おもひおもう
以前書いた投稿「Ya Ha Yeah Yooh」の続きです。
大槻能楽堂でのイベントでは、実演前の見どころ説明ということで、話の流れや現代で言う例えに置き換えて説明していただける。色んな所でこういうの行われています、正直、見どころの伝え方は人によって違うと思う。
以前、色々な心理学の教授やお医者さんのお話を聞いたり講座に通ったりしていたが、その中で特に印象に残ってる記憶で、まずは体験講座という形で心理カウンセラーの衛藤信之先生のお話が非常に愉快で、気分良くその世界に引きずり込まれたことを思い出した。その後実際に講座を受けたが、それはそれはひとつの大きな物語、時間旅行のようで、とても良い体験ができたと思う。変わった塾の先生もだけど、学ぶことの楽しさをまずは教えてくれる、その中で本来教えるべく内容を擦りこむというか、色んな方法がある。
ひろゆきさんのお話で、北野武さんの映画は基本一発撮りで、だからこそ役者さんは必死に練習をしてくるという内容を聞いた。能楽の世界もそうですね、何か、良い意味で痺れますね。
「草子洗小町」
歌会に参加する小野小町さん、その相手をする人がいるのですが、その人が所謂あかん人「大伴黒主さん 以下🅰と呼ぶ」さんでして、🅰は小町さんには敵わないのをわかり、前夜に小町さんが練習している歌を盗み聞く、その内容を万葉集に書き足し盗作したという仕掛けにでる。当日、小町さんの番が来て歌うと、こりゃ盗作じゃねと🅰は王に言う、そして万葉集に書いてあるじゃんと小町を責める。小町さんもやってられんわと反論するが、どうもその草紙の不自然さに気付き、そこでこの草紙を水で洗っていいかと願いでて、ちょんちょんと水に浸け洗ってみると、書き足された文章が流れ落ち、🅰の企みが露見する。やべぇしと🅰は自害しようとするが、小町さんはちょ待てよと、歌への熱量から出た過ちを許し、場をリセットし、さてめでたく仕切り直そうぜと和歌最高と舞うのであった。
・・・これ、今もよくある話です。
普遍的な話というのはこういうことなんでしょう。
人間の浅ましさ。
でもそれを許す器量。
自分の中に🅰はいるのか?・・・
子供のころのもしかしたら、いゃ、
悪戯心、痛たたたたたたたたたたたた。
何ですか美月さん、
えっ、それで、
「火曜サスペンス劇場」のようなもの、「大映ドラマ」も近いかな。
さて、ここで、想像力をはたらかす、はたらかせて観るとはどういうことかについて、勉強になりました。
この演目の登場人物、まず小野小町、紀貫之、…生きてる時代が違う、この時点でザ・フィクションということ。自分はその時点で長州力でいう「観てみな 飛ぶぞ」に近い衝撃を受けた。今でいうユーモア・遊び心とでもいうのでしょうか。
演目が始まり、舞台に小町が出てきますが、まずそこの背景が歌会場ではなく小町宅という思考内背景の切り換えが必要です。さらにはそこで🅰が盗み聞きをしているというところが演じられる、
・・・この始まりは、やはり火曜サスペンス劇場です。
🅰曰く、道の道たるは常の道にあらず、
なぁこんな事歌ってやがるぜ、
パクっちまいなよ、
悪魔の囁きである。
………、
長くなりました、
また続きは次回に、
次回で〆にしましょう。
見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。