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積雲/席運

この日は朝から快晴、
鮮やかに青空そして積雲のもと、
愛知県豊田市に来ました。

先だって健康診断、生活習慣・食習慣を根本から改め、イエローカードから努力して一ヶ月で血糖値0.8下げて気分の良い自分です、あらフィフになると検査項目が増えまして、目とか内蔵とか見るもんで、そんな中、肺活量が30代前半と言われ、それの何が徳かを思考し、謡に活かせるのではと色んな事を妄想しながら到着。

今回は不快な内容も含まれていますので読まれる人によっては嫌な感じになるかもです。

建物の中階に広い図書館があり、上階に能楽堂があります。

堂内の撮影はNGです、とてもキレイで新しさを感じる空間でした、が、正直な自分の感想としては、何か窮屈さを感じました。先日行った大江能楽堂さんの趣感が残っているのかもしれませんが。

「作り物」のかわいいミニチュア版

開演ギリギリに入ってこられた高齢の男女さん、席を探すやいなや面倒になったのか、ここでええやんかと横着を言う、指定の席に着いても落ち着かず、スマホの切り方がわからずアタフタ、親切な方が電源を切ってくださり、開演前の説明中にも関わらず話は止まず、演能中も頭座らず目線きょきょろ口元閉まらず雑談ぼそぼそ、この世界を色々とわかってらっしゃる方々でしょうけど、終演間際に言い放った言葉が後ろにいる自分にも聞こえましたが、前の方々はさぞ極めて不愉快さを覚えたのではないでしょうか、悔いの残る時間でした。

さて、揚幕が上からではなく横から開いたように思えたのは気のせいでしょうか、「雲林院」。

例えば自身がこのワキさんの気持ち、存在に感情移入したとし、半ば生きてきた中でこのようなトリップ時間を体験したようなないような、夢でこのような場所を観た、現実でその場所に気付いたら来てたみたいな・・・最近あったな~、岐阜高山あたりの場所だったが、何故か初めて来た感がなく・・・あの時・・ゾッとしたな~、その後、車の助手席から見た曇り空が割れて青空から陽が差し込んできて・・・怖かったな~。

夢で見た場所に行ってみたら、とあるマスターと出会い、そこで思考を深め新たな扉が開こうとする・・、美月さんに色々アレンジしてもらいましたが、下記がしっくりきました。

 『夢幻の交響曲』

ストーリー概要

東京に住む小説家の公光は、『伊勢物語』に魅了されている。ある夜、彼は自分が過去の恋人である在原業平と二条の后に遭遇する不思議な夢を見る。それをきっかけに、彼は東京の古い寺院を訪れることに決める。

物語の始まり

公光は、『伊勢物語』のシーンが現代の東京でどのように再現されるかを想像しながら、古い寺院を訪れます。寺院の庭で桜が満開であることに心を奪われ、花を一枝折ろうとすると、現れたのは謎の老人です。

物語の展開

老人は公光に対して、『伊勢物語』に基づいて古歌を引用しながら花を折ることの意味を問いただします。公光もまた古歌を引用して応じ、二人は歌を通じて交流します。老人は業平の化身であることをほのめかし、消えていきます。

クライマックス

その夜、公光が寺院に留まると、夢の中に業平の霊が現れます。業平は彼と二条の后の恋の逸話を語り、昔の舞を披露します。彼は『伊勢物語』の秘密を公光に授け、彼の小説のインスピレーションとなることを約束します。

結末

夜が明けると、公光は新たなインスピレーションを得て、『伊勢物語』をベースにした新しい小説を書き始めます。老人(業平の化身)との出会いと夢の体験が、彼の創作活動に深い影響を与えるのでした。

この現代版では、歴史的な文学作品と現代の創作者との間に架け橋を築くことで、過去と現在がどのように対話するかを探ります。

引用 ChatGPT

よくニュースでも取り上げられますが、
花を折ることの是非について、

公光と老人の間で交わされた花を折る行為についての議論は、自然や文化に対する尊敬と利用の間の緊張を象徴しています。このような問答は、日本の文学や哲学、さらには日常会話においても見られるテーマです。以下に、似たような例を挙げます

枯れ木を見て春を待つ
- 自然の一部である木が枯れているのを見て、それを悲観するのではなく、自然の循環として次の春を楽しみに待つという考え方。これは自然に対する敬意と、それを利用する人間の欲望との間のバランスを示しています。

菊に刃を向けず
- 菊は日本で尊敬される花であり、それに刃を向ける(傷つける)行為はタブーとされています。これは美しいものへの敬意を示すために、それを傷つけずに保護するという価値観を反映しています。

桜の下の死
- 桜の花が美しく散る様子を死にたとえることで、美しく生き、美しく散ることの価値を称える日本特有の美意識。桜の花を折ることが避けられるのは、その一時的な美を尊重し、自然のままに留めておくためです。

蓮の花を汚さず
- 泥の中から生まれる蓮の花は清らかであり、それを汚すことなく観賞することで、美しさを保つことの重要性が強調されます。これは自然の美を守ることへの尊重の表れです。

これらの例えは、自然や美に対する深い敬意と、それをどのように保護し、享受するかという問題に焦点を当てています。公光と老人の議論は、文化的・倫理的な価値と個人の行動との間の対立を象徴しており、これらの例えと同様に、どのように自然と調和して生きるかというテーマを探求しています。

引用 ChatGPT

ま・・・・・ラップバトルですかね。
2バースくらいでレジェンドが若手に秘密を伝承する、そのリリックの奥深さに若手は何を感じたのだろうか、という感じでしょうか。

ワキ方さんの背面から感じる特別なオーラパワー(懐かしい言葉)、調べたら執筆等もされている能楽師さんで、なるほど知的な後ろ横顔を感じました。

まだまだ自身素人が思った事ですが、途中中入りのときでしたか、幕が上がる前の時間に不自然さを感じましたが、自分の気のせいか、そういうものだったんでしょうか。 

感想、感じて想ったこと、その時の自身の状態にもよる、今回、内容や雰囲気、気が散ってしまいまるで静かに観るという気持ちになれなかった、帰りの電車の中での何ともいえないモヤモヤ感。

高齢男女は花を折り、自分は折らずにいてほしかった、
そういう感じだろうか、もっと集中力を鍛えるべきか、
雲林院について書いていて、掛け合いのところの話だけになっているが、
これでよかったのであろうか・・・。

席運よろしくない日もある。


さ~て、以降の予定記事は、

「能楽もぐもぐタイム①」
「カミとの交わり」
「能楽にハマる場所」
「姫路リベンジ」
「海が見える能楽堂」
「能楽もぐもぐタイム②」
「仮面の英雄」
「犬王」
「奈良へおじゃまパジャマ」

とりあえず以上の記事が控えています。


そろりそろりと行きましょう。



見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。

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