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鳥たちのさがしもの 9
少年は天秤を探していた。夜明け前のジョギング。丘の上までの最後の坂道。眼下には街灯の波が煌き、東の空には明星が瞬く。山の稜線が白く霞みはじめる。クールダウンをしていると、猫が朝の挨拶をしに寄って来た。
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-孔雀のさがしもの・夏-
さすがに息が切れている。孔雀は、縁石に腰かけてクールダウンしながら、今上がってきた方の景色を眺めた。
今日はまだ暗いうちから家を出て、いつもよりも長い距離を走った。丁度、海と山の境目辺りが白く霞み始めている。その真上に、明けの明星が輝いていた。何か貰えると思ったのか野良猫が寄ってきて少し手前で座り込み、孔雀の顔を見つめたので、孔雀は何も持っていないというように両の掌を広げて見せた。
「おはよう。ごめんな。何も持ってないんだ」
それでもそこに座り込んだままの猫に声をかけて喉元を撫でてやると、猫はようやく諦めたように踵を返し、坂道を下って行った。
”天秤”と”夜明け”。燕に貰った美しい謎かけのようなキーワードを頭の中で転がす。
燕のことだから夏の星座である天秤座を意識したのかと思ってネットで調べたところ、天秤座の見頃はもう過ぎており、そもそもあまり目立たない星らしいので、孔雀のスマートフォンのカメラでは綺麗に撮れそうになかった。
孔雀は、何の案も持たないままとりあえず”夜明け”を掴まえに来たのだ。
夜明けはそろそろだ。手前の住宅街はまだ夜の雰囲気で、街灯が煌めいているが、海と山の稜線はだいぶ明るくなり始めていた。
天秤座のことを調べた同じページに、「天秤座は元々秋分点にあり、昼夜を均等に分ける時の天秤を意味にしていた」とあった。
昼夜を分ける時の天秤…そうか。それは夜明けそのものだ。
燕の奴。
燕が出したキーワードを正確に解した喜びよりも、してやられたという気持ちの方が大きかった。
しかし、ぐずぐずしては居られない。孔雀はポケットからスマートフォンを取り出すと、太陽が昇る辺りに焦点を合わせた。思ったとおり太陽の光が明るすぎて、うまく”昼夜の狭間”の感じが出ない。
設定をあれこれいじっていると、ちょうど海と山の境目から太陽が顔を出した。これは予想外の収穫だ。
天秤は、昼夜を分ける時の天秤。そして、この街では、山と海を分ける天秤でもある。
なんとか思ったような風景を写真に収めて、孔雀は再び眼下に目をやった。新しい一日が始まる。
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少年は轍を探していた。岬を巡るワインディングロード。自転車を嘲笑うように、エンジン音が風を切り裂き駆ける。展望台の柵から伸びる望遠レンズ。鷹が急降下する。轟くシャッター音。猫がバイクを値踏みしていた。
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昨夜、両親から言い渡された言葉を振り払うように、孔雀は必死に自転車をこいだ。気がつくと、江ノ島が目の前に迫っていた。本来の目的地であった小動岬をとっくに通り越している。
孔雀は自転車を止め、小さく溜息をついた。
「何もかもうまくいかねぇ」
そんな孔雀を嘲笑うかのように、バイクの集団がエンジン音を轟かせて追い抜いて行った。江ノ島まで行くに違いない。
少し癪だが、もしかしたらこの先で”轍”が見つかるかもしれないという思いが頭を掠める。”岬”は何も小動岬でなくてもいい。いや、むしろ江ノ島の方がいいのではないか。
孔雀は頭を切り替えて、再び自転車のペダルに足をかけた。
春休みに東京に引っ越す。両親はそれがもう決まったことだと示すようにはっきりとそう言った。寝耳に水だった。
先日、夜鷹が父親の研究の関係でアメリカに引っ越すのだと聞いたばかりだった。燕は私立の中学に行くが住む場所は変わらない。皆ここで待っているからまたいつでも会えると言い合った。それなのに。
「なんでだよ」
思わず強い口調で尋ねる孔雀に、母親は仕方がないわねえという風に笑って答えた。
「ここだとお父さんの通勤が大変なのよ。それでも貴方の卒業まで待ったのよ。藍炭君も引っ越すんでしょう?」
「夜鷹のことは関係ないだろ」
「千草君は私立の学校に行くと聞いたわよ。山吹君だって学区が違うし。どうせみなバラバラになるんだから」
「近くに住んでるのとそうじゃないのとは全然違う」
「もう決まったことなの」
「勝手に決めるなよ」
母親が困った表情になったのを機に父親が言葉を継いだ。
「孔雀。大人の都合で勝手に決めてしまって悪いとは思ってる。でもな、これからこういうことは沢山あるんだ。少しずつ慣れていくしかない」
「勝手なこと……言うなよ」
更に反論した声は、しかし随分と小さくなった。父親がこういうことを言う時、それはもう何を言っても無駄だということだ。孔雀はそのまま黙って夕飯を食べて、部屋に戻った。
日曜日である今日は家に居たくなくて、”夏休みの宿題”を片付けると言って家を出てきたのだった。
江ノ島弁天橋の手前の駐輪場に自転車を止めて橋を渡ると、思ったとおり先程のバイクが止めてあり、猫がそれを見上げていた。
孔雀もそれにつられるように空を見上げ、そのままぐるりと辺りを見渡した。江ノ島の上には江ノ島展望灯台、通称シーキャンドルがそびえたっている。孔雀はその人工的なフォルムが好きではない。
展望台のデッキには、長い望遠レンズをつけたカメラを構えた人の影がちらほらと見えた。
ふと、鳥の影が目に入る。鷹? いやまさか。……鳶だろうか? 鳥の黒い影は優雅に展望台の上空を一周すると、急降下し、視界から消えた。
上ってみようかな。孔雀は青銅の鳥居を目指して歩き出した。
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少年は翼を探していた。広い河川敷のグラウンド。小春日和の日曜。ジョギングの波にエールを送るトランペットの叫びが、空に吸い込まれてゆく。陽だまりに目を細める猫。河原の土手に寝転べば、ひとすじの飛行機雲。
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駐輪場に戻ってきたものの家に帰る気にはなれず、そのまま境川に沿って自転車を走らせた。考え事をしながら走るとまた遠くまで行ってしまいそうなので、河川敷の公園で自転車を止める。テニスコートやグラウンドもあり、誰かが練習しているのか試合なのか、本格的なトランペットの音と歓声が聞こえた。
少し前までの茹だるような暑さが随分と落ち着き、今日は真夏というよりは小春日和と言ってもいいような快適な気候だった。本来なら気持ちの良い一日であるはずなのに、青い空とは裏腹に、孔雀の心は靄がかかったようにすっきりとしない。
河原まで歩いて行って土手に寝転ぶと、脚が随分と疲れていることに気がついた。朝からずっと自転車をこいだり江ノ島の展望台まで歩いて登ったりしたのだ。疲れていないはずはない。
空に、ひとすじの飛行機雲を見つけて、孔雀はここが飛行機の通り道なのだということを知る。そしてそれは同時に”引越”の事実も思い出させた。
孔雀の父親は空港で働いている。だから両親は羽田空港の近くに引っ越すことにしたのだ。そのことはまだ、仲間の誰にも告げていない。どう話したらよいのか分からなかった。
「卒業したらアメリカに行くことになった」
夜鷹は唐突にそう言った。孔雀は咄嗟に反応できなかったのだが、斑鳩が大きな声で、アメリカ?! と聞き返した。
「父がアメリカの研究チームに呼ばれたんだ。だから、家族でついて行く。俺は、アメリカのミドルスクールに通うことになるらしい」
「何だよ、それ、かっこいいじゃん」
「そうか?」
「そうだよ」
「アメリカ、遠いね……」
燕が呟くように言ったので、斑鳩もはしゃぐのを止めた。
「いつまでとか決まってるのか?」
ようやく認識が追い付いた孔雀が尋ねると、夜鷹は淡々とした表情で首を横に振った。
卒業して中学生になることは、今の生活の延長線上にあると思っていた。それが、そうではないのだと理解した瞬間だった。恐らく皆そうだっただろうと思う。
ぐるぐると同じことを考えていた孔雀の視界に、先程見た大きな鳥の影が目に入った。孔雀は慌てて身を起こし、空に向かってカメラを向けた。”翼”と”河川敷”。先日孔雀はカモメの翼をカメラに収めていた。しかし、こちらの翼の方が断然大きくて格好良かった。
大きな翼で力強く空を飛ぶ鳥を見ながら、孔雀は、仲間たちにメッセージを送った。
「話したいことがある。明日、秘密基地に集合」
もうすぐ最後の夏休みが終わる。
『煌めき』-Blue banded pitta
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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。
鳥たちのために使わせていただきます。