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政治講座ⅴ746「万里の長城と不動産バブルの崩壊で出来た鬼城と言われるマンションと一帯一路の顛末の共通点」

歴史をいとも簡単に捏造して、都合の良い歴史に作り替えて権勢を誇示するのは今に始まったことではない。朝貢外交と冊封体制が中国の支配圏とされた。一帯一路はその冊封体制構築の一環でなかろうかと勘ぐるのである。中国経済の「保八」の堅持が中国共産党の正統性と言われた時期があった。計画経済が本来の社会主義・共産主義であるべきのものが無計画経済で統制が取れず、統計もいい加減であり、乱開発が進んだ結果が「鬼城」というマンション建築の不動産バブルの顛末であろう。古代の長城の歴史を俯瞰すると現在の中国が見えてくる。そして、将来も予測できるのである。秦の崩壊の理由としては、万里の長城や始皇帝稜を始めとする巨大土木事業に力を入れ過ぎるあまり人民が疲弊し、反感を買ったといったことがよく言われている。現在の中国の一帯一路た鬼城というマンション建築による不動産経済破綻が万里の長城の巨大土木事業にそっくりである。そして、一帯一路のスリランカまで中国の勢力圏と言い出しかねないのである。

      皇紀2683年1月5日
      さいたま市桜区
      政治研究者 田村 司

万里の長城

中国で北方系民族の侵入を防御するために築かれた城壁全長約2700㎞といわれる。 戦国時代に燕 (えん) ・趙 (ちよう) が匈奴 (きようど) 防衛のために築いたのが起源。 秦の始皇帝はこれを基にして,甘粛 (かんしゆく) から遼東 (りようとう) に至る長城を完成したが,これは現在の位置よりはるか北方にあった。

万里の長城はなぜできた?

古代中国では大小の国々が乱立していて、それらの国が、異民族の侵入を防ぐために、「長城」と呼ばれる長い防御壁を作っていました。 紀元前221年になると、秦の始皇帝が中国全土を統一。 その後始皇帝は、諸国が築いた長城を一つにまとめて整備し、それが万里の長城の基礎となりました。

万里の長城は誰が作ったの?

長城は北方騎馬民族の侵入を防ぐために、紀元前7世紀の中国各国で築かれていた。 約2,200年前に中国を初めて統一した秦の始皇帝が各国の皇帝をつないで現在の長城の基礎を作った。 現在の形になったのは14世紀・明の時代。

万里の長城 どのくらいかかる?

万里の長城の長さは東の「山海関」から西の嘉峪関(かよくかん)まで総延長は6352kmで、北海道から沖縄まで日本列島を囲む距離です。 2012年6月5日に、中国の国家文物局は、万里の長城の公式な総延長は21,196.18キロメートルであると発表しました。

始皇帝は何をした?

[前259〜前210]中国、秦の初代皇帝。 名は政。 前221年、中国を統一して絶対王制を敷いた。 郡県制の実施、度量衡・貨幣の統一、 焚書坑儒 ふんしょこうじゅ による思想統一、万里の長城の修築、 阿房宮 あぼうきゅう ・陵墓の造営など事績が多い。


万里の長城はいつごろ作られたのですか?

万里の長城の歴史は春秋時代(紀元前770年から476年)に始まり、秦王朝(紀元前221年から206年)に最初に完成し、明王朝(1368年から1644年)の防衛として再建されました。 今回は万里の長城に関する長さ、歴史、場所、いつ誰がなぜ造ったのかなど興味深い事実をご紹介します。

万里の長城はどこからどこまでですか?

当初、ユネスコのホームページには中国の長城について、河北省の山海関から甘粛省の嘉峪関に至る総延長6,000kmの軍事的構造物であると定義されていた。 この6,000kmというのは約1万里を上回るため、「万里の長城」という名で呼び習わされている。

秦の始皇帝 いつ?

始皇帝(紀元前260–紀元前210)は紀元前246年、13歳の時に秦の統治を開始しました。 短い期間でほかの国を征服し、中国を統一するために人を動員し他の州に侵攻し始めました。

1万里は何キロ?

万里の長城は、秦代(221–206紀元前)にはすでに”万里長城”と呼ばれていました。 中国の万とは、日本と同じ10000をさします。 里は、日本でいう500mをさします。 すると、万里とは、5000kmを意味することになります。

兵馬俑はなぜ作られたのか?

兵馬俑を作った目的-なぜ作られたか? 約2200年前、中華統一を果たした始皇帝は死後の世界でも生涯と同じように、軍事力と皇帝の地位を持ち、永遠に守られるために、秦始皇帝陵と兵馬俑の造営を命じました。 70万人以上の職人と労働者を動員し、約40年かかって完成しました。

なぜ秦は滅亡したのか?

こうして広大な中国を初めて統一した始皇帝でしたが、これは崩壊の始まりでもありました。 事実、11年後に始皇帝は亡くなり、そのさらに4年後に秦は滅亡します。 秦の崩壊の理由としては、万里の長城や始皇帝稜を始めとする巨大土木事業に力を入れ過ぎるあまり人民が疲弊し、反感を買ったといったことがよく言われます。

始皇帝何者?

古代中国の戦国時代の秦の第31代君主在位:紀元前247年 - 紀元前210年)。6代目の在位:紀元前247年 - 紀元前221年)。 氏名は趙政。 現代中国語では秦始皇帝 または秦始皇 と表現する。 秦王に即位した後、他の諸国を次々と攻め滅ぼし、紀元前221年に中国史上初の天下統一を果たした(秦の統一戦争)。

万里の長城と日本列島どっちが長い?

万里の長城は、1987年に中国で初めての世界遺産に登録されました。 かつてその長さは8851.8キロとされていましたが、2012年の調査で総延長は従来の2倍以上の21,196.18キロと発表されました。 日本列島の長さを約3000キロとすれば、なんとその7倍。 世界最長にして、最古の防御壁と言われています。

秦はなぜ強くなったのか?

秦の宰相 商鞅が、中央集権国家をつくる!

秦が強くなった秘密は、孝公に宰相として仕えた ある人物 の作戦にありました。 ... 彼は 変法 と呼ばれるさまざま改革を行い、 中央集権化を目指しました。 つまり 孝公にすべての権力が集まるシステムをつくろうとしたのです。

兵馬俑は何体?

兵士や馬をかたどった素焼きの像、約8千体が埋葬されていると見られており、今までに1500体が発掘されている。 兵士像は、将官、歩兵、鎧を着た下級兵士、弓矢で武装した歩兵など、いくつかの種類に分かれている。 1987年、兵馬俑は始皇帝陵と共にユネスコ世界遺産に登録された。

兵馬俑 どこで見れる?

兵馬俑(へいばよう)は、古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの。 狭義には陝西省西安市臨潼区の秦始皇帝陵兵馬俑坑出土のものを指す。

兵馬俑 誰の墓?

兵馬俑坑は秦の始皇帝陵の東側1.5kmに位置する陪葬墓である。 1974年に農民の井戸掘削の際発見されていなければ、墓を護る兵馬の陶俑は今なお地下に眠っていたであろう。 発掘された兵馬俑坑は3つあり、坑内には陶俑陶馬8000 点、青銅器が4 万余点が見つかった。

秦王朝 何年続いた?

秦朝(しんちょう)は、紀元前221年から206年まで存在した、中国の統一王朝である。 先祖は西北部の遊牧民に出自をもつ秦が紀元前221年に戦国七雄の他の6国を征服して中国最初の統一王朝を建国した。 秦朝を建てた皇帝は、始皇帝として知られている。 秦は現在の甘粛省や陝西省の秦の拠点に由来した。

長城の長さは今も確定できていない―専門家が最も重要な「意外な問題」を紹介

Record China - 昨日 19:32

「万里の長城」の呼称でも知られる中国の長城は、世界最大規模の建造物として有名だ。ところが、長城などの古建築研究の専門家である中国長城研究院の趙琛院長によると「長城の長さは実は、まだ決められないでいる」という。どういうことなのだろうか。趙院長はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、長城の長さを決めるために解決せねばならない問題について説明した。以下は趙院長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

長城の長さは今も確定できていない―専門家が最も重要な「意外な問題」を紹介© Record China


■長城の長さを確定するために、測量に先立ってせねばならない仕事
長城の長さの算出は単純な作業ではない。まず大前提として、関係者の長城に対する認識を統一し、測量基準を統一し、計算方式を統一せねばならない。

長城と言えば普通、北京市郊外の八達嶺で見られる巨大な壁を連想するだろう。だが、長城はさまざまな造られ方をしてきた。そもそも、長城が長大な防御壁として機能するためには、何が必要だったのか。長城が防御システムとして機能するための諸施設を考えねばならない。中国共産党と中国政府は2019年に「長城・大運河・長征国立文化公園建設方針」を発表した。同「方針」は、長城を定義し直した新たな定義によれば、のろし台や駐屯施設、宿舎、関所、塹壕、城壁、物見やぐらなどすべてを長城の構成要素とした。
長城は戦国時代の諸国や、中国の複数の王朝が建設した。中には地方政権に終わった王朝もある。そこで「方針」は「戦国諸国、秦と漢の長城、北魏、北斉、隋、唐、五代、宋、西夏、遼が建設した長城としての特徴を持つ防御システム、さらに(金が築いた堀である)金界壕、明の長城」すべてを長城の概念に含めることにした。
■現在も続く「長城施設」についての新たな発見
新たな定義で発生する問題は、「長城の長さとは何か」を改めて考えねばならないことだ。長城は一本の線ではなく、体系的に分布する帯状の建築群だ。長い壁だけでなく、壁に付随して壁とは別の方角に伸びるのろし台や駐屯場所がある。長城の壁から枝分かれする支城が存在する場合もある。それらについても長さの計算法を決定せねばならない。
また長城の多くの部分は壁を建築するのではなく、厳しい山の尾根などの天険を利用している川によって守りを固めていた部分もある。これらの部分を長城の長さに算入すべきかどうかは、学界でも意見が一致していない。計算方式の決定は、早急に解決すべき問題だ。
また、中国には陸上の長城のほかに、水上の長城もある。例えば、河北省秦皇島市山海関区の老龍長城、遼寧省興城古城の山海城島防衛システム長城、浙江省臨海市の江南長城明と清が建設した海防軍事システムだ。中国大陸部の省レベル行政区は31あるが、長城はうち15の行政区に存在する。文化財調査の際には、多くの省が、長城として申請されていない文化財の場合は長城としての計算に含めていない。
長城の長さなどについてかつて得られた数字は、間違っていなくてもそのままでは使えなくなってしまった。われわれの認識が変化し、長城の定義も変更されたために、長城の長さの算出法も変化したということだ。
一方で、長城についての新しい具体的発見もあった。1980年代の研究者は、「明史・兵志」の記述に基づき、長城の西端は甘粛省にある嘉峪関と考えていた。しかし、嘉峪関より直線距離で西に300キロ余り離れた場所に、漢代(紀元前202年-紀元220年)に設けられた長城の重要な関所の玉門関がある。長城は玉門関まで続いていたことになる。では、玉門関より西は?学術界は1997年に、新疆ウイグル自治区のベダル(别迭里)ののろし台を長城最西端ののろし台と認定した。ではそれよりも西は?
それを調べるために、中国長城研究院は新疆での調査を繰り返し行った。その結果、ベダルののろし台から西に約395キロのウルグチャト(烏恰)県で、長城の遺跡を発見した。ウルグチャト県は、中国最西端の県だ。この場所で見つかったのろし台が、現在のところ長城の最西端だ。
とはいえ、中国長城研究院は、長城の最西端は1カ所だけに絞り込めないとの立場だ。現在のところ、新疆ウイグル自治区内で存在が確認された長城の四つのラインの西端を、いずれも長城の西端と認定している。
また長城の東端についても、さまざまな追加は認識の変更が繰り返されてきた。
長城の長さを知る意義とは、歴史を通じて防衛に費やした努力を数字化すること
ではいったい、長城の長さはどれぐらいなのか。かつての歴史の教科書には、長城は東端の山海関から西端の嘉峪関に至る全長約6700キロと書かれていたが、この長さは明代に建設された長城だけを指している。長年にわたり、一般にはこの約6700キロが長城の長さと考えられていた。しかし中国国家文物局(文化財局)と国家測絵局(測量局)は共同調査の結果として、明代の長城の長さは8851.8キロと発表した。
われわれが知りたいのは、我々の祖先が累計でどれだけの長さの長城を築いたかということだ。史料と実地調査に基づいて推定されている長城の全長は2万5000キロ以上だ。ただし、実際に調査を行った省などの記録も基準が統一されておらず、この数字も完全に正確とは言えない。初歩的な参考値としか言いようがない。
長城の研究は、学際的であらねばならない。考古学は長城遺跡の年代問題を解決してきた。建築学の研究は長城本体の保護問題を解決した。軍事学は長城による防御システムについて解き明かしてきた。民族学の研究は長城がなぜ建てられたのか問題を解決してきた。哲学研究は、長城という存在が人々の精神にもたらしてきた象徴性の問題に取り組んできた。長城学とは、これらの多くの分野の学問の境界を越えて研究するものだ。そのような学際的な研究の結果として、長城の長さの問題を解決せねばならない。(構成/如月隼人)

中国の鬼城地獄

  • 2021/09/27

BSで「鬼城と言われるマンション地獄」の番組を山荘にいいる間、見た。
中国の高層建築はなかなか凄いものがあり、上海などの様子を見るとスピルバーグの「太陽の帝国」時代とは大違いだ。確か撮影されたのは1980年代初頭でまた戦前の租界建物があった時代だ。

番組では武漢のマンションを購入して人々が開発会社が建設を途中で止めてしまい、数年が経過、どうもならず自分で内装や電気、水を引いて暮らす様子が。すでに代金は支払って、ローンが残っている状態だそうだ。
なんでも中国のマンション価格は年収の60倍、日本のバブル期の3倍だそうだが。
なぜこんなことが中国中で起こっているのか我々には理解できないが・・

中国は土地の私有はない。全土が国有地で地方政府が管理していて、開発会社はそこに70年間の借地料を支払い、建物を開発、建築、販売するそうだ。購入はすべて現金と。経済学的に見れば社会主義国で私有マンションを儲けると言う仕組みに何か無理があるのではないか・・・
地方政府と業者の癒着があり汚職も蔓延してると報じでいた。
更に開発会社への銀行の貸付はないそうだ。だから購入者から集めて現金で建設するがどこかが狂うと融資はなく、建築はストップということらしい。

鬼城は建築途中で作業が止まり数年たち、ボロボロになった様子だが、不動産業界の債務は「灰色の犀(サイ)」と呼ばれ、国家の大問題だと感じるが。さらに中国マネー、金融はとても国の規模の割には脆弱で話にならないとも。そういう危機は安全保障につながるから怖い。
そんな国が最大の貿易国と位置付けていたい日本産業界は大丈夫か?

習近平もお手上げ…34億人分の在庫を抱えた「中国のマンションバブル」の行き着く先電気も水もない「鬼城」の住人が急増

PRESIDENT Online

未完成の物件=鬼城に住む人が増えている

中国で“鬼城(グェイチョン)”と呼ばれるゴーストタウンが急増している。武漢市にある“江南世家”と呼ばれる高層マンション群では、建設がストップして未完成のままマンションが放置された。そのうち3分の2程度が売約済みといわれる。

マンション購入者の増加には、家賃の支払いと住宅ローンの返済負担から逃れるため未完成のマンション=鬼城に住む人が増えている。鬼城の住人の生活環境はかなり厳しい。鬼城問題は、共産党政権の主導で膨張した不動産バブルが、現在、崩壊の真っただ中にあることを意味する。

写真=北海道新聞社/時事通信フォト

西洋風の街並みが続く大連の「東方水城」(右)。ほとんどが空き部屋で、地元では「鬼城」になると懸念されている

世の東西を問わず、バブルが崩壊すると経済全体でバランスシート調整と、不良債権処理が不可避になる。今後、不動産デベロッパーの資金繰りはさらに悪化し、未完成のまま中断される不動産開発案件が増えるだろう。鬼城はこれからも増える可能性が高い。

住宅の引き渡しなどをめぐる、不動産業者と購入者のトラブルも増加するなど鬼城問題は、さらに深刻化が予想される。それは共産党政権の求心力に、無視できないマイナスの影響を与えることになるはずだ。

100万人が住める巨大マンションを建てたが…

鬼城とは、不動産開発の行き詰まりによって未完成で放置されたり、入居者が集まらずに廃れたりしたマンション群や地域を指す実際に必要とされる以上に供給され、買い手がつかない建物群が鬼城だ。いつから鬼城が増えたかは諸説ある。2010年ごろから鬼城問題は顕在化し始めたようだ。

有名な鬼城は、モンゴル自治区オルドス市の康巴什(カンバシ)新区だ。2000年代初め豊富な石炭埋蔵を背景に経済開発が急加速し、100万人の収容能力を持つカンバシ新区が造成された。地方政府は民間デベロッパーに土地(土地の利用権)を売却し、デベロッパーは大規模な住宅建設に乗り出した。それにより、中央政府が課した経済成長率などの目標を達成した。大規模なマンションには、転売目的の投資家が殺到した。

マンションの供給量が全人口の2倍超に

一時、オルドス市の経済成長率は年率20%を超えた。高い成長が続くとの期待を根底に、“買うから上がる、上がるから買う”という強気心理が連鎖して、オルドス市の不動産バブルは膨張した。

転機となったのがリーマンショックの発生だ。共産党政権は4兆元(当時の邦貨換算額で57兆円程度)の経済対策を実施し、石炭生産が急増した。供給過剰によって石炭価格は急落し、オルドス市の不動産バブルははじけたデベロッパーや不動産投機家は撤退し多くのマンションが未完成のまま放置された。2014年ごろ、100万人が住めるカンバシ新区の人口は10万人程度だった。

それは、中国で実際の需要を無視して過剰に不動産開発が増えた一つの例だ。カンバシ新区が鬼城化した後も、共産党政権は不動産投資を積み増して10%程度の高い成長率の実現を目指した。党の指揮の下で不動産価格は上昇し続けるという、根拠なき熱狂が経済全体を覆い投資用マンションは過剰に供給された。2016年に国営新華社通信はマンション供給量が34億人分と、人口(約14億人)の2倍超に達したと報じた

その後、2020年8月に“3つのレッドライン”が実施されて不動産デベロッパーの経営体力は急速に低下している。鬼城が増えるのは不可避の状況であり、不動産バブルは崩壊の真っただ中だ。

内装が施されておらず、電気がつかない部屋も

懸念されるのは、鬼城に住まざるを得ない人の増加だ。鬼城の住人は経済的にも、精神的にも窮状に陥っている。インターネットで鬼城を画像検索すると、その一端が垣間見られる。部屋は内装が施されていない窓枠にはガラスがはめられていない住人はコンクリートむき出しの床、壁と天井に囲まれ、無機質なコンクリート上に布団を敷いたり、テントを張ったりして生活をする。

水道や電気が引かれている鬼城もあるが、未完成の物件が多いために日常の生活を送るには困難が多いようだ。

まきや簡易コンロで暖をとって生活をする人もいる。照明は日光、もしくは懐中電灯というケースもある。衛星写真を見ると、団地と近隣の町をつなぐ道路など社会インフラが未整備な鬼城も多い。消防設備が整備されていない鬼城も多いようだ。余裕があれば家を借りて安心・安全な生活環境を確保することはできるだろう。しかし、実際には景気減速によって雇用・所得環境が悪化し、鬼城に住まざるを得ない人が増えているようだ。

「中国 広がる“鬼城”の闇」

初回放送日: 2021年3月8日 NHK

中国では大規模な不動産開発が各地で進む一方で、未完成のまま放置された「鬼城」と呼ばれるマンション群が増えている購入者はローンを抱えながら住むこともできない。 中国各地でいま奇妙な光景が広がっている。建設途中で放置され、人が住まないまま廃墟となったマンション群。人々はこれを「鬼城」と呼ぶ。ようやく手に入れたマイホームが「鬼城」になってしまった人々は、高いローンを抱え、途方に暮れるばかりだ。「鬼城」に寝泊まりするパフォーマンスアートを通して、問題を社会に訴えようとする若者たちも出始めた。「鬼城」に翻弄される人々と、背景にある中国経済の闇を描く。

【チャイナボカン】中国恒大、今度は鬼城ならぬ廃墟島を作ってしまう

 中国不動産バブル崩壊の引き金となった中国恒大ですが、現在中国には「鬼城(無人のマンション)」や「開店しないモール施設」など廃墟となりつつある建物がたくさんあります。アメリカが100年間に使ったセメント使用量を中国は3年で使ったという恐ろしい事実もある中、今度は鬼城ならぬ廃墟島が出現する?というニュースです。                     ※現地報道、未確認含む

【現地投稿】中国の海南島と言う島をご存知でしょうか?南シナ海に浮かぶベトナムと中国の間にある島で、大きさは九州よりも小さく四国よりも大きいと言ったところ。「中国のハワイ」と言われ観光を中心に開発が進んだ島です。 ここに、人工島の計画が立てられて数年前(2016年頃とも言われてます)2019年頃の画像がこちら…

その大きさと規模が解りますでしょうか?

興味のある方は実際の地図で確認すると、その大きさに驚かれると思います。恐らく人工衛星から撮影してもはっきりと写るはず。そして、2021年10月にグーグルマップで確認した画像が下。

 殆ど進んでいない感じです。というのも、本事業の基礎工事部分だけでも日本円で2兆円以上もかかっており、更に環境問題やぎじゅ的問題で中央部にビルやホテルなどの施設を作るのに更に1兆円以上かかるとの試算も…

 追い打ちをかけるように、環境問題や地盤破壊などの問題で現在は工事を止めているとか。中国全土で、数億人住めると言われる廃墟マンション群もすごいですが、これもこれですさまじいものですね。この手の人工島を利用した都市計画はドバイのパームジュベルアリが有名ですが、中国の建造物や事業は何となく場当たり的と思う。

 理屈の上から行けば、焦げ付き債権や不動産の資産合計資産額は数百兆円とも…その金額は当然GDPに加算されてきたわけですが、日本のバブル崩壊とは比較にならない不動産・金融崩壊を中国政府はどうする気なんでしょうかね?                                     by sakura-kituneo

参考文献・参考資料

長城の長さは今も確定できていない―専門家が最も重要な「意外な問題」を紹介 (msn.com)

中国の鬼城地獄 - 日本の武器兵器 (fc2.com)

習近平もお手上げ…34億人分の在庫を抱えた「中国のマンションバブル」の行き着く先 電気も水もない「鬼城」の住人が急増 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

「中国 広がる“鬼城”の闇」 - Asia Insight - NHK

【チャイナボカン】中国恒大、今度は鬼城ならぬ廃墟島を作ってしまう |  おおむね日刊 ★ 狐のブログⅡ (ameblo.jp)

万里の長城はなぜ作られたのか? (subetenokotae.jp)

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