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鳥たちのさがしもの 11

少年はシグナルを探していた。細い路地の先の踏切が警笛を鳴らしている。近づく音。遠ざかる音。音の洪水が通り過ぎると、舞台は暗転し、日常に引き戻される。猫が忍び足で擦りよる。かたわらを自転車が通り過ぎた。

**********

「知らない方がいいってどういうことだよ」
 夜鷹の言葉に斑鳩がひきつった笑いを浮かべた。
「そのままの意味だ」
「どういうこと?」
 燕が、泣きそうな顔で斑鳩の言葉をもう一度繰り返した。
 雲雀は妙に冷静になっていた。自分たちが小学生の頃に一度出会っていたという突拍子もない話。しかしそれは真実であると雲雀の直感が伝えていた。これまで自分自身で想像したどんな”小学校の時の自分の像”よりもそれは確かな気がした。
 できることならその記憶をそのまま取り戻したい。しかし夜鷹はそれを思い出さない方がいいと言う。
「いったん整理しよう」
 雲雀が口を開くと四人の視線が集まった。
「期待するなよ。ただの交通整理だからな。……俺たちは子供の頃に一度出会っていた。そしてある日おそらくこの場所で何かがあって、四人はその時の記憶を失った。夜鷹はそれを思い出さない方がいいという。思い出した夜鷹が言うんだ。きっと、あまり良くない記憶なんだろう」
「その通りだ」
 夜鷹は相変わらず感情の感じられない口調で頷く。
「そうだとしてだ。斑鳩と孔雀は知りたいか? 聞いても思い出せないかもしれない。他人事のように聞こえるだけかもしれない。ちなみに俺は、知りたい」
 斑鳩と孔雀は顔を見合わせてから、口々に、俺も知りたい、と答えた。
「知ったら後悔するかもしれない。それでもさ、ここまで来たら聞かずにはいられないだろ? あ、別に燕を責めてるわけじゃないぞ。俺だってずっと記憶が無いのを気持ち悪いと思ってたんだから」
「ありがとう、斑鳩」
「……と、いうわけで、相変わらず記憶を失ったままの俺たち三人は夜鷹の話を知りたがっている。俺たちに忘れられてしまった燕ももちろんだ。ただ、夜鷹が話すのもつらいというなら無理に話せとは言えない」
 雲雀が顔を見つめると、夜鷹が不意に笑いを漏らしたので驚いた。
「……みんな、本当に変わってないんだな。雲雀の気遣いも相変わらずだ。いいよ、話そう。今の俺たちなら、何とかなるかもしれない。あの時は、その後に来るだろう別れの恐怖に負けて、俺たちは忘れることを選んだんだ」
「忘れることを……選んだ?」
「自己暗示」
「自己暗示?」
 夜鷹以外の四人はオウムのようにただ夜鷹の言葉を繰り返すことしかできなかった。
「確かに俺たちはあの日ここで、非日常を体験した。それも、耐えがたい非日常だ。その後も一緒に居られたならば耐えられたのかもしれない。”俺たちだけの秘密”、それで済んだのかもしれない。しかし、俺たちはすぐにバラバラになることが決まっていた。ひとりひとりで抱えるにはあまりに重い秘密だった。あの、駅の手前の踏切があるだろう? あそこを渡ったらすべて忘れる、そういう暗示をかけたんだ。ここから駅まで戻る途中、俺たちはずっとその言葉を繰り返していた」
「そんなにうまくいくものなのか?」
 ようやく調子を取り戻したらしい斑鳩が疑問を挟む。
「ちょっとしたコツは必要だ。後で詳しく話すが、俺の父は今の研究の前、暗示の研究をしていた。暗示が記憶に及ぼす影響。記憶の捏造、改竄。それが今の研究の元になっているんだが……まあ、とにかく俺はそのコツを知っていた。集団だったこと、俺たちの間の信頼関係が深かったことも手伝って……結果は見ての通りだ」
「なるほど」
 踏切は、結界だ。
 細い路地の先の、海に面した踏切。近づく音。遠ざかる音。音の洪水が通り過ぎると、舞台は暗転し、日常に引き戻される。
 さっきまであった出来事は、すべて夢物語だ。夢は、いずれ忘れてしまう。
「どうして僕のことまで忘れちゃったの?」
「燕も関係あるからだよ。燕はあの日、あそこで何をしようとしていたかは知っているだろう? 記憶の辻褄が合わなくなる。だから、俺たちが一緒に居た記憶ごと、封印したんだ。その後に待っているはずだった別れの恐怖も、すべて一緒に」
「酷いよ。僕はひとりで、みんなと別れなきゃならない苦しさと、忘れられちゃった哀しさと、どうにかしたいという思いを……全部抱えて過ごして来たのに」
「それについては、申し訳ないとしか言えない。でも、あの時はそうすることしかできなかったんだ」
 燕は溜息をつく。
「……いいよ、許す。許すから、全部話してよ。今度何かする時は、僕も一緒だ」
 これまでに無い一体感がその場に満ちた。それで、斑鳩と孔雀も雲雀と同様燕の話を信じているのだということが分かった。
「なぁ。腹減らない? 弁当食いながら話そうぜ」
 斑鳩が照れたように言い、孔雀が同調する。雲雀は特に空腹は感じていなかったが、場を和ませる意味もあるのだろうと思い、斑鳩の提案を受け入れることにした。
 何から話そうかと言った夜鷹に、斑鳩が質問をぶつける。
「夜鷹はどうやって記憶が戻ったんだ? 俺たちの記憶も戻ればわざわざ話す必要もないじゃん」
「もっともだが……それじゃあ、そちらから話そう。さっき話したように、俺の父は元々暗示の研究をしていた。記憶喪失というのは、物理的あるいは精神的に脳の記憶が破壊されて起きる。父は、精神的に破壊された記憶を、暗示を利用することによって取り戻せないか……というよりは、暗示で人の記憶を自由に封印したり呼び戻したりできないかと考えていた」
「何だか危ない話だな」
 孔雀が眉をひそめると夜鷹はふっと笑った。
「確かにな。精神的な記憶喪失の場合、脳の防衛本能である場合がほとんどだ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)ってあるだろう? あれはその機能のバグで、むしろつらい記憶を強調してしまう。実はそれを、暗示を使うことによって強制的に封印するのは比較的うまくいくんだ。でも、記憶を取り戻す方は難しい。何故なら、あることを”憶えている”状態から封印するなら対象が明確だからやりやすいが、取り戻したい場合は対象が曖昧過ぎる。何を取り戻せばいいのか、脳が忘れてしまっているからだ。暗示をかける際にどんなに明確にキーワードを仕込んでいても、それごと忘れてしまっている場合が多い。それで、父が目をつけたのがフラッシュバックだ」
「つまり夜鷹の親父は、医療行為として記憶を操作する方法を追及しているってわけか」
 こういう時、孔雀は理解が早い。すっかりいつも通りの優秀な聞き役になっていた。
「そう。PTSDを記憶喪失機能という安全装置のバグだと考えると、その症状のひとつであるフラッシュバックは、記憶喪失そのものに作用するのではないかと父は考えた。それには、ただ単に失った記憶に関連する映像を見せただけでは駄目なんだ。顕在意識に作用してしまうから。だからサブリミナルを利用して潜在意識に働きかける」
「サブリミナル? あの、映像の中に何分の一秒かの別の映像を挟み込むっていうあれか?」
「その通り。例えば家族のことを忘れてしまった人が居るとする。その人にただ家族写真を見せても、知らない人の写真でしかない。しかし、全く関係ない動物番組の中に何度もその写真を仕込んでおくと、一時間の番組を見る間に潜在意識が変化するんだ。それを繰り返すと、映像を見なくても次第にその人の脳の中で家族の映像がフラッシュバックするようになる。そしてそれをキーにして記憶が戻ってくる。実際に被験者の中にはそれで記憶を取り戻した人も居た。俺の場合はキーワードが間違ってたからうまくいかなかったけどな」
「夜鷹は何の写真を見せられていたんだ?」
「神社。八幡様の写真だ」
「神社? 何で?」
「記憶を失って戻った日の夜、俺はうわごとで『神社が……』って言ったらしい。……研究しか頭にない父は俺の枕元にレコーダーを仕込んだんだそうだ。寝ている時は脳がフラットな状態だから、寝言は重大な手がかりだ」
「でも、違った……」
「神社は神社でも、関係あるのは八幡様じゃなくて鷲宮神社だからな」
「鷲宮神社?」
「そう。この先に在る」
 夜鷹はそう言いながら一瞬雑木林の向こうに目をやった。
「でも、さっきの燕の話を聞くと、夜鷹への実験も一定の効果はあったって言ってなかったか?」
 孔雀が尋ねると夜鷹は皮肉な笑いを浮かべた。
「その八幡様の写真に、猫が写っていたんだ」
「猫?」
「そう。俺のキーワードは神社ではなく猫だった。茶トラの猫。お前たち、気がつかなかったか? 春先のレポート、皆、猫を題材に使っただけでなく、ほとんどの写真が茶トラの猫だった」
「僕、気がついたよ。僕は期待を込めてわざとそうしたんだけどね」
「あれがとどめだったんだ。通常顕在意識で関連写真を見るだけでは駄目なはずなんだが、俺の頭の中には研究でできた下地があった。お前たち四人のプレゼンのスライドを見ているうちに、記憶が押し寄せてきた」
 あの教室の中で、誰にも気がつかれることなくその記憶を受け止めた夜鷹を、雲雀は尊敬の念を込めて見つめた。自分ならとてもではないが正気で居られる自信がない。
「よく……そのまま授業に参加して、その後俺たちとつるんでたな」
「反対に、そうしていないと自分を保てなかった。……ちなみに、記憶が戻ったことはまだ誰にも話していない」
「話したら、あの日何があったのか訊かれちゃうもんね」
 燕の言葉に夜鷹は頷く。
「ごめん、夜鷹。僕、さっき自分だけがつらいようなこと言っちゃったけど、戻った記憶をひとりで抱えていた夜鷹もつらかったね。……いや、それだけじゃない。曖昧な記憶を抱えて三年間過ごしてきたみんなもきっとつらかったんだ」
「茶トラの猫が……関係しているのか?」
 拾ってきた野良猫を飼いたいと言った雲雀に嬉しそうな顔を見せた母親の顔を思い出しながら尋ねると、燕と夜鷹の表情が曇った。 
「僕たち、ここでイーグルっていう名前の茶トラの野良猫を飼っていたんだ。その猫も、あの日の後、居なくなってしまった」
 燕の言葉につなげるように、夜鷹はついにその日あったことを語り始めた。
「あの日、ここにやってきた俺たちはまず、イーグルの変わり果てた姿を目にした。それが、すべての始まりだった」

『光満つる森』-イヌワシ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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