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鳥たちのさがしもの 22

少年はフレームを探していた。セピアに退色したモノクロームの写真。トタン屋根の工場の前でポーズをとる青年たち。肩を組んでいるのは、たぶん祖父だ。屋根の上で猫があくびをする。アルバムを閉じて、窓をあけた。

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-夜鷹のさがしもの・失われた時間-

「ヨタカ、何してるんだ?」
 クリスに声を掛けられて夜鷹は手に持っていたアルバムを閉じた。クリスの視線がそのアルバムに止まる。
「ああ、またグランパの写真か」
「Yes.」
 人が増えたからか、息苦しさを感じて窓を開けるために席を立った。クリスはそんな夜鷹を面白そうに眺めて話を続ける。
「学校はどう?」
「悪くない」
「たまにはここに来ないで友達と遊んでもいいんだよ」
「どうやって? 車じゃないと移動できないじゃないか」
「タケルに言えばいい。きっと喜ぶよ」
「父さんはそんなことには興味ないよ。それに……俺も別に興味はない。まだクリスと話をしていた方がいい」
「まだ、か。……でもいいや。ヨタカに気に入ってもらえて光栄だよ」
 クリスは夜鷹の父親の研究チームで一番若いメンバーだった。祖母が日本人らしく片言の日本語も話せるので、夜鷹がアメリカに来た当初、夜鷹に英語を教えてくれた。
 アメリカに来たのは三月の終わり。アメリカの学年は五月末で終了なので、半端に二カ月だけ学校に通うよりは新学期からにしようということになり、それまでの間、夜鷹は毎日父親の研究室に連れて来られた。
 直前に記憶を失ったからという理由もあると思う。要は研究の材料にしたかったのだ。
 父親は、新学年が始まる八月までの四カ月間で英語を学ばせたいと言い、夜鷹の相手にクリスを指名した。夜鷹は父親の研究につきあいつつ、空いた時間をクリスと一緒に過ごした。おかげで学校に通い始めるころには日常会話には困らない程度の英語が身についた。
 クリスは夜鷹のそっけない応対にもめげずあっという間に夜鷹のパーソナルスペースに入り込んできた。
 多少面倒だと思いながらも、夜鷹はクリスのことが嫌いではなかった。何より、記憶を失ったことを隠さずに話ができることが有難い。若くともさすがに心理学や脳科学を扱う研究所の職員だけあって、その辺りはわきまえており、夜鷹の失った記憶エリアに触れてしまった時はそっとその話題を離れてくれた。
「アルバムの中身、興味ある?」
 夜鷹は思い立って尋ねた。クリスは何度も夜鷹がアルバムを開いている場面を目撃しているのに、自分から見せてくれとは決して言い出さなかった。
「見てもいいのか?」
 夜鷹は頷いてクリスにアルバムを手渡した。クリスはやや緊張した面持ちでアルバムを開いたがすぐに笑顔になった。
 「ヨタカのグランパはこれだな。目がそっくりだ」
 最初のページにあるセピアに退色したモノクロームの写真。夜鷹の一番好きな写真だ。トタン屋根の工場の前でポーズをとる青年たちが写っている。クリスが指差したのは、明らかに外国人と分かる青年と肩を組んでいる男だった。
「そう。その一緒に居る人、友達だったんだって。アメリカに帰ってしまって、それ以来会えなかったって言ってた」
「そうか。俺とヨタカみたいだな」
「全然違うよ」
「いつか日本に帰るんだろう?」
「それは、そうだけど。……そういえば、クリスはしょっちゅう俺に構ってくれてるけど、自分の友達とは会わなくていいの?」
「会ってるよ。でも、俺はヨタカが好きなんだ。ヨタカと居ると面白い。年下とかそんなこと関係なくね。ヨタカと俺は、友達だ。違うか?」
「I guess so.」
 クリスの手から戻ってきたアルバムを見つめて、ふと、あの写真をフレームに入れて飾っておこうかと思った。仲間たちと一緒に楽しそうに笑う祖父の写真。
 仲間……。
 自分にこんな仲間ができることはこの先あるのだろうか。夜鷹は人との距離の取り方がよく分からない。
「クリス。写真のフレームが買える店を知ってる?」
「うーん。ショッピングモールでも売ってるけど、ちゃんとしたのを買いたければ、シカゴ美術館の近くに額縁屋があるよ。写真、飾るのか?」
「うん。じいちゃんと、その友達に敬意を表して」
「よし、じゃあ、連れて行ってやる。その写真を見たら俺のことを思い出してくれよ。ヨタカのことだから、自分と俺の写真なんて飾るの嫌がるだろうからな」
「Thanks.」
 笑って快諾したクリスに素っ気なく返事をしながらも、夜鷹はクリスをいい奴だと思った。

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少年は境界を探していた。雨あがりの日曜。空港の屋上デッキは人もまばら。濡れた滑走路は黒く艶やかに光っている。猫が水溜まりに顔を映す。水平線に虹が弧を描く。雲の切れ間に向かって、轟音が直線で飛び立った。

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 クリスは空港まで見送りに来てくれた。運転手だよ、と笑いながら。
 雨あがりの日曜。空港の屋上デッキは人もまばら。濡れた滑走路は黒く艶やかに光っている。
 轟音で飛び立つ飛行機を見ながら、クリスとコーヒーで乾杯をした。
 コーヒーの味は、クリスが教えてくれた。両親は少し離れたところで話をしている。あの夫婦は離れて暮らしてもきっと変わらないのだろう。
「しかし、まさかこんなに早く帰ってしまうとはなあ。三年なんてあっという間だったな。でも、ヨタカは大きくなった。ティーンエイジャーの成長はすごい」
「三年じゃないよ、二年と四カ月」
「ははは。そういうところは相変わらずだ」
「クリス、色々有難う。間違いなくアメリカに居る間、クリスに一番世話になったと思う」
「世話したんじゃないよ。言っただろう? ヨタカが好きなんだ」
「俺はそんな恥ずかしいこと言えない」
 クリスがストレートにそんなことを言うのは、決してアメリカ人だからだけではないということを今の夜鷹はよく分かっていた。
 それがクリスの優しさであること、そして、クリスがお世辞ではなく本当に夜鷹のことを気に入ってくれることを、この二年四カ月かけてクリスは夜鷹に分からせてくれた。
「クリスは俺の大切な友達だよ」
 わざと日本語でそう言うと、クリスは顔をくしゃくしゃにして笑った。それから急に真面目な顔になる。
「ヨタカ。お前は随分タケルの研究につきあった。日本に戻った後、突然反動で記憶が戻ることがあるかもしれない。苦しかったら、いつでも連絡をくれ」
「……ありがとう」
 そんな日が来るのだろうか。
 再び滑走路に目をやると、水平線に虹が綺麗な弧を描いていた。
 この空港は、夜鷹がこれから暮らす国と、クリスが居る国との境界なのだ。

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少年はエコーを探していた。川沿いの並木道。土手の下の小さな教会。ステンドグラスの嵌め込み窓で光がさんざめく。日曜礼拝に向かう親子が前を行く。天に昇るアメイジンググレイスの歌声。猫がしっぽで指揮をとる。

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 川沿いの並木道。土手の下の小さな教会。ステンドグラスの嵌め込みに明るい光が射している。日曜礼拝に向かう親子が前を行くのを少し遠くから眺めた。アメリカに居る間、教会には何度かクリスに連れて行ってもらった。
 この二日間、何度もクリスに連絡しようか迷った。メールを書いては消しての繰り返しだ。
 金曜日、突然記憶が戻った。生物の授業の時間中だ。雲雀が猫についてプレゼンするのを見ていたら、頭の中に声が響いたのだ。それと同時に映像がフラッシュバックした。

「イーグル!」
ぐったりした茶トラの猫。それを抱き上げる…小さな雲雀。そう、あれは雲雀だ。
「誰が……どうして……」

「何だこれ!」
「どうしたんだよ」
斑鳩に孔雀。
燕は? 燕は熱を出してその場に居なかった。
逃げる男の後ろ姿。黒い大きな鳥の影。男の振り返った顔。そして叫び声。
「……全部忘れたい」
雲雀の頬に残る涙の跡……。

 「次は最後だな。……藍炭」
 先生に名前を呼ばれ、必死で自分のプレゼンに集中した。今は目の前を見ろ。
 プレゼンを終える頃には、記憶の洪水は随分落ち着き、流れが緩やかになった。クリスが事前に教えてくれていたおかげで、大きく混乱することもなかった。
 昼休み、四人が全く違って見えた。ずっと感じていた妙な居心地の良さ。それは、小さい頃の思い出に支えられていたのだ。その日を境に五人は再び仲良くなった。しかしそれと同時に夜鷹は罪悪感を感じていた。
 皆の記憶を封印したのは自分だ。
 これまで自分が過ごしてきた三年間。曖昧な記憶を抱えた三年間を思う。
 それから燕。燕は今、どんな気持ちで居るのだろうか。
 時々燕が見せる微妙な表情。その意味が分かった気がした。おそらく燕は機会を伺っているのだ。いずれにせよ打ち明けるのは今ではない。しばらくは誰にも言わないでおこう。
 両親に記憶が戻ったことを知られるわけにはいかない。少なくとも他の三人の記憶が戻るまでは、あの日のことを話すわけにはいかない。
 クリスは、誰にも言わないでくれと言ったらそれを守ってくれるだろう。しかし、クリスは父親の研究室のメンバーだ。本来ならば”実験結果”を正確に報告しなければならない立場にある。クリスを苦しませたくはなかった。
 駄目だ。連絡するわけにはいかない。
「Chris, help me...…」
 代わりにそう呟いてみる。夜鷹の手にはクリスと買いに行ったフレームに収まった祖父の写真があった。肩を組んだ二人の笑顔が自分とクリスに重なる。「俺とヨタカみたいだな」とクリスは言った。
 やはり夜鷹は人との距離の取り方がよく分からない。クリスも、あの四人も、受け入れてもらったのは夜鷹の方なのだ。夜鷹が歩み寄ったわけではない。それなのに、自分は皆の記憶を封じてしまった。クリスも……クリスともしばらく連絡を取るわけにはいかない。何も無い風を装っても、きっとクリスには気づかれてしまう。連絡しなくなったら、クリスは悲しむだろうか。
「Chris, help...…」
 教会からアメイジンググレイスの歌声が聞こえ、一匹の猫が夜鷹の前を通り過ぎて行った。

『信頼』-ハクトウワシ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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