カミとの交わり
今ではこうして、昭和10年頃の映像が観られる。英語訳されてます、何故か、これを観てから「葵上」がまた興味深く思えてきた。というか感じたのは、今の人では違う昔の人の匂いがしてくること、まさに神動画といえるかもしれんくらい、自分には発見がある。
さらには、「草子洗小町」
大槻能楽堂で説明講座聴いて、どんな内容か理解できてきた分、観れる。キャストもすげーし。
さて、さすがにこの暑い中出歩くでもなく、以前、横浜に行った際、最終日に神保町にまで出向いたのである。
開店したての檜書店さんはどこか厳粛なというか緊張感があって、店内を観て回れる状態ではなかった、ま、また再度訪れる日はあるのでその時の楽しみに。
そしてそのまま能楽書林さんへ
初心者の自身にも丁寧に接してくださった。
さて、ここで大切なのは、興味本位で謡本をまだ買ってはいけないということである。
しきたりや風習などどの世界にもあると思いますが、この世界にもあって、思えばハマる前くらいの頃だったでしょうか、流派による違いとか、考えるだけでも遠い話に思えてましたが、この最近では色々な動画からや本から学んだところで咀嚼するうちに、なるほど、そうなんだと、何か呑み込めてるんでしょうかね。観世流に関していえば、銕仙会さんがありそちらの謡本はここで買える、そうではない謡本は先に出た檜書店さんで買えるのである。
観世流なら全部一緒というわけではないようで、歴史をさかのぼると、それこそ能楽の存続に関わる危機があったわけで、どこどこに養子に行ったりして違う流派のいいところを学んだりとか、ま、自身の知識程度で書くのはいささか危険なのでやめときますが、ざっくりいうと昔は色々あったわけですわ。
で、そこらへんを文章から学べたのが下記の偉大なる場
その時代時代での能楽に至るまでの現在までの流れが壁版で書かれていますが、その文章内容がよかった。わかってもらいたいな~という親切な優しい気持ちが伝わってくるような文章の感じ。無音で温度管理も徹底された空間、その何気ない緊張感、よき。
これからますますどんどこ時代は移り変われど、変わらないことを主体とするこの世界で、紙での謡本はまず変わらないでしょう、そういう意味では近頃何かと効率優先というワードで端折りたがるところがある、時短も大切だがゆっくりとするのも忘れちゃいかんなと。そんな中で先日能楽師さんお二人でのイベント講座に参加して、気合の入った演能を見せてもらいました。動画漁りをする自身がついこの前、大鼓の大倉正之助さんの過去動画を観ていて、番組は大倉さんの打つ前のチューニング・ゾーニングの時間をしっかりと捉えて映していて、・・・ここ、これ最近忘れとるわとつくづく思い返させられた。さっさぱっぱちゃっちゃの日々に埋もれて、じっくりゆっくりしずかに何某かと調子を合わせる、そして決める(打つ)。
紙の本を読んだりする場合、予め時間を逆算したりする、スマホで記事を読んだりする場合、あんまりそういうとこと考えていない、集中、いや全集中への持っていき方、鬼退治のアレである、意識するところから再始動しましょう。
紙との交わり、神とのつながり、図書館で借りる本の選択が最近バッチグーなんで、読書のすすめ的な内容にしようかと思って書いたが、如何せん夏バテ気味ですわ。
そんな時は神保町ゆえにカレー🍛?
いや、ハラミステーキ🥩である。
・・・ふと思うに、自身の記事ってnoteよりアメブロ感が強いように思えたりする。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです