見出し画像

感覚という名のフィルターを通す癖

学生の頃から、
常識とか当たり前と言われていることに違和感があった。

あくまでも常識というのは、多数派がそう思い込んでいるだけのものであって、その正誤は全く関係のないこと。

そんな意識がありつつも、周りからは
「お前がおかしいんだ」
と言われ続けてきたこともあって、世間や社会に馴染めない自分自身を責めたりした。

更には、会社や社会からははみ出し者のような扱いを受けたりして、鬱にもなった。
20代の頃は引きこもった期間もそれなりにあったし、
「生きるのがつれー」が口癖だった。

更に自分自身を追いつめ、
「死にたい」と思ったことは数知れず。

何とかその時期を生き長らえ、今のようなこういうカオスな時代に突入し、
「常識や当たり前を疑う」
ことが習慣化していて本当に良かったなと思う。

今のパンデミックの世の中となり、世に出回る情報の殆どは、事実とは違うことを報じ、捏造され、一部の人間に都合の良いように書き換えられていることが分かってきた。
テレビやマスコミの情報は利権にまみれていて、カネになることしか伝えず、正しいことなんて殆ど報じないんだということも明るみに出始めてきた。

それが分かったのも、
自分の感覚に従って選択することを習慣化していたからだ。

感覚:このウィ○スは怖くない。
出回っている情報:怖いぞ怖いぞー。
感覚:なんかおかしくね?
出回っている情報:恐ろしい病だぞー。
思考:これはなんか裏があるぞ、調べよーっと。

こんな感じ。

感覚に合わないことは、何故世間ではそういわれているのか調べる癖があり、逆に妙に感覚に合うことも、その裏どりをするようにしている。

そのためか、一度感覚というフィルターを通す癖がついているので、情報を鵜呑みにすることもなく、身体の感覚を頼りに今を生きることが出来ている。

きっと自分の感覚で良いと感じたものは自分にとって良いんだろうし、
逆に嫌な感覚を覚えたものは、自分にとって相応ではないのだろうと。

例えばもう一つの例ではこんな感じ。

情報:塩の摂りすぎは身体に悪い?
感覚:塩を多めに摂った方が調子よいぞ?
情報:いやいや、減塩こそ健康法!
感覚:ちょっと待って、塩が不足すると身体に色々なトラブルが出るぞ!
思考:減塩を促すのにはなんか理由があるぞ、調べよーっと。

大切なのは、入ってきた情報や物事に対し、
「一度感覚というフィルターを通すこと」
そして、その判断を誤らせないようにするには、
「そのフィルターの精度を上げること」

フィルターの精度を上げることこそ、これからの時代を生き抜く上で必須なのではないかと思う。

テレビは数年も前から持っておらず、たまに店先などでテレビの情報を目や耳にすると、感覚とは真逆のことを報じていることに驚く。

まぁそんな感じで、感覚を磨きつつ、カオスな今の時代を風任せ的な感じで生きています(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?