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政治(経済・金融)講座ⅴ1479「日本は『失われた30年』と酷評されるが、貨幣(通貨)価値安定の時代である」

 「失われた30年」とか「不動産バブル崩壊後のデフレによる失われた30年」とか、色々と批評されるが、適切な表現ではないと考える。今回は現状の低迷しているという日本経済について論じる。
蛇足であるが「経済・金融」の論評記事の内容に関して、経済・金融の全体や歴史的経緯を俯瞰せずに、的はずれな意見・主張が散見されるのは悲しい限りである。
     皇紀2683年11月8日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

はじめに

吾輩は狂乱物価と称するインフレも経験している。
「あれよ!あれよ!」と言う間に物価があがるのである。
日本でも、アルゼンチンの経済破綻のようにインフレが発生したのである。近年ではベネズエラのハイパーインフレが記憶にあると思う。まず、アルゼンチンの経済破綻の解説とベネズエラのハイパーインフレについて解説する。

アルゼンチン経済の歴史

経済学の研究対象として非常に高い関心を集めている主題である。
アルゼンチンは「アルゼンチンのパラドックス」とも言われる特異な歴史を経ているからだ。
アルゼンチンは20世紀はじめに加速度的な経済発展を遂げながら、その後の凋落もまた加速度的であり、その原因については豊富な論文が書かれて様々に分析されてきた。
アルゼンチンは1816年にスペインから独立して以降、8度の債務不履行(デフォルト)を経験している。
インフレ率が2桁に達したことも1回や2回ではなく、最高で5000パーセントものインフレーションに遭い、大幅な通貨切り下げを繰り返した

ハイパーインフレで「地獄」と化したベネズエラ、そのヤバすぎる現実

2019.07.25「人口の1割」400万人が国外脱出!
若旦那ルポライタープロフィール

ベネズエラという国の経済が破綻した。268万%というとてつもないハイパーインフレによって、国民はモノが一切買えなくなり、人々が蓄財してきた資産は一気に無価値となった。
その結果、とてつもない数の人々が国外に逃げ出している。それが中南米のコロンビアに住む私の隣の国、ベネズエラで起きている現状だ。
はじめに断っておくが、私はベネズエラに足を踏み入れたこともないし、ベネズエラの内政に関して専門家でもなんでもない。
しかしこの資源大国の経済が破綻した
1999年に大統領に就任した元軍人のウゴ・チャベス前大統領と、2013年のチャベスの死後に後を継いだニコラス・マドゥロ現大統領20年にわたる社会主義の失敗と腐敗政権の徹底した反米政策と国内の圧政、さらには原油価格の急落が同国の社会と経済をボロボロにした。
食料やトイレットペーパー、紙おむつ、薬などのあらゆる物資が不足し、混乱を極め、略奪と殺人が頻発するなど、治安が極めて悪化しているという。水道・電気などのインフラの供給も度々ストップしている。
ベネズエラの犯罪監視団体OVVが2018年12月27日に発表した報告によると、2018年のベネズエラの首都のカラカスの殺人発生件数は10万人あたり81.4件。なお2017年89件、2016年92件となっている。
ベネズエラ難民の中には路上生活、窃盗や強盗、売春やドラッグなどの貧困ビジネスに手を染めざるをえない状態に追い込まれている人もいる。
治安の悪化もさることながら、経済状況は悲惨を極める
ベネズエラの19年1月のインフレ率は268万%だという。ベネズエラの通貨「ボリバル」はもはや価値を持っていない。
昨年まで100円で買えたものが1月末には268万円になったわけで、もはや略奪以外に物を手に入れる方法はないのかもしれない。逆の見方をすれば268万円のカネが1ヶ月で100円の価値しかなくなったわけで、すべての国民が同時に破産したのだ。

日本の狂乱物価とその後の不動産バブルまでの経緯

 吾輩が就職した昭和46年(1971年)の年に給与月給16000円と記憶している。
その翌年、19000円台に給与が増額された。
翌々年には30000円台に給与が増額された。
文房具店に行って、10円で買えた大学ノートが100円に値上がりしたことも記憶している。
その当時を振り返ると「狂乱物価」と命名されたのも納得できるのである。インフレで給与水準も増額されたので生活水準は維持された。日本は敗戦後に貨幣価値が一気に暴落した。当時の、為替相場も1ドル365円時代を経験している。このときの円安で輸出競争力を付けて外貨をしこたまため込んで今では世界中で債権国家まで上り詰めたのである。
国策として、外貨の流出防止など外為法による資本規制をしていた。当時の大蔵省は銀行の監督の省であり、貯金・預金を推奨し(少額貯蓄制度などのマル優制度)で集めた資金は企業への融資に優先するなどの経済政策をとった。

子供のころのお小遣いの思い出の1円貨幣(紙幣)をちょっと紹介する。

この様な波瀾万丈な経済を経験しての教訓は、一番、恐れるべき経済現象はインフレである。
貨幣は商品 交換の際の媒介物であり、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つと言われているが、インフレで通貨(貨幣)の価値が低下するのである。
インフレで財産(金融資産)が目減りするのである。
石川五右衛門のような大盗賊が「インフレ」という盗賊である。すべての金融資産を持つ者から価値を奪うのである。しかし、世の中には賢い人もいて、この価値の目減りを逆手に取る者もいる借財で事業を展開する者や住宅ローン家を買いポートフォリオで財産防衛をするものまで現れている。バブル崩壊後を「失われたデフレ経済の30年」と揶揄する知ったかぶりする経済学者の主張には吾輩は反対の主張をする。それは、デフレを「貨幣価値の安定」と捉えるのである。経済は生き物のようであり、経済学は行動学・心理学・金融学・政治学・最近は地政学も考慮すべき要素がある。
高齢化の年金受給者・退職金の運用による配当金収入者にとっては、デフレの通貨安定経済はありがたいのである。退職金を死ぬまで食いつなぐ身にとっては幸せなことである。だから、貨幣価値で考えるとデフレ経済を悲観することなく、プラス思考で考えるべきである。
政府は、なぜインフレ政策を推進しているのかと言うと、インフレで国債と言う借財の実質目減りが期待できるから、物価上昇のインフレ経済を推進するのである。
大幅な増税で防衛費や財政健全化は難しいので、通貨の目減り、これが財務省の本音なのである。
1970年代半ば特に1974年(昭和49年)の日本の物価の異常な物価高騰。「狂乱物価」の名付け親は政治家の福田赳夫である。

1972年7月に発足した第1次田中角栄内閣における日本列島改造論は、土地への投機を促す結果となり、積極的財政政策とあいまって急速にインフレーションが進み地価や株価の急騰をもたらしていた(列島改造ブーム)。
さらに1973年(昭和48年)10月6日に勃発した第四次中東戦争に端を発した第一次オイルショックによってもたらされた石油価格高騰により、一段と物価は上昇し「狂乱物価」と呼ばれるようになった。

総合卸売物価1973年で15.6%、1974年で31.4%上昇し、
消費者物価指数1973年で11.7%、1974年で23.2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%となった。
春闘での賃上げ率は1973年で20%1974年で33%上昇した。
狂乱物価は、スミソニアン協定で設定された限度ぎりぎりの円安水準に為替レートを維持するため金融緩和を持続したことが、インフレをもたらした。日本の景気は1973年11月をピークに下降し、1974年には第二次世界大戦後初のマイナス成長になった。 
1971年12月にワシントンのスミソニアン博物館にIMF主要10カ国の蔵相が集結、ブレトンウッズ体制崩壊後の国際通貨体制が協議されました。
スミソニアン体制
崩壊後に移行した変動相場制でもドルの信認低下は止まらず、経済成長の鈍化、貿易収支の悪化、失業率の上昇、石油危機の影響からスタグフレーションが発生することとなった。
1980年代初めアメリカは財政赤字と貿易赤字に悩まされた。
1981年、当時のアメリカのレーガン大統領は強いアメリカの復活を政策に掲げていた。政策内容として以下の4大テーマをかかげ、“強いドル政策”が実施された。
物価安定のための通貨抑制、大幅減税による生産力の増強、規制緩和、小さな政府の実現、この経済政策を“レーガノミックス”と呼ばれている。しかし、この政策は貿易赤字の拡大を招き、大幅減税策による財政収支の悪化を招いた。
プラザ合意前は240円レベルで推移していた米ドル/円は、プラザ合意の発表後に、わずか1日で20円以上も下落し、215円台に突入するほどの急激な円高が進みました。
年内には、公開されていた誘導目標の200円を割れ、その後も円高トレンドが続き、2年後の1987年には150円をも割り込んだ。その当時の米ドル円の下落スピードの凄まじさは、下図のチャートを見ると一目瞭然です。

ちなみに、ニューヨークのプラザホテルで会合が開かれたことからプラザ合意と呼ばれています。

アメリカは財政赤字を削減し、金利を引き下げること、その他の国々は金利を引き上げることを合意しました。
プラザ合意以降、日本では急激な円高が進み、日本経済は不況に陥った。政府・日銀は円高対策をおこなった結果、資金が日本に集まった。
その後何度か円安・円高の反発を繰り返したものの、合意前には1ドル230円台だったドル円が1年少々の間にほぼ半値の120円台まで急落した。もともとプラザ合意は対日貿易赤字を改善するためにドル安・円高を進めるのが目的だったので、他の通貨ペアに比べて極端な値動きを示したのです。

ドル円相場の推移と歴史

1871年5月10日 日本で初めての統一通貨「円」が発行
1ドル = 1円
日中戦争・日露戦争
により、円安が進行する。
1ドル = 2円
1924年 常識を覆すような20年代と言われるアメリカ全盛期
1ドル = 2円63銭
1931年 イギリスと日本が金本位制を廃止し、
急激なインフレが発生する。
1ドル = 5円
1945年 日本敗戦 戦後の混乱期が始まる。
1ドル = 15円
1947年 食料エネルギー問題などで、インフレが止まらず
1ドル = 50円
1948年
1ドル = 150円 → 270円
1949年 インフレを抑えるためGHQはドル円相場を360円固定する。
1ドル = 360円
以後22年間は、ドル円相場は固定相場となる。
1971年 ベトナム戦争での戦費拡大により、アメリカが金本位制を維持できなくなる。これがニクソンショックと呼ばれ、これにより全ての国が変動相場制へ移行する。
1ドル = 300円
1978年 日本の高度経済成長が続き、円高が進んでいく。
1ドル = 200円
1985年 プラザ合意 アメリカの貿易赤字を止めるために、先進国がドル安で協調することを決める。
プラザ合意後、バブルの影響もあり、ドル円は急落する。
1ドル = 160円
1987年 一時的に160円まで上げたドル円だったが、乱高下を繰り返し、バブル崩壊によって下落が始まる。
1ドル = 120円
1995年 バブル崩壊後、ドル円は下落し続ける。
1ドル = 80円
1997年 アジア通貨危機 アジアの通貨が広く売られる。
1ドル = 140円
1999年 ユーロ誕生 ドル円はここから9年間、相場が安定する。
1ドル = 100円〜130円
2008年 リーマンショックが発生し、安全通貨として円が買われ始める。
1ドル = 87円
2010年 ユーロ危機 ユーロ不安により円が買われる。
1ドル = 83円
2011年 東日本大震災 保険会社が支払準備として海外資産を円転させるとの観測などが広がり、円高が急激に進む。
1ドル = 76円(戦後円史上最高値)
2012年 アベノミクス 日本政府(日本銀行)が大胆な金融緩和を発表
1ドル = 93円
2014年 金融緩和第2弾 日銀黒田総裁がさらなる金融緩和を発表。
1ドル = 120円
2023.11.8 
今現在、輸出企業は円安効果で最高収益を計上し、輸入品目の石油関連は値上がり、小売価格も値上げしている。円安の背景には米国の金利引上が為替相場に影響(日本は利上に追従していないため円安効果となっている)
1ドル = 150円51銭~53銭

つまり、結果的にプラザ合意は想像以上のドル高是正効果をもたらした。急激に円高になったため、日本では貿易収支が大幅に減少し円高不況への強い懸念が巻き起こりました。
そこで日銀は大幅な金融緩和を実施。国内の経済を活性化させるために、年内に4度も金利を引き下げた。
過剰供給された資産は行き場を失い不動産や金融などへの投機に回された。その結果、急激に土地価格が高騰
いわゆる「バブル景気」と呼ばれる空前の好景気が巻き起こったのです。極度の円高で製造業は苦境に追いやられたものの、その分非製造業分野は順調に業績を伸ばした。
「土地を買えば儲かる」という土地神話がはびこり、投資家はもちろんのこと一般のサラリーマンまでもが不動産に手を出す狂騒の時代が日本中を席巻した。しかし、楽して儲かるほどうまい話がいつまでも続くはずがなく、税制と貸出規制で、バブル崩壊へとなるのであるが、金融機関の企業への貸しはがしや融資の制限で倒産する企業が多数発生した。
金融機関は不良債権を貸倒引当条件に該当しながら、不良債権を隠し続けた。
その金融機関の健全化に尽力したのが次の竹中平蔵氏である。
債務超過に堕ちいった金融機関に一時的な資本金の注入という手法で延命と健全化を図ったのである。
そして、金融機関の過剰融資防止債務超過防止策として採用されたのが自己資本比率の規制である。
これは、金融機関に対する財務内容の健全化対策として採用された規制が、一般の企業経営の財務内容の健全化の指標として評価対象となり、利益を出し内部留保しながら冒険をしない健全経営をすることが、尊ばれる風潮を生み出したのである。
それが内部留保としてため込んで、国内の研究開発や新規事業への投資を躊躇させた原因であると考えるのである。
もう一つ、米国との貿易摩擦(繊維・カラーテレビ・半導体・自動車・PC)など米国の外圧で潰された経験から中国などを経由する迂回輸出政策のために、日本は中国の安い労働力で海外進出した企業が輸入・輸出をすることになり、産業空洞化現象が発生したことで、GDPが低下した現象を生み日本のデフレ現象を作り出したと吾輩は分析している。
一般企業の貿易の経常収支の配当金・利子収入などがそれを裏づけている。このように、日本が債権国家であるがゆえに、貨幣(通貨)価値が安定しているのである。
重大な局面での重要な仕事を成し遂げた人物が竹中平蔵氏であると吾輩は高く評価しているのである。
そして、次の報道記事に繋がる。
その後の『日本経済「滑落」の本当の原因』の記事に関しては、日本の一般の企業は内部留保が溜まるほどの健全経営に徹していて、新規事業などへの投資へのリスクを取らない「石橋をたたいても渡らない」経営だったからであろうと思うのである。国家の政策とは違う企業判断によるものである
そして、それは、中国の赤字経営の国営企業がゾンビー企業と言われているものとは違う。中国の鉄道事業の国営企業こそ国家に守られた赤字垂れ流しのゾンビー企業であることは周知の事実であろう。

竹中平蔵氏 自身が大臣就任時は「日本が良い感じになった」胸張る「失われた30年」否定「まだら。良い時もひどい時も」

デイリースポーツ によるストーリー • 1 時間


竹中平蔵氏(2014年11月撮影)© (C)デイリースポーツ

 元経済政策担当大臣の竹中平蔵慶大名誉教授が5日、読売テレビ「そこまで言って委員会」に出演。自身が大臣を務めていた時期は「日本が良い感じになっていた」と胸を張った。

 この日の番組では、司会の黒木千晶アナウンサーが「日本の失われた30年と言われるが、岸田(文雄)さんの政策で変わるんですか?」と聞くと、パネリストの竹中氏は「もっとひどくなるでしょうね」と斬った。

 続けて「そもそも『失われた30年』という言い方が間違っている」と指摘。「『まだらな30年』で、すごくよくなって、ある時期は日本の方がアメリカよりも成長率が高くて、株価の成長率が高い時期もあるし、まったくダメだった時期もあるし」と話した。

 作家の竹田恒泰氏が「竹中さんが大臣をなさっていた時期に、日本は良い感じになっていたと、そういうこと?」と聞くと「うん。そういうこと」と何度もうなずいた。スタジオでは、笑いが起こっていた。

 竹中氏は、2001年の第1次小泉純一郎内閣で経済政策担当相に。その後、郵政民営化担当相、総務相、などを歴任した。

日本経済「滑落」の本当の原因―シンガポールメディア

Record China によるストーリー • 2 時間

シンガポール華字メディアの聯合早報に4日、日本経済「滑落」の本当の原因とする、中国のエコノミストによる論評が掲載された。© Record China

シンガポール華字メディアの聯合早報に4日、日本経済「滑落」の本当の原因とする、中国のエコノミスト、韓和元(ハン・ホーユエン)氏による論評が掲載された。

論評はまず、「日本政府が長い間採用してきた低金利と量的緩和(QE)を含む金融政策こそが国としての競争力を絞殺した主な原因だ。金融緩和政策に長い間依存し、銀行の利息減免に頼って生き延びてきたゾンビ企業が存続し、日本経済はあるべき新陳代謝機能を失ってしまった」とした。

論評によると、国際通貨基金(IMF)は10月に発表した「世界経済見通し」で、今年の日本の名目国内総生産(GDP)がドルベースで世界3位から4位に転落し、ドイツに追い抜かれるとの見通しを示した。IMFの見通しによると、今年の日本の名目GDPは約4兆2300億ドル(約634兆円)で前年比0.2%減。一方ドイツは同8.4%増の約4兆4300億ドル

論評は「これは日本人にとって実に憂慮すべきニュースだ。日本は1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2の経済大国となった。それから半世紀後にドイツに追い抜かれる。さらにIMFの見通しによると、2026年までにインドのGDPは日本を上回ることになる。これは、エズラ・ボーゲル氏がかつて『ナンバーワン』と称した日本が今後数年間で、世界第4の経済大国としての地位を維持することさえできなくなり、世界5位に滑落することを意味する」とした。

論評は、その原因として円安と物価変動を挙げた上で、経済「滑落」の本当の原因は、日本政府が長い間採用してきた低金利とQEを含む金融政策だと指摘。「日本はバブル経済崩壊後、経済を刺激するために低金利政策を採用してきたが、ほとんど成果はなかった」「この政策の『最大の利点』は、競争力のないゾンビ企業の存続を可能にすることで、資源の誤った割り当てがさらに続くことになり、長期的には国の競争力を損なうだけだ」などとした。

そして、「端的に言えば、金融緩和政策と銀行の利息免除に長らく依存して生き延びてきたゾンビ企業が存続し、日本経済はあるべき代謝機能を失った。これが日本の経済成長が過去30年にわたり停滞してきた根本的な理由であり、ドイツが全面的に日本に追いつこうとしている理由でもある」とし、「このことは、多くのエコノミー、特に中国にとって一定の啓蒙的意義がある」とした。(翻訳・編集/柳川)


参考文献・参考資料

竹中平蔵氏 自身が大臣就任時は「日本が良い感じになった」胸張る「失われた30年」否定「まだら。良い時もひどい時も」 (msn.com)

政治(経済)講座ⅴ1462「デフレとインフレのどちらが好き?日本の経済の考察」|tsukasa_tamura (note.com)

日本経済「滑落」の本当の原因―シンガポールメディア (msn.com)

アルゼンチン経済の歴史 - Wikipedia

ハイパーインフレで「地獄」と化したベネズエラ、そのヤバすぎる現実(若旦那) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

ドルと円の歴史を振り返る『今では考えられない為替相場』 – 10年後も使える投資の考え方 (thinkmoney.mobi)

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