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日本的ネーションの亡霊はお茶と共にさまよって

お茶、茶道をはじめたのは「日本文化を(より深く)知ろう」とか「真の日本文化を学ぼう」という思いからだった。あれはそう、大学に入りたての頃だったか。右傾化やスポーツの日本代表の時に盛り上がる謎のナショナリズム、経済が衰退する中「日本らしさ」にすがろうとする報道や財界・政界人の発言に対するアンチテーゼ的な態度もあったとおもう。

「○○ぐらい知らないと日本人として恥ずかしいかもな」

こんな感覚があり、○○にちょうど当てはまったのが茶道だったわけである。(そういう意味では、歌舞伎でも能でも、日本舞踊でも華道でも良かった可能性はある)

きっかけは「日本らしさを知る」ための「お茶への入門」だったわけだが、今は1周か2周して、日本らしさ云々以前に、お茶の道の持つ精神性であるとか、自分の身体と向き合う契機であるとか、美的感覚の体系だったり、学び続ける動機は文化そのものの面白さへと昇華している。

さて、学び始める時に「お茶は生粋の日本文化である」とか「お茶を学べば日本文化の深くを知れると思っていたのだが、その感覚はどこから来たものだったのだろう。Penやブルータスといった雑誌の特集に刹那的に感化されたと言うよりは、吸収してきた情報の中に絶え間なくその要素があったと言えるだろう。

お茶は「日本らしさ」の感覚とどの様に関連付けられ、位置づけられてきたのだろうか?「MTMG:日本らしさと茶道」はそんな疑問に答えてくれる素晴らしい本だった。

当然のことながら、茶道は単なる日本の象徴として矮小化することができないし、それよりもはるかに大きな存在である。このため本書は、この複雑かつ、長らく存在してきた茶道という実践の、すべての表象を総合的に分析することを目指してはいない。むしろある一つの、日本らしさと推定される側面を社会学的に探求することにより、当然視されることを維持する過程および労力を明らかにすることをめざしている。 (日本語版へのまえがきより)

第二章「茶を創る」から第三章「茶を営む」までで論じられる「茶道がいかにネーションのツールとしての立場を確立するに至るか」の流れは爽快だ。一種の芸能が「国家」ないし「国民」のしぐさ、身体性を暗黙的に規定するようになるまでの流れ、ある意味で、茶道のマーケティングについての記載である。

織田信長、豊臣秀吉が「いくさびと」としてのみでなく、文化人としても一級と見られたいという意識の発露の先として茶道を利用し、新しい侘びの美意識を独占することで文化を権力闘争の一要素として利用したことで、お茶とお茶の周辺のエコシステム(道具・建築等)は権力と不可分の要素になった。

徳川幕府の元の安らかな時代においても、大名が当然学ぶべき文化的・精神的素養として生き残り続けるのである。現在巷でよく現れる「千家の茶」(手続きが決まっており堅苦しそうな茶)ではなく武家茶道が広まった。千家の茶は寧ろ、大名と言うよりも庶民の方に広がっただろう(もちろん、千家は大名をパトロンにしていたわけだが、江戸幕府の茶頭など、統治権力に近かったのは寧ろ武家の茶だろう)

正統な権力と不可分になったことと、千家の家元が力を弱めたことが、近代以降のお茶に大きく影響することになる。明治維新以後、つまりは日本がネーションとしての「日本」へと自認を変える必要が出たときである。

例えば、近代の実業家たちは社会的地位を高めるために過去の支配層(大名や徳川家)との正統な連続性があると思われるように茶を用い、またお茶会によって作られるネットワークをビジネスに利用した。また、同時に古来から受け継がれてきた日本古来の美術品を買い集め保護することは一種の「愛国的な義務」となった。西洋の「美術」に対して「日本美術」という言葉が生まれたのもこれくらいの時代である。

この頃から少しきな臭くなる。茶道の目的が「道徳」と「礼儀」を発展させ、お茶は国家や国民に資するという議論がなされつつ、日本男子が学ぶべき「日本的」美意識としての茶道がすでに位置づけられ始める。西洋が入ってきた時に正統的統治権力としての結びついた「受け継がれてきた」美意識として茶道が認識されたからだろう。

さて、同時に、茶道は女子の教育に侵入することに成功する。「国家富強の根本は教育にあり、教育の根本は女子教育に在る」と森有礼が述べたように、女子の教育は重要視された。加えて、女子が学ぶべき教養・技芸として江戸時代の上層階級の女性が学んだ美的活動が取り入れられた。当然、ここに茶道も含まれる。女子向けの技芸を含む教本に2p-50pの茶道の解説が取り入れられ、濃茶や炭点前(初歩という感じではない手続き)も含まれたそうだ。茶道の解説には当然、立ち振舞などの身体的マナーも含まれるから「日本らしい女性」の「振る舞い」の基礎の一部に茶道は組み込まれたのである。

同時に、中国文化に対する日本独自の文化を大成した茶聖「千利休」の物語も生み出され、茶道の美意識が日本的美意識として教えられ始める。大名というパトロンを失った千家の家元の家を存続させるための(マーケティング観点では素晴らしい)アイデアとしての、教育の基礎への侵入である。

日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と戦争が始まるにつれ、このマーケティングは更に進む。日本民族と茶道は関連付けられ、礼儀作法と歴史の教科書を通じて茶道は国民に知れ渡った。「西洋化する日本へのカウンターとしての伝統的日本文化」を広め、「国民性を連想させるもの」として茶道は定着していった。

戦後も当然、この流れは残っている。現在でも「他人を思いやる」ことなどを含む「日本的なマナー」を体系的に学ぶことができるコースとして茶道の初歩は大いに利用されているだろう。日本的な立ち振舞や、着物を着た時に「美しく見える」ための歩き方・立ち方、身体の振る舞いにより、いわゆる「ガイジン」と日本人を差異化するための共通文法としての「お茶」は健在なのである。近代を超克したくて彫刻できない日本と、日本人の身体に宿る、一種のゴーストして。

1周目だとそういう「日本らしさ」と「茶道」を結びつける言説を目にする度に「なんだかそれじゃないんだよな」感を感じ、2周目に差し掛かると文化としての面白みの方が「日本らしさ」なんかよりもはるか上に来てしまって「日本人らしい仕草」みたいな言説に過敏に反応することもなくなった。

お茶は面白い。日本らしさなんてなくとも。

ゴーストが囁くことも、あるだろうけど。

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