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『嗣永伝 NO.6』 嗣永の自己紹介というか、活字に苦手意識を持っている人間が、自身で小説を書くようになった経緯を語っていく。


デリヘル嬢の彼女に完成原稿を渡すことができたぼくは、いよいよ文藝賞の応募に踏み切るのだった。

原稿の校正を再度行い、誤字脱字などがないかを改めて確認する。(尚、後々読み返しているときにも、訂正箇所が発見されたため、その時点での校正は完璧ではなかった模様……)

やっぱ、校正は苦手だ……。

そして、原稿の校正作業を終え、原稿の最終チェックを済ませたぼくは、いよいよ完成原稿を『河出書房新社』に郵送するのだった。

締切日の7日くらい前だったと思うが、最寄りの郵便局に足を運び完成原稿の入った封筒を持参した。これまで高校の入試のときでも、それほど緊張しなかったのに、ただ、原稿を郵送するだけなのに、めちゃくちゃ緊張していたのを、今でも覚えている。

郵便局の駐車場に車を停め、落とさないように折れないように、原稿が汚れないように、両腕でしっかりと封筒を抱えて郵便局内の受付に持っていく。受付にはメガネをかけた女性の局員がおり、

「すみません……」

と声をかける。

「これ、郵送でお願いします」

「普通ですか? 速達ですか?」

女性局員がぼくに訪ねる。

とくに急がなくても、応募の締切日には間に合いそうだったが、念には念を入れて、配達は速達でお願いすることにした。原稿を預ける際、ぼくがあまりにも大事そうに、封筒を抱えていたのもあったからか、「はい。お預かりしますね……」と、笑顔で封筒を受けとる女性の荷物への扱いも、心なしか丁寧に感じられた気がする。

女性の手によって、局の奥へと運ばれる原稿を見送り、ぼくは郵便局をあとにした。郵便局の滞在時間は5分程度だった。実にあっさりしたものだ……。

手に滲んだ汗を、ズボンの太腿部分で拭い、駐車場に停めてある車に乗り込み帰路についた。

とある休日の話である。

半年ほど応募の選考には時間を要するらしく、その間はいつも通り職場と自宅の往復だった。もともと小説以外の趣味は、熱心にやっていなかったのもあり、(息抜き程度でキャンプというか、たき火遊びをキャンプ場でしていたり、関東に住んでいたころは、登山仲間が少しはいたので、関東周辺の山に登山に出かけたりもしていたが、地元の福岡に帰ってからは、ほんとに友だちと言えるほどの友人も居らず、職場の往復以外は、小説の執筆だけが生きがいだったので)ほんとに燃え尽き症候群のような状態になっていた。

ただ、選考の結果は気になるために、小説関連のサイトで、文藝賞の受賞までの流れや、選考に落選したときの情報を、ひたすらネットで調べていた。

「あー、やっぱり、佳作でも、入選でも、受賞発表の3ヶ月くらい前には、事前に連絡がくるのかぁ〜……。まだ、一ヶ月しか経ってないし、まだ連絡なんか来るわけないよな〜」

『蝶々と灰色のやらかい悪魔』という作品に、それなりの自信を持ていたぼくは、一作目から文藝賞の受賞はしないとしても、何かしらの賞(佳作や入選など)くらいには引っかかるだろうと、根拠の無い自信をもっており、連絡は来るものだと思い込んでいた。

しかし、応募から2ヶ月が経っても、3ヶ月、4ヶ月が経っても、連絡など来ることもなく、「あれ? おかしいなぁ〜? まあ、受賞の1ヶ月くらい前に、急に連絡が来ることもあるか?」などと楽観的に考えながら、ふだんの日常を過ごしていたのだが、あっという間に、その文藝賞の発表日を迎えてしまう……。

「え? 落ちてんの? いやいや、まさか、まあ佳作止まりだったとしても、雑誌に作品の題名くらいは掲載されてるでしょ!!」

2018年10月18日『文藝』(雑誌)の発売日、ぼくは仕事が終わったその足で、博多駅の『MARUZEN』に向かった。文芸誌コーナーにある『文藝2018年冬季号』を手にとり、書店のカウンターで支払いを済ませる。

そして、買った雑誌をそのままバックに放り込み、車を停めてある駐車場まで急いだ。すぐに文藝賞の受賞結果を確認したかったのだが、駐車場の場所が、博多駅周辺だったこともあり、あまり長く車を停めていても、パーキング代がバカにならない。

駐車場に着くなりパーキング代を支払い、落ち着いて雑誌の中身を確認できる場所まで、とりあえず車を走らせることにした。

福岡空港の近くに、たまに執筆に使っている空き地があったことを思い出し、その場所へと急ぐ。受賞の結果が気になりすぎて、正直、運転どころではなかったが、余所見運転をして、万が一事故りでもしたら目も当てられない。

とにかく、例の空き地まで急いだ。

空き地に到着し、辺りが真っ暗だったが、車内灯の明かりを頼りに、バックから雑誌を引っ張り出す。

恐るおそる雑誌を開き、まずは目次を確認する。

それから、文藝賞の受賞結果の載ったページを開く。ふだんであれば、雑誌など買わずに、書店で立ち読みして結果を確認するところなのだが、自分の作品を応募しているだけに、そんな真似はしなくなかった。ちゃんと買った雑誌で『蝶々』の結果を見届けたかったのだ。

文藝賞の結果が掲載されているページまで、ゆっくりとページを捲った。

1ページ、1ページ、丁寧にページを捲った。

最後のページを開く瞬間、心の準備をするように、気持ちの整理をするように、ひとときだけ目をつむる……

ページを開くと、ほぼ同時に、

意を決して目を開く!!!

視界に飛び込んできた、ページには、

『蝶々』の文字も、『嗣永』という文字もなかった……

隈なく探しても、前後のページにも、

戻って目次を開いて、再確認してみても、

どこにもぼくに関連する内容は、載ってはいなかった。

つまり、落ちたということだ……。

落選だ……。


ぼくの2年間は、こうして終わりを迎えた……

そのときはしばらく、その場から動けなかった。

放心状態だった。

悔しいというか、情けないというか、諦められないというか、もどかしいというか、悔やむに悔やみきれないというか、喪失感というか、燃え尽きたというか……

もう、なんて表現していいのか、判らなかった……

幾度となくため息だけがこぼれ、10月中旬の秋風の吹き付ける寒空のしたで、ベンチに座ったり、寝そべったりしていた。何をするわけでもなく、そして、何をしていいのかもよく判らず、途方に暮れていた。ぼんやりと見上げた夜空には、無数の星が瞬いていた……。



次回へ続く……



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