているうち、指先がかちこちになり、自由に動かせなくなっていく。足の指の感覚がない。いつもの足が平面ではなく丸い石になったようで、いつこけてもおかしくなかった。

これは修行だ。これは修行だ。これはドラえもんだ。

私はいつしか心のなかで、そう、つぶやいていた。

ドラえもんの足はきっとこんな感じなのか、と。
ドラえもん、やっぱりすごいよ、と。

こんな状況でなぜ、ドラえもんが出てきたのか分からない。
ただただ、私は永平寺の凍える廊下で、これは修行だ、ドラえもんだ、と唱え続けた。


***

その後、朝食をいただいた。
白がゆとお漬物というシンプルなものだったが、冷え切った身体に、かゆの温かさがじわりと沁みわたるのを感じた。

朝の七時。
まだまだ冷え切った空気のなか、チェックアウトし、下山する。
七時の時点で、もう半日以上を終えたような達成感と疲労感に満ちていた。


***

哀しいかな、あんな状態だったからか、案内してもらった場所のことをほとんど覚えてはいない。それでも一箇所だけ、記憶に残った場所がある。

それが大庫院(だいくいん)だった。

食事をつかさどる台所。
長者さまの屋敷くらいの大きさはある、とても立派な建物だった。

台所がこんなにも荘厳で、修行の場所のひとつであるということが、当時の私にはとてつもなく新鮮だった。


***

こんな状況になり、一年半以上が経つ。
いまだ両親にも会えない日々。

不安や恐怖や憤りがうずまき、ぐらぐらと心が揺れることがある。
ドーンと落ち込み、心が深く潜ってしまうことがある。
子どもを育てていくなかで、我慢すること、我慢させることが多く、悲しくやるせなくなる時もある。

それでも毎日、食べて寝て、息をしている。
それだけで本当にありがたいことだとも思える。


外食は、以前よりずいぶんと減った。
毎食のごはんをつくるのは、楽しい時もあれば、めんどくさい時もある。
面倒でも用意しなければいけない時もある。

そんな時にふと、これも修行のひとつなのだと思えたら。
ただそれだけで、ほんの少し、心がやわらぐような気がする。

永平寺のように、大量でも、あんなに手間をかけられるわけでもないけれど、食事を用意し、そのいのちに感謝していただくことが、心をととのえる修行なのだと思えたら。ほんの少し、毎日がちがって見えるような気がする。

楽しみを模索しながら、淡々と。

毎日できることを自分なりにおこなっていくことが、いのちをつなぎ、心をととのえる修行になるのだとしたら。
そんな思いを胸に包んで、笑って毎日過ごしたい。





***

訪れていただき、ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
長々とまとまりのない文章ですが、食事の大切さを今あらためて感じているところです。

ままならぬことも多いのですが、記事を読ませていただいたり、書いたりすることで、保てるものがあることを実感しています。本当に感謝です。
みなさんの日々がどうか、おだやかでありますように。




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