自立と自律
いつも帰りの電車の中で論文を読んでいる。
その日読んだ論文は、高齢者の余暇活動と移動手段の関係について調査した論文だった。
この論文では「例え歩いていなくても、電動車椅子などのなんらかの移動手段を有し、自分の行動を自己決定出来ることが余暇活動に繋がっていた」と結論づけられていた。
さらに、この論文の中で頭からずっと離れない文言があった。
自立の要素には“身体的自立”と“自己決定としての 自立(自律)”がある。余暇活動中の移動の自立度は, 単に「移動ができる」という動作としての“自立”だけ ではなく,自分の意思に基づき行動を選択できるという行為としての“自律”の意味合いが強いと考える。
リハビリの業界ではよく「自立」という言葉が使われる。
これは「動作が安定して行えるか?」「介助者は必要ないか?」「転倒のリスクは限りなく低いか?」という意味が暗に含まれている。
僕たち理学療法士は、主に歩行の獲得を目指してリハビリを提供している。
動作が不安定な時期には「一人で動かないように」と言葉で制したり、看護師やご家族に見守りをお願いしたりしていた。
それでも一人で動いてしまって、転倒する患者さんを多く見てきた。
なんで転ぶとわかっているのに、勝手に動いてしまうのだろう?
その時はそう思っていたが、この論文を読んで、そうか。と納得した。
彼らは「自律」したかったのだ。
自分のすることは、自分で決めたかったのだ。
自分で決めてきて、自分で歩んできた人生をまさか他人に支えてもらうことになるなんて、考えてもみなかったはずだ。
それが突然の病いや怪我によって、動きの自由を奪われ、さらに人から指示され、命令され、次は決める自由を奪われる。
これって、とっても辛いなことなんじゃなかろうか?
それに気づいてからは、病院勤務時代の後輩達には「起立と移乗、車椅子駆動、トイレ動作はどんな形であってもいいから早く自立させてあげて」と言っていた。
「でも、車椅子なんかで移動させたら、歩行の獲得が遅くなりますよ」
そう反論してくる後輩もいたが、それは理学療法士のエゴだと思う。
もちろん歩行の獲得は理学療法士の使命だ。
だけど、それは患者さんから“自分で決めること”を奪う理由にはならない。
患者さん自身の“自律心”を守りながら、動作としての安定と自立を目指す。
それが理学療法士として大切な関わりなんじゃないかな?と思う。
医療者こそ、
トイレに行きたいのに「オムツでして!」と言われたり、ベッドに横になりたいのに「一人で移らないで!」と言われることの辛さを想像すべきだと思う。
大事なことは、こちらの持てる限りを提供した上で、最終的にはその人の選択を大切にすることだ。
それはつまるところ、その人を大切にしているというサインでもある。
これは医療者である自分への自戒も込めたnote。
自立と自律。
長らく自分の中にあったモヤモヤを解消する、よい言葉に出会えた気がする。
それでは、また。
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