最近の記事

泡もはじけて

 先日、実写版『リトル・マーメイド』を観た。監督のロブ・マーシャルは、人魚伝説を追うカリブの海賊たちを描いた『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』を手掛けており、今作でも1989年の原作アニメーションに大胆な海洋アドベンチャーのエッセンスが加えられている。作中の音楽シーンも贅沢なオーケストラで翻案され、ラップミュージックを加えた「スカットル・スクープ!!」をはじめとして、意欲的な新曲も複数追加された。何年か前に、水の精にまつわる映画や文学に色々と触れていたのと並走して*1

    • 日々の戸締まり

       2022年11月11日より公開された新海誠の新作『すずめの戸締まり』について、簡単に自分の思うところを書いてゆこうと思う。本作は、細かな設定や作り込まれた/描き込まれたオブジェクトの数々によって、一見シンプルな「行きて帰りし物語」に見えて、その実、多様な解釈が可能となっている。本稿では、細部や数々のメタファーによって示唆される個々のテーマへの掘り下げ等を行うのではなく(自分には扱いきれない)、雑多な感想を書いてゆく。  物語の大きな流れは、4歳のときに母を探して後ろ戸を開

      • 事の終わり、朝に帰る──『ドライブ・マイ・カー』雑記と感想

         濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021年)は、家福(西島秀俊)という妻に先立たれて間もない壮年の劇作家が、ある若い女性ドライバー・みさき(三浦透子)との出会いと交流を通して、ふたたび舞台に立つまでの時間を描いた映画である。ヘミングウェイの短編集に由来して『女のいない男たち』と題された村上春樹の短編集に収められた同名の原作小説は、ごく短い短編作品であった。実写化をするにあたって濱口は、同短編集から、『シェエラザード』『木野』というふたつの短編と、作中で言及されたチェーホフ

        • “アウステルリッツ”をめぐって

          Ⅰ. アウステルリッツ 『アウステルリッツ』は、ドイツの作家W.G.ゼーバルトによって2001年に著された、彼の遺作である。語り手であるドイツ人男性が、偶然かつ運命的に出会ったアウステルリッツなる人物の半生を聞き、時にはそれを書き留めているといった体裁がとられている。前半部には、衒学的とも呼べる主人公アウステルリッツによる建築や地政学的な知識のあれこれが延々と述べられる。しかし、様々な類縁性を辿る博識は、彼自身の出自の不明瞭さに起因していたことが示される。物語の後半からは、イ

        泡もはじけて

          奪われた光景──『スパイの妻』雑記と感想

           舞台は1940年、太平洋戦争前夜の神戸。貿易商を営む福原優作(高橋一生)を夫に持つ福原聡子(蒼井優)は安穏として裕福な暮らしを送っていた。しかし、幼馴染で憲兵となった津森泰治(東出昌大)の「忠告」をきっかけに、聡子は、優作が満州で関東軍が行なっている非人道的行為(731部隊)をアメリカにリークしようとしていることを知る……。  聡子が優作の甥を密告したあたりから、物語は大きく方向づけされる。コスモポリタンとして正義をなそうとする優作と、ただ夫の一番の理解者でありたいと願う

          奪われた光景──『スパイの妻』雑記と感想

          災禍の顔貌──『寝ても覚めても』雑記と感想

          ■『ビリジアン』における「わたし」の位置 私が柴崎友香にはじめて触れたのは、美術作家であるミヤギフトシの連載で取り上げられていたのをきっかけに、『ビリジアン』という小説を読んだ時だった。その本は、話者である一人の女性の十歳から十九歳までの記憶が断片的につづられているのだが、二十篇の掌編の連なりは時系列に沿わぬ形で、場面や出来事が散発的に起こる。この小説の端的な特徴を表すのは書き出しの一節である。 朝は普通の曇りの日で、白い日ではあったけれど、黄色の日になるとは誰も知らなかっ

          災禍の顔貌──『寝ても覚めても』雑記と感想

          濡れた継ぎ目

           何度も思い出して、霞のように消えてしまいそうな出逢いをしっかり固めていこうとするのだけれど、都市は水のように指の間からもれて、人間たちは気体になって蒸発し、期待しても、待っても、今日、あの人はきっと来ないだろう。────多和田葉子『百年の散歩』  『水を抱く女』は、都市開発研究のかたわらでツーリストたちにベルリンの歴史の解説を行う研究者であるウンディーネが、恋人と別れた場面から始まる。一見するとごく普通のドラマのはじまりに見えるが、ウンディーネはその名に潜む物語の伝統よろ

          濡れた継ぎ目