“アウステルリッツ”をめぐって

Ⅰ. アウステルリッツ

 『アウステルリッツ』は、ドイツの作家W.G.ゼーバルトによって2001年に著された、彼の遺作である。語り手であるドイツ人男性が、偶然かつ運命的に出会ったアウステルリッツなる人物の半生を聞き、時にはそれを書き留めているといった体裁がとられている。前半部には、衒学的とも呼べる主人公アウステルリッツによる建築や地政学的な知識のあれこれが延々と述べられる。しかし、様々な類縁性を辿る博識は、彼自身の出自の不明瞭さに起因していたことが示される。物語の後半からは、イギリスの里親の死をきっかっけに自らの本来の名前を知ったアウステルリッツが、チェコやドイツを訪れて自分の故郷や肉親に対する身体的記憶の痕跡を辿ってゆく。ナチスとホロコーストによって引き引き裂かれた人生を抱える人物を描いた本作において、ついぞ明記されることはないが、「アウステルリッツ Austerlitz」が「アウシュビッツ Auschwitz」を連想させることをゼーバルトはインタビューの中で示唆しているという。訳者によれば、主人公がたどり着くことのなかったこの場所は、この本のひとつの消失点をなしている。こういった、不条理の寓意を孕んだ、彷徨いと放浪的なあり方は著者が影響を受けたカフカにも似ている。
 さて、本書の特徴的な点は二つある。第一に、冒頭すぐに示されるヤン・ペーター・トリップの挿画のような、数々の図版や古写真を用いたフォト・テクスト手法である。これらは、テクストと結びつきながらも、その指示対象は曖昧にとどめられており、時にはゼーバルト自身によって直接に手を加えられたものも存在する。第二に、今作は前述のとおり伝聞を通して文章が進行するのだが、作中では何度も「~とアウステルリッツは語った」といった文章が現れる。多和田葉子の解説によれば、これはドイツ語文法における「人から聞いた話を伝える時に使う動詞の独特の時制」が翻訳に反映されたものであるらしく、訳者自身も「没入しようとする読みからふっと読み手を引き戻すこの挿入は、〔…〕通常の翻訳なら省いてしまうところだが、いささかの不自然さをのんで、というよりもいささかの不自然さを感じてほしくて、あえてほぼ原文どおりに入れた」と意図的であったことを述べている。
 以上のとおり複雑かつ読者にある程度の困難を強いるようにして書かれた本作では、「過去」という時間に対して到達不可能な距離を感じているアウステルリッツに、読者の位置が入れ子になるかたちで重ねられていると言えよう。さきに述べた虚構と現実との間を浮動する写真と同じくして、読者である我々自身が常にテクストの内外を行き来する様は、時間から忘却されたアウステルリッツ自身の姿と一致する。そのようなわけで、本作においては「過去」に様々な感情を惹起される描写が特に印象深いものとなっている。
 例えば、p.86で、アウステルリッツが学生時代の友人ジェラルドの大伯父アルフォンソとのエピソードでは、水彩画を描く際のことが以下のとおり語られる。

彼(アルフォンソ)はかならずレンズの代わりに、灰色の絹布を張った眼鏡をかけていました。薄い妙を透かした景色は色彩がおぼろになり、世界の重さが消えていくかのように思われるのです。アルフォンソが描いていた絵は、とアウステルリッツは語った、絵というよりも絵らしきものというにすぎませんでした。ここに岩壁、ここに斜面、ここに積み雲、というだけで、そのほかは何もありません。数滴の水にわずかの岩緑青と灰白色を含ませて描いた、無彩色に近い断片なのです。アルフォンソがジェラルドと私にこんな話をしたことを思い出します、とアウステルリッツは語った。われわれの眼に映じるあらゆるものは色褪せていく。もっとも美しい色はつとにこの世から失われてしまったか、もはや人眼に触れぬ深海の海中庭園にしか見つからないだろう。

 p.106-107では、ターナーの水彩画≪ローザンヌの葬列≫がアウステルリッツに不思議な共感や類縁感をもたらす。ターナーはスケッチをその場で描くこともあれば、あとから振り返って描くこともあり、この絵は恐らく後者であるであろうことが本文中では示される。この葬列の絵は、実体もなく、ターナー自身が死をめぐる思索に傾斜していった頃のものである。アウステルリッツは、ターナーが「すばやいタッチで一瞬のうちに消え去ろうとする心象を描きとめようとした」ことを読み取る。ここでは、「記憶」をめぐるイメージが明確に示されており、単行本化の際には表紙にターナーの作品を採用した、小倉拓也「老いにおける仮構」に示されたカオスへ至る道程での記憶の楔といった議論とも接続されるだろう。

 また、幾度かあるアウステルリッツが「過去」に突き刺される場面では、「光」のはたらきが比喩的に示される。P.90で、アウステルリッツの回想の中、アルフォンソは夜の蛾の観察中に以下のとおり語ってみせる。

飛翔によって描かれる渦や流線や螺旋などのとりどりの光の筋は、じっさいには存在しないんだよ、と言ったのもアルフォンソでした。われわれの視覚の惰性がもたらす幻影にすぎないというのです。蛾は灯火を反射してほんの一瞬かがやいて消えるだけなのに、そのきらめきが、いつまでも見えるように錯覚してしまうのだよ。私たちの胸を深く揺さぶるのは、あるいは少なくともそんな心地にさせるのは、こういう、現実には存在していない現象なのだ。現実世界の中に一瞬起こった非現実的なもののきらめき、眼前にひろがる風景なり、恋する人の瞳なりのある光の効果なのだよ、と。

 あるいはp.177で、アウステルリッツが自身の幼少期の写真、薔薇の女王のお小姓の姿を目にした直後の、時間に関する想念は以下のようなものである。

過去が戻り来るときの法則が私たちにはわかっているとは思いません、とアウステルリッツは続けた。けれども、私は、だんだんとこう思うようになったのです、時間などというものはない、あるのはたださまざまなより高い立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしたがって、そこを出たり入ったりできるのだ、と。そして考えれば考えるほど、いまだ生の側にいる私たちは、死者の眼にとっては非現実的な、光と大気の加減によってたまさか見えるのみの存在なのではないか、という気がしてくるのです。物心ついてからというもの、私はいつも現実世界に自分の居場所がないかのような、自分がじつは存在していないかのような気がしていました、とアウステルリッツは語った。そして薔薇の女王のお小姓の眼差しが私を刺し貫いたシュポルコヴァの小路でのあの晩ほど、その感覚が強烈になったことはありません。

Ⅱ. 過去に触れる

 『アウステルリッツ』における上記のような「過去」の鮮烈な経験について分析しているのが、田中純の著作『過去に触れる――歴史経験・写真・サスペンス』に収められた論考「迷い蛾の光跡――W・G・ゼーバルトの散文作品における博物誌・写真・復元」である。同書はもともと、広く芸術一般において観客が創発的なかたちで鑑賞をなすとはどのような事態であるかを探っていた際に出会ったものである。以前に私は、竹峰義和『<救済>のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クールゲ』を通して、フランクフルト学派におけるモンタージュという概念が「過去」がアクチャリティを獲得するために必要であること知った。この点について、田中純は書評で慎重な態度を示したうえで、「パラタクシス」なる概念を対になるものとして紹介する。そこから、『過去に触れる』を手に取った。同書は複数の作品論でありつつ写真論を中核に置き、バルトの「プンクトゥム」やヘイドン・ホワイトの「実用的な歴史」といった述語を辿って、「過去」という時制への理解を促すものであった。外観としては、おおむね巻末の著者自身によるダイアグラムにあるとおり、「歴史」という秩序化された理解は、内包した無数の出来事によって断片化され、また新たな歴史として結ばれてゆくことを繰り返すといったものである。
 『アウステルリッツ』を扱った「迷い蛾の光跡」では、さきに引用したアルフォンソの台詞がエピグラフとして引かれている。論のテーマは「歴史叙述」であり、テクストと挿入される写真の関係が主に論じられる。田中によれば、アウステルリッツの幼少期の写真を読者は虚構であると同時に現実であるとみなしながら読み進める。この時、写真に写る名の知れぬ少年は、迷い子として「開かれた過去」が与えられるという。すなわち、写真として明示される「起こったこと」としての過去に、テクストが「起こるかもしれないこと」の可能性と潜在性をもたらしているのである。こうした文学的歴史叙述は、読者にさまざまな逸脱と迷走を促し、「奇妙な、因果律によっては究明できない連関」に遭遇するのではないかという。パランプセストに分け入ってゆく「読み」については、鈴木賢子が「われわれ読者は、いつの日かもう一度写真と物語を配列するよう、そして現実において被害者の物語を語り継ぐようテクストに働きかけられているのだ」と指摘したものと同様のものであろう。
 『過去に触れる』では、読者に起こりうる旅の実践的な例も登場する。写真家のダニエル・ブラウフークスは、『アウステルリッツ』後半に登場するテレジンゲットーの収容者の記録保管文書室の写真を、実際に現地を訪れて自らの手でも撮影し、ゼーバルト同様に出自不明な人物の手記の内容をまじえて、写真集『テレジン』として発表している。さらにブラウフークスは、作中でアウステルリッツが母アガータの面影を探してゲットーを映したプロパガンダ映画をスローモーションで再生した場面をもなぞってみせる。彼は、ナチスの演出によって画面内の抑圧された人々が笑顔を向けていることに十分注意したうえで、全体を赤く着色している。この映像は、いくつかの場面の静止画として写真集にもなっているのだが、ここでは、「取り出されたショットの画面をさらにフレーミングすることにより、ナチの美学や宣伝の意図の外部にあったかもしれぬ「彼方」を救い出そうとする」ブラウフークスの狙いがある。田中純が「迷い子」としての宙吊りにされた写真に見る潜性的な力は、このような「開かれた過去」のもつ「彼方」への志向性であろう。ここにはあるいは、トーマス・デマンドのようなニュース映像や写真といった、複製されながら浪費されてゆく現実の事件を漂白する試みとも重ねられるかもしれない。

Ⅲ. ツーリズム

 さて、『過去に触れる』にはひとつ興味深い点がある。岡本源太が指摘するとおり、同書は「歴史をめぐる私記」として書かれており、写真や映画に現れるさまざまな「身振り」をめぐる際に、著者自身の「身振り」が重ねられている。『アウステルリッツ』の項で言えば、田中は作中の幼少期の写真の現物を求めて、実際に現地まで足を運んでいる。そのうえで、目にしたもののあれこれについて少なくない字数が割かれている。やや飛躍した言い方が許されるのであれば、同書では直接言及されずとも、『アウステルリッツ』の促す「放浪の旅」はさまざまなレベルでの「ダークツーリズム」を意味しているのである。現代におけるツーリズムについては、311以降、アクチャルな問題として日本でも積極的に論じられてきた。記号としての「観光客」に誤配による類縁関係といった可能性の領野を見出した東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』などはその代表的な例だろう。
 ダークツーリズムを批評的な視座から捉えたのは、映画監督セルゲイ・ロズニツァの2016年の映画『アウステルリッツ』(※以降、映画版の表記がないものはゼーバルトの小説を指す)である。ゼーバルトの同名小説に着想を得た今作は、ホロコーストの現場となった元強制収容所を訪れる人々を収めたドキュメンタリーである。東欧圏のナチスの収容所がソ連に使いまわされたといった歴史的経緯を踏まえれば、ウクライナ出身のロズニツァが今作を撮ることは自然であろう。映画は、観光地化した収容所の展示室と展示室のあいだや、各出入り口、通路など、ツーリストたちが往来し滞留する場所にカメラを設置して、定点で撮られている。展示物は全く映されておらず、各場面は画面内のツーリストたちの動きや出入り、ガイドの話を区切りにして淡々と移り変わってゆく。ゆえに、映画を観ている我々は、カメラアイを通してツアーに同行しているような気にさせられる。
 はじまってすぐに気がつくのは、「元強制収容所」といった重々しい肩書に対して、記念博物館となっている現地で公園やテーマパークかのようにラフに過ごす人々の姿のギャップである。このギャップは、作中で露悪的に示されることも何度かある。収容者を吊るした棒についてガイドが説明した直後、その吊るし棒にもたれかかるツーリスト、あるいは同様に、収容者が慢性的な飢餓に苦しんでいた説明が流れた次の場面でツーリストたちが軽食をとる。きわめつけは、ガイドが休憩を提案する際に、ツアー客の集団に向かって「早く移動すれば長く休憩できますよ」と声をかける場面であろう。しかし、このような皮肉めいた箇所は、映画全体のボリュームの中で前面化されているわけではない。また、映画内で、倫理的な提言が明示されることもない。
 ロズニツァが批判を向けているのは、「ツーリスト」の身振りそのものである。それは、写真を撮るだけ撮ってすぐにその場を立ち去るような惰性的な見る行為、我々の社会の中で形式なき形式として強固にコード化され、組み込まれているものである。藤本徹は今作を評した際に、「観光客を集約的に観光地へと運搬する今日の鉄道網こそが、かつて効率的に人々を絶滅収容所へと送り込んだ装置そのものであり、ナチスの崩壊後ソ連の収容所へと転用されたあともその場所では、引き続き大量の犠牲者が生み出された。降り注ぐ夏の陽射しの奥向こうに響き始める、ナチス〝後〟からの呼び声」と、述べており、現代の記念館の開かれた可視性の内に暴力の痕跡を見てとる。これらは、『アウステルリッツ』の語り手と主人公の、土地の記憶をめぐる足跡とは対照的なものである。「ツーリスト」の身振りは、ピクニックやレジャーであろうとも変わらない。彼ら自身が「ほかでもないこの場所」を訪れている事実を欠落させている。戦後に生まれた多くの人々がこうした身振りによって場の文脈を漂白していることは、歴史の担い手の不在と重ねて、二重に土地の忘却が起こっていることを意味しており、根深い問題を孕んでいると言えよう。
 一方で、ただそこを訪れたいといった無垢な好奇心や、偶然連れてこられただけで元から興味がないといったリアクションなども排除すべきではない。例えば、ドイツ映画研究者の渋谷哲也はTwitter上で、「犠牲者を想起し同一化するポリティクスも恐ろしいのだ。むしろカラフルなTシャツ姿で収容所を訪れて自撮りする人々に安堵する自分がいた」と自身の見解を述べており、過度な倫理的態度への忌避感を示している。重要なのは、それらが土地との緊張関係を保持しているか否かではないだろうか。映画の中では、先のツーリストたちの一様な身振りとは異なるものが映されたシークエンスが二つ存在する。一つ目は、後半、処刑場内部で入れ替わり現れる、モニュメントを背にしてなにがしかの展示物を見つめる三人のツーリストのクローズアップである。彼らは、各々にシリアスかつ複雑な表情でただじっと目の前にあるものを見つめている。二つ目は、ツアーの最後に誰も入ることなくスルーされたガス室の入口の、ツーリストたちのいなくなった映像である。「場」そのものがフォーカスされた数少ないこのシークエンスでは、その判断が映画の観客に委ねられている。

 ダークツーリズムをめぐる諸問題は容易ではない。身振りに正解もない。しかしながら、場との緊張関係を元にして各自が私的な体験に分け入ることは重要であろう。あるいは東の語るところの「連帯」が意味することとも取れるかもしれない。例えば、先の藤本徹は先述の映画評の中で、自身が収容所を訪れた際の記憶を以下のように綴っている。

かつて筆者は、ダッハウ強制収容所を訪れたことがある。ヒトラーが若き日を暮らした町ミュンヘンの郊外に位置するその場所を、まさに『アウステルリッツ』が映しだすような観光客の一人として訪問した。暴虐の爪痕そのものである展示物や復元保存された諸施設の禍々しさもさることながら、無数に立ち並んでいた収容棟の跡地が空き地のまま維持された広大な敷地を、とぼとぼと歩く心地のやる瀬なさ、寒々しさを強烈に記憶している。

 この空虚な感情の正体はなんであろうか。当然、彼の言葉は映画の中のツーリストたちの身振りの延長線上に置かれており、ある程度一般的な反応でもあるだろう。しかし私は、藤本の感じる「やる瀬なさ」「寒々しさ」に強い共感を覚える。というのも、2019年に京都アニメーションで放火事件があった際、数週間後に私は同地を訪れていた。その時に感じたなんとも言えぬ、「距離」に隔てられた感覚が、当時の自分の遺したメモから読み取ることが出来るのだ。

ふたたび道を渡り、一枚だけ献花テントの写真を撮って、また第1スタジオへ向かった。改めて目にすると、ニュースで見たときに比べてずっと、小さくありふれた建物に見えた。三階のベランダからは、ひしゃげた手すりが見切れている。唐突に、ここに死があったのかと思った。写真を撮りながら、俺はいま、死者に眼差しを向けているのだ、と。不思議な感情だった。いや、むしろただ不思議だったのだ。ニュースで事件について見聞きしていた時には、深く、なにか身をもって悲しむことさえできていた気がするが、いざ本物の光景を前にすると、何も感じず、何も考えられなかった。この、煤の匂いがして、立ち入りを禁止されたベージュ色の建物にまつわる、自分の準備していた感情はことごとく消え去っていた。所詮は、見聞きした際に存在していた距離が感情の経験を可能にしていたのだ。痛ましさなど、現実の風景を前にしては結局遅れてやってくるのだ。その意味で、自分の抱えた哀しみは、出来事を直接経験していないからこそ生まれ得たものだったのだと感じた。
〔…〕
思えば、私はダークツーリズムと呼ばれるものを始めて経験した。震災や、その他のものにしても、ただその慰霊碑や災禍に見舞われた土地を見るためだけに訪れたことがなかった。だからこそ、あらゆる災禍は悲劇として物語られたものにとどまり、自分の感情のスイッチを合わせることが可能だった。しかし、いざ現実に前にしてみると、そこには「ただ存在する」こと以上のものは、全く何もなかった。自分の哀しみすらも、そこでは締め出されていた。私がなぜ京アニの火災跡を立ち去ったのかは分からない。十分に見たという感覚も、十分に祈りを捧げたという感覚もなかった。電車の時間もさほど気にしていなかった。ただ、なんだか去ろうと思ったのだった。来た道を駅の方へと向かって戻っていった。

 このやるせなさは、「過去」との出会い損ねに起因している。かつての私は、文中で場を訪れることそのものを否定も肯定もしておらず、ただ、私と場が一時共在した事実を述べているだけである。この「事実」とは、場と私の時間的な断絶の現れでもある。公共彫刻の抱える問題を複数の視点から論じた『彫刻の問題』において、筆者の一人である金井直は「ともあれ私にとって重要なのは、今、ふたりの作品に誘われて、自身あらためて長崎市松山町を訪れようとしているということである」と述べている。この、なにげない結びの一文が、私にはずいぶん希望的に映った。時制の距離の事実の一方には、空間的かつ身体的な事実が存在する。ツーリズムにおいて重要であるのは、かような二つの時間、二つの場、その触媒としての自己に立ち返る余長が用意されていることではないか。歴史の担い手の不在を、仮に補う必要があるとすれば、これらの主体の現れこそに可能性を見出しうる。

Ⅳ. 不在の現前

 ふたたび田中純『過去に触れる』に戻ろう。第一章、本書全体のステートメントの役割を果たす項では、「歴史経験」概念の学術的な変遷が辿られる。そこで特に興味深いのは、フランク・アンカースミットとエルコ・ルニアの議論である。
 順に見てゆこう。西洋中心主義的でやや難のあるアンカースミットを筆者に従ってみてゆくと、以下のような論点をまとめることが出来る。まず、歴史経験には歴史家個人に根差した主観的なものと、全体的・集団的にしるしづけられた崇高なものがある。一般に「歴史」と自明視されるのは後者であるが、二つの歴史経験は交差することもある。アンカースミットはさらに、「過去」と「現在」の分離の経験を分析するために、ノスタルジアの二つの様態に着目する。一方は「復旧的ノスタルジア」であり、他方は「反省的ノスタルジア」である。前者は、過去の姿をそのまま再現するような時制の隔たりを顧みない態度であり、後者は、二つの時制の距離を自覚する経験である。「反省的ノスタルジア」は集団的な歴史経験において前提となっていることである。では、個人的な歴史経験における「反省的ノスタルジア」とはなにか。田中によれば、ホイジンガを参照したアンカースミットのこの点に関する議論はやや錯綜しているが、「個人が味わう歴史経験における過去との直接的接触は、音と色彩とが分離しないこの共感覚的経験の深層に対応するような、過去と現在とが未分化であった原初的状態への回帰」と捉えることができるという。
 さて、続いては、エルコ・ルニアである。彼は、歴史の不連続性(ここでの「歴史」とは、「起こったこと」と「起こったことの記述」の両面を指している)と過去の現前性を、「メトニミー(換喩)」の概念を用いて論じている。この場合のメトニミーとは、「615号室の胆嚢は食事をしたがらない」のように、あるもの(例文では「胆嚢の病気の患者」)をその一部(胆嚢)で表す提喩を含み、こうした抱合関係などの概念の隣接性に基づいた比喩を指している。ルニハはメトニミーを言語表現以外にも拡張しており、恋人の左手の石膏像や、ゼーバルトの小説の写真、生物の化石、故人の遺品、ホロコースト記念碑といった現代のモニュメントもメトニミーの性格が顕著であるとみなしている。これらに共通する特徴とは、当初のコンテクストから切り離されて別の文脈に転置されたことによる場違いな異物性であり、何かを再現的に意味するのではなく、その何かの不在自体を現前させている点にある。メトニミーとはこのような意味で「不在における現前」であり、そこには存在しない何かが“不在のまま”現前している事態を示す表現なのである。こうした機能において、人や物の「名」こそは原初的なメトニミーである。モニュメントの問題は直結する。ゼーバルトの作品においては、「過去の現前」による不連続性は、異質な空間との遭遇という身体的経験として表現されることになる。19世紀に制度化された歴史学が、トラウマ的な出来事の突発性を中和し、因果関係の連続性を回復させる試みであったとすれば、メトニミーはそういった言説に穴を穿つものである。未解決の過去は、「起こったことの記述」としての歴史によって覆い隠されようとするのだが、メトニミーという亀裂を通して、不在のまま不気味に現前せずにはおかないのである。
 触媒としての断片を通した、出来事の無際限な総体=不在の経験。ゼーバルトの文学作品は、そういった性格を抱えたものである。私は「アウステルリッツ」と題された文学と映画の両作品を、メトニミーの往還の中で、二つの空間的な広がりを開くものであったと考える。すなわち、アウステルリッツが、「時間などというものはない、あるのはたださまざまなより高い立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしたがって、そこを出たり入ったりできる」と語った、形而的な出入りを読み手(あるいはロズニツァ映画における観客)に身体的に経験させるものであった、と。ゆえに、そこでは異なる空間を訪れた身体が持ち帰られる。ダークツーリズムにある事実性の論点はこのようにして本作の身体経験と重なり合う。一つだけ留保したいのは、「過去」に位置する不在を、「死者」として捉えることである。私はむしろ、「不在」そのものの眼差しを観客自身が一時的に借り受ける、そういった作品であったと今になっては思えるのである。『アウステルリッツ』で、幼い日に世話になった隣人のヴェラは「薔薇の女王のお小姓」の写真をアウステルリッツに見せる直前、以下のように語りかけた。

ヴェラが、忘却の底から浮かび上がって来たこういう写真には、独特ななんとも知れぬ謎めいたものがあるわ、と話している声がとどいてきたのでした。写真の中でなにかが動いているような気がするの、ひそかな絶望のため息が、聞こえてくるような気がするの。まるで写真そのものに記憶があって、わたしたちのことを思い出しているかのように。私たち生き残りと、もうこの世のひとでない彼らの、ありし日の姿を思い出しているかのように。



【参考】
・鈴木仁子訳『ゼーバルト・コレクション[改訳]アウステルリッツ』白水社、2012年
・田中純『過去に触れる――歴史経験・写真・サスペンス』羽鳥書店、2016年
・鈴木賢子「W.G.ゼーバルトの記憶の技法」
・金井直「代わりとしてのモニュメント、モニュメントの代わり」(『彫刻の問題』所収)トポフィル、2017年
身振りをなぞる──歴史の経験と認識についての試論
【映画評】〝群衆〟の鮮烈、沈黙とそのリアル。

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