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『嗣永伝 NO.9』 嗣永の自己紹介というか、活字に苦手意識を持っている人間が、自身で小説を書くようになった経緯を語っていく。


こうして、『蝶々と灰色のやらかい悪魔』の投稿と『翠』の執筆を再開してぼくは、本業の仕事と執筆活動を並行していくことになる。

もともと『翠』は書く予定ではなかったので、設定も後付でつけ足して行ったし、舞台となる場所も、過去にぼくが実際に住んでいた東京の千葉寄りの場所にすることになった。

官能なのだから、官能として終わらせてもよかったのだが、なんというか自分では純文学を書きたいという気持ちが強かったっこともあり、ただの官能を書きたくなかったこともあり、ぼくの土俵でもある純文学のテイストのなかに、官能の要素を取り入れていった形になる。

このへんも、この作品の世界観をとっ散らからせてしまった要因になってしまった気がしないでもない。

それはそうと、一度書き進めてしまった以上、世間に公開してしまった以上、読んでくれている読者が、どこかにはいるのだから、その人のためにも小説を完結させなくてはいけない。

物語に矛盾を作らず、伏線は回収し、内容は面白く、読者をあっと驚かせるようにな展開で、一度、広げてしまった風呂敷を畳まなくてはいけない。そう思いながら執筆を進めているあるとき、実生活での本業の仕事で、とんでもないニュースが舞い込んでくる。

部長への昇進の話だった。

正直、嬉しくなかった……。

その時点で、本業への気持ちは、半分冷めかけていた。熱意もなければ、ただ与えられた役目をこなすだけの、流れ作業のような感覚で、仕事をしていたように思える。せっかくヘットハンティングしてくれた社長には悪いが、やはり小説家になりたいという気持ちは、どうしてもへし折ることはできなかった。

未練たらたらだ……。

文藝賞の落選の事実を知って、一時的に気持ちが沈没していた期間はあるものの、やはり小説家を諦めたくなかった。3年のブランクを抱えて、改めて執筆を再開してみると、自分を表現したいものは〝コレ〟だったと、改めて思えた。

小説でしか表現できないし、それまでの努力も鍛錬も無駄にはしたくなかった。

ただ、その当時、働いていた会社の部下や従業員のことも、蔑ろにするのも嫌だった。仕事でお世話になっている以上、部長として白羽の矢が立った以上、その昇進の話を受けるのであれば、てきとうな感じで仕事をするわけにもいかない。もし自分がその人の部下だったと考えたら、こんな趣味とも判らないようなことに、情熱を注いでいるような上司に着いていきたいと思えない。少なくとも従業員のことを親身に考えてくれて、なにか困ったことが発生した場合には、すぐに駆けつけてくれるような上司の元で働きたい。

どうにか両立できないかとも考えたが、やはりぼくの性格上、どちらか一方に力を注ごうと、もう一方が疎かになってしまう。

家庭の経済状況や、職場の従業員のこと、会社のことなど、色々考えた結果、ぼくは全体的なバランスを考え、いったん自分の夢をあきらめ、会社やみんなのために、仕方なく昇進の話を受けることになった。

せっかく起動に乗り始めていた執筆活動も中断を余儀なくされ、『蝶々』の投稿は、そこまで加筆修正する必要がないので、なんとか継続はしていたが、『翠』の原稿のストックが無くなっていった辺りで、一時的にブログの更新頻度が激減し、当時『翠』の読者だった人には申し訳ないと思いながらも、そのままブログの更新が疎遠になり途絶えてしまった。

ブログの更新が自然消滅的に途絶えてしまってからというもの、とにかく目の前のことに集中するしかなくて、こちらの都合などお構いなしに振ってくる仕事に忙殺され、義務感と責任感に押しつぶされながら、結果的に本業の仕事に全神経を注ぐことになっていった……。

夜中でも社長から電話があり、不測の事態が起きれば、休みだろうと関係なく会社から呼び出され、毎日の残業は当たり前、家に帰ればそのストレスから酒の量は、次第に増えていき、夜は不眠でなかなか寝付けない。寝れない状態をどうにかしたくて、酒を煽って無理やり寝る。朝、起きて出勤するときには、ストレスで吐き気が止まらず、車を運転してるときに、何度も嗚咽を伴いながら、片道2時間近くかけて職場に出勤する。

そんな毎日を送っていた。

ちなみに2時間もかかって出勤していたのは、引っ越し先を探している段階で、時間の限られている中で、猫OKな物件を探していったこともあり、なかなか条件の合う部屋が見つからず、結果的に職場からかなり遠い場所になってしまったためである。

仕事内容については、会社の守秘義務などもあるので、ここでは割愛させてもらうが、そんな日々に忙殺されながら、血反吐を吐くような思いで、約2年近くも全力で仕事に打ち込むことで(※ここではぼくの小説がメインの記事にしているため、その当時の会社でのエピソードについては、大幅にカットさせて頂きます)、どうにかこうにか、当初、昇進の際に社長と約束していた〝職場の改革〟という、最低限の目標だけは達成することができた。

そして、職場の改革と同時進行で行っていたのが、ぼくの後任を探すことである。後釜を育てても良かったのだが、さすがに一から育てていたのでは、時間も労力もかかりすぎる。それに適任者がいなかった。ということで、前職でお世話になっていた元上司の知り合い(Yさんとしておこう)に声をかけることにした。それについては改革が完了する半年前くらいから動いており、計画から逆算して夏頃にはそのYさんと連絡を取り合っていた。

夏に連絡をしたときには、ちょうど実家の東京に帰省していたらしく、

「あー、生憎、今は実家に帰省してるんだよね〜。母親の調子が悪いから、今度、詳しく聞かせてよ……」

とのことで、大して細かい話は出来なかった。

(ちなみに、そのYさんの母親というのは、ステージⅣの癌を患っており、一応抗がん剤治療はしていたらしいのだが、あまり長くはないとのことで、冬頃には抗がん剤治療をやめて、緩和ケアに移っていた……)



次回へ続く……






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