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小説『走る。』 6話

あっという間に一週間が過ぎた。

ライブペイントの日。土曜日。
教会には、絵画教室の後にりこと一緒に行くことになった。
教室ではだれかわからない石膏像の絵を描いた。
影をつける色の塗り方を教わった。
少し色を暗くして重ね塗りすることでグッと奥行きが出てリアル感が増す。
じっくり二時間、描くことができた。
作品として完成はしなかったが、またグンとうまくなったような気がした。

教室の時間が終わり、片付けも終わり、振り返ってりこを見る。
りこはニコッと微笑みかけてくれて、一緒に教室を出た。

教会への道を歩いていると、りこはいつもよりたくさんしゃべった。
じっと顔を見ると少しこわばっているように感じた。
「あ、緊張してんのか」
ぽつりとつぶやいたらりこが、
「え、バレちゃった? そうなの、すっごい緊張しちゃってて。
 これじゃいい絵なんて描けないよね? どうしよう。
 心の中でずっと祈ってるんだけど落ち着かなくて……」
と言って、急に不安げな顔になってしまった。思わず、
「大丈夫、大丈夫」
と言って手を握った。
いつも堂々としていて、明るくて、
芯が強そうなりこが急に弱々しく見えたので、つい守りたくなってしまったのだ。
りこはびっくりしていたけど、手はそのままだった。

手は力が入って固くなっていた。
そのまま手を握って歩いていると段々と柔らかくなっていった。
それに伴ってこっちも冷静になってきて、「とっさに握ってもうたけど、りこと手つないでもうてる……。大丈夫か……? こんなに細くて、滑らかで、柔らかいんや……。いやいや、大丈夫か……?」そう思って、こっちの方が緊張していった。
いや、違う。りこを励ますんだ。
「絶対大丈夫。りこの絵、おれめっちゃ好きやもん。
 みんな感動すると思うで。伝わると思うで」


 教会についた。
りこの手はまた少し固くなった。
裏口から入る。

「昨日のうちにね、必要なものは運んでおいたの」
そう言ってりこは手を離した。
少し名残惜しかったが、りこの目は先を見ている。
さっきまでの不安げな表情とは打って変わって、覚悟の決まった顔になった。すごいな。

集会は三時から。一時間後だ。
奥から神父さんが出てきてりこと打ち合わせをしている。
カトリック教会の神父さんと聞いて、なんとなく初老の大人しそうな、清い感じの人を想像していたが、出てきたのは、なんと元気に満ち溢れた黒人だった。しかもファンキーな笑い方をする。
思ったより強そうだったその神父さんを眺めているとこっちにズンズン近づいてきた。

「こんにちは。松田さんですか?」
なんとも流暢な日本語だった。どこまで予想を裏切るんだこの人は……。
「こ、こんにちは。そうです。今日はよろしくお願いします」
驚きが顔に出ていたのか、この黒人神父さんはニコニコして、
「こちらこそですよ! ハッハッハ! 正直な人だ!
 そんなに驚かなくてもいいですよ。
 パウロです。ミスターパウロとお呼びください」

そうこうしているうちにりこに呼ばれて、ライブペインティングの準備が始まった。
思っていたより大掛かりなものだった。
キャンバスは、りこの身長ほども高さがあり、両手を広げても届かないぐらいの横幅がある。その下に新聞紙を何重にも敷いてある。
その斜め前には小さな階段とステージがあり、聖歌隊の人たちが並ぶらしい。ステージの奥にはドラムやアンプが見える。
「かなり、カトリック教会のイメージが変わるな」と、改めて教会を見回した。
「いいでしょ? ここ。
 私、パウロ神父、大好きなの。
 すっごく自由で発想が面白いんだよ」

三時が近づいてきて、礼拝堂に人が増えてきた。
聖歌隊の人も準備を着々と整えている。
中には黒人女性のシンガーもいて、おじさんも青年も、本当に様々な人がいた。
それを見ていると何もしないこっちが緊張してきて、「やばい!」と思ってりこを見た。そして驚いた。
りこは目を閉じて十字架の方に顔を向けていた。
その姿がとても透き通って見えて、美しいと感じた。

 「ワンッ、ツー、スリー、フォッ。Yeahーーー!」
大音量のパスターパウロの叫びから、歌が始まった。
突然のことでビクッとなってしまった。
勝手に厳かな、深く重い雰囲気を想像していたから、余計に驚いてしまったのだ。
りこも隣で手をたたいて踊りながら歌っている。
さっきとはまったく違う表情だ。
その変わり様がすごく魅力的に思えた。

 アップテンポの曲が続く。楽しい。
会場が一体となっている感じがした。
パスターパウロが抜群の合いの手を入れるのだ。
時々叫んだりヒュウッと声をあげたりするが、それがとてつもなく上手い。
聖歌隊の人たちも、ただただ歌が上手いが、それだけじゃない。
エネルギッシュで、ただ思いっきり叫んでるようにも見える、そんな歌い方だった。
一塊のでかいエネルギーを目の前にしているようなそんな感覚で、なぜかわからないが、「やばい」と、思った。
心を持っていかれると思ったのかもしれない。
お腹の中でふつふつとしている何かがあった。
その時、おもむろにりこが筆を掴んで、大胆に描き始めた。


そこからのりこはすごかった。
歌と音楽と一体となって、その流れの中で筆を滑らせていく。
おいていかれないように、指示された色をりこの元に運ぶ。

次第に音楽はスローテンポになり、重く分厚い音の曲に変わっていった。
先ほどまでの明るい曲とは違い、静かさがあったが、どこか激しく、心の奥に真っ赤な熱いものが湧き上がってくるイメージが浮かんできた。
そしてりこの絵は、音と会場と一体となっているかのように、確かにそれを表現していく。
色を重ねてく中で徐々に、着実に一枚の大きな絵になっていく。

圧巻だった。

いよいよ完成に近づいた時、曲が変わった。
爽やかな曲だ。
溜まったエネルギーがふわっと発散されていくような雰囲気になった。
さっきまでうちにあったエネルギーの塊が、固く熱い石みたいなものが、スーッと溶けて体中に流れ出していくような感覚になった。

こみ上げてきたものが喉元まで来た時、また「やばい!」と思って止めてしまった。
これ以上、上にきたら泣いてしまうとわかって怖くなったのだ。
そして、りこの絵が完成した。

 最後の曲が終わり、歓声が上がった。
振り向くと泣いている人もいる。
りこは満足そうだ。
でも少し疲れたよう。
でも笑っていた。

最後にミスターパウロが、
「りこ、ありがとう。素晴らしいギフトだ。この時間を感謝したい。
 集まった一人一人の存在に感謝したい。
 確かにこの時間は在った。
 大きな流れの中でこの絵は完成した。
 そのことをこの絵は教えてくれます。
 ここにあふれている、愛を、希望を、私たちに思い出させてくれる。
 感じさせてくれる。
 ありがとう、りこ。ありがとう、神様」


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他の話はこちら!

1話:https://note.com/tsuka_joji/n/n5583b0044819
2話:https://note.com/tsuka_joji/n/n3de35a7b0edb
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9話:https://note.com/tsuka_joji/n/na878ee652ff5
最終話:https://note.com/tsuka_joji/n/n24cb28548056

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