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1年経て分かった大学生の『他人軸文化』

4月から復学し、1ヶ月が経ちました。
状態は、、うーん良くない感じ。
というのさえも発信することが最近ははばかれていた気がする。発信する意欲さえも削がれていたかな。

それもこれも、大学のような「目に見えない人からの縛られ」を感じる環境になった途端、自我と周囲の適合がうまくできないような感じがするからです。
つまり、自分らしくいられなくなるのがよく分かる。

自分の性格上仕方ない。が、理想がある。
毎度、諦めと理想の狭間で揺られる。
これがしんどい。船酔いみたいで。
船酔いしないためには自分が船の揺れなんか気にならないくらい、活発にエネルギッシュにいることだ。



大学生は他人軸だ。
1年ぶりにキャンパスにいる大学生を観察したり、大学生と接してみて感じること。

大概の人は他人からどう思われるかを気にしている。

ファッションも、クラスの受け方も、人との接し方も
大抵なんでも。

個性重視というよりは、モテるファッションをするし、

自らイキイキ発言するよりは、周りとの秩序を保っておとなしく先生の話を聞くし、

心を開いて楽しげに自然体でいるというよりは、
ひた隠している謎のプライドがあり、相手への尊重より自分の価値を上げようとムスッとした表情で頑としている。 

だれが命令したわけでもない。ただ各々が無意識に周りを気にしているうちにこうなっていくのだろう。
僕はこの文化が非常に違和感だし、なんだか精神状態が好ましくない方向になっていく感覚がある。

自分もそれらの他人軸風潮にだんだんと呑まれ、
(良く言えば順応しようとし、)
気づいたら周りのあの人にどう思われるか?が軸になっていく。

もちろん自分は自分の信念を大切に、自分らしくイキイキしていたいと思っているのだが、

そういった本当の気持ちを出していく機会も中々ないし、そういった価値観を一緒に気兼ねなく共有したり、貫いていける仲間と呼べる人とまだ出会えていない。
(気づいていないだけの可能性は大いにある。)


3月までは自分の好きなコミュニティにいて、
心に従って動いていくことが習慣になっていたけど、
やはり自分は周りの環境に流されやすい。

特に日常でどういう人と関わっているか?が何よりも日々の彩り豊かさに影響するかがよく分かる。

「本当はこうしたい」を出すシーンがないのが苦しい。
少し壁を作ってコミュニケーションを取ったり、
自然体な状態を無理に作ろうと意識している。

人からの評価を意識することが日常的になる分、
つい人のことを評価してしまうし、
そうなるとどんどんプライドが高くなって
人の良いところよりも欠陥点を意識的に見るようになる。

そして、ネガティヴになる。
心の声は汚くなる。
人にベクトルが向いている分、自分に集中できなくなる。そうして信じたい道から逸れていき、自分の道を進んでいない自分に自暴自棄になる。

僕はこの「他人にどう思われるか?」を意識する文化に過敏であるし、気づいたら染まってしまっている。

本当につくづく周りに流されやすいタイプだと思う。
良くも悪くもなのだが。

何か明確でなくても目標や叶えたいものへの熱さを秘めている・表出している人より、
コロナという社会的な不安も相まって、「安定」や「現実」「周りの人は…」に囚われている人が多いように感じる。

たぶん、自分の「やりたいの感性」に出会えていないのだと思う。
そもそも出会いに行っていなかったり、
あらゆるところに散見している良さげな手段・生き方にスルスルっと手が伸びてしまうのだろう。

素潜り漁で例えるなら、狙った獲物ではなく、
潜っているうちに現れるまずまず美味しそうな魚ばかりを突っついて、気づいたら本来狙ってた獲物を忘れてしまう…みたいな?(笑)

そして、そんな現実に対しても実はモヤモヤしているのに、そんなモヤモヤさえもコロナでありふれた「制限・制約」が影響して、発散するシーンが少ないのだと思う。

これは仮説に過ぎないが、 
自分がやりたいってビビっとくること以上に、
一般的に「こうするべき」というものや「こうであるべき」という姿になるために取り組んでいる人が多そうだ。



wantへとチャレンジする気持ちが薄く薄くなっていくこの文化が気持ち悪い。

そして、こう言っている自分も周りの大学生とそう変わりなく「べき」と「したい」の両立型であり、

wantなことだけに集中することに、まだ1人で立ち向かえるほど軸も信念も強くないのが情けない。


これが、他人軸がベースに根付いている日本社会のリアルだと思う。現実だ。
基本的に大学生はつまらない。自分も含め。

目に見えない「他者評価おばけ」が蔓延り、呪縛を生んでいる日本の風潮は、無駄と言ってもいい葛藤を生み出す。
非常にのびのびと生きづらい。



[呪縛…]
まじないをかけて動けなくすること。心理的な強制によって、人の自由を束縛すること。

ひゃーー恐ろしい、、。!


そして、何より恐ろしいのは

「他者からの評価にビクビクしていると、
自分を愛せなくなっていくこと。」

自分の心のものを排除して、自分を否定していくと
自分自身に自信が無くなる。

自分を肯定してあげないと、どんどん自分のことが嫌いになり、何もかも疑心暗鬼になって、自分も愛せない、人も愛せないという状態になる。

僕がだんだん心の余白が小さくなっていたように感じていたのはこれだった。
人を受け入れる器がみるみる小さくなっているのがイヤだった。

そんな苦悶を感じていたことが、少し日常から離れ、
やっと落ち着いて俯瞰して見えてきた。


やっぱオリジナリティを磨いていきたいな。

だからいつも自分は非日常な体験を渇望し、
普段かけているリミッターを発散し、自分らしくいられるような場を求めてるし作りたいんだな。


自分で自分の評価をしていい。
他者の評価より自分の評価。それが自分軸。


(けど、自分で自分を賞賛はしない。
「自分はこれでいいんだ」は良いけれど、
「これをやってる自分は素晴らしい」は基本的にしない。時に自分で賛辞を送ってあげることは必要だけれど、その方が自分にとって良いことにも気づけてきた。)


大学から1年離れた大学生がつらつら書いてみました。皆さんも日本にこんな文化があるように感じますか?
共感しますか?
そして、どう思いますか?

自分はやっぱりwantで生きる方を選択したいし、そんな生き方を重視したい。そしてそんな生き方している人と一緒にいたいし、そう生きたいと願っている人の支えにもなりたい。

そんな風に思えた大学再スタートの1ヶ月でした。

読んでくださりありがとうございます!🤲

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