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鳥たちのさがしもの 18

少年はを自由を探していた。高架下のアーケード街。雑多な色彩が軒を連ねる。狭い通路。店から漏れるBGMが喧噪とセッションを繰り返す。シャッターの閉まった店。その前に猫が居座る。新しいスニーカーを買った。

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-斑鳩のさがしもの・失われた時間-

 中学に入っても相変わらず兄の後を追ってばかりいる自分を情けなく思いながらも、斑鳩はそれを変える術を持たなかった。
 特に、曖昧な記憶を背負った心細さを紛らわすためには、何か確かなものに寄りかかっているしかなかったのだ。
 永遠に見つからない探し物をしている気分だった。
 そんな斑鳩に大学生の兄は、気晴らしに新しいスニーカーでも買って来いよと言って小遣いをくれた。ご丁寧におすすめの店まで教えてくれる。そして斑鳩は兄の言うとおり、高架下のアーケードまでやってきたというわけだ。
 雑多な色彩。狭い通路。おおよそセンスがいいとは思えないBGM。こんなところに本当に兄の言う”穴場の店”があるのだろうか。
 シャッターの降りた店の前に猫が居座っている。斑鳩は思わず足を止めた。
「アメリカンショートヘアーの茶トラじゃん。お前、なんでこんな所に居んの?」
 斑鳩の家に居るフィンチはシルバーのアメリカンショートヘアーだった。親近感が湧く。しかし、斑鳩が近づくと、猫は逃げて行ってしまった。
 その後ろ姿を見て、また何かを掴まえ損ねた気持ちになった。
 兄に教えられた店は程なく見つかった。どうしてこんなさびれたアーケード街にこんなこじゃれた店があるのだろうという造りの店だった。わざと古びたように見せているがそれは計算された風化だった。
 店内のBGMはRED HOT CHILI PEPPERSの『SNOW』。斑鳩が好きな曲だ。
「Step from the road to the sea to the sky and I do believe that we rely on
when I lay it on, come get to play it on all my life to sacrifice...」

海や空へ向かう道へ踏み出して 頼れるものをただ信じる “それ” を用意しておくから遊びに来なよ 俺の人生なんて全部捧げてやる。
 ※著者訳

 口ずさみながらスニーカーを選び、ふと「頼れるもの」って何だろうと思う。
 目の前にいきなり白い山の頂がフラッシュバックした。
 雲ひとつない青い空と雪原。限りなく白い雪原…。
 『SNOW』の世界だ。
 周りの音が急速に遠のいていく。
 あそこに大切なものがある。斑鳩がずっと探していたものだ。
「それに決めたの?」
 店の若い男に声を掛けられ、斑鳩ははっと我に返った。手に白いスニーカーを持ったままだった。
「あ、はい」
 思わず返事をすると、なかなか趣味がいいねと褒められた。
 もう少しで何か掴めそうだったのに…。新しいスニーカーを手に入れても、斑鳩の気分は晴れなかった。

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少年は象徴を探していた。路線バスで帰る夜の住宅街。競うように明滅するイルミネーションの庭は、ジェリービーンズの色彩。バス停で猫が待っていた。きらめく光を背にモンローウォークを披露する。エレキが欲しい。

**********

 友人と行ったフェスの帰り、路線バスで帰る途中の住宅街は、ジェリービーンズみたいな色彩をしていた。クリスマスでもないのに、何の象徴だよと斑鳩は思う。バス停のベンチに猫が腰かけていた。
 友人とは駅で別れた。斑鳩の家の最寄り駅ではなかったのでそこから一人でバスに乗った。先程までの熱気は、嘘のように冷めていた。
 フェスは確かに楽しかった。好きなバンドもたくさん出ていたし、友人とのバカ騒ぎもいつも以上だった。
 斑鳩は友人には事欠かない。中学校に軽音部が無いので、友人とバンドを組んで、ひっそりと活動もしている。今日一緒に出掛けたのもそのバンド仲間だった。
 一緒に居る間は楽しいのだ。しかし、こうして別れた途端に一瞬でその熱は冷める。
 そろそろエレキが欲しいな、と思った。
 小学校の時に兄に貰ったのはアコースティックギターだった。でも、バンドをやるならやっぱりエレキだ。
 父親の会社はなんとか持ち直したらしい。次の誕生日にねだったら買ってもらえるだろう。
 斑鳩がどうやら記憶の一部を失ったらしいと知ってから、両親は急に優しくなった。以前はもっと大きな家に住んでいたらしいが、そこを売り払い、都内に少し小さな、と言っても四人で済むには十分な中古のマンションを買った。父親は、食事の間は会社の話をしなくなった。代わりに斑鳩の学校での話を聞きたがる。それまで「少しはお兄ちゃんを見習いなさい」とばかり言っていた母親は斑鳩のギターを褒めてくれるようになった。
 兄は多分変わらない。
 多分。
 斑鳩はよく分からないのだ。どこまでが本当の記憶で、どこまでが斑鳩が創り出した幻想なのか。
 父親の会社が大変な時期で両親があまり構ってあげられなかったからそれがストレスだったのではないか。心因性の記憶喪失だ。
 無理やり連れて行かれた心療内科の先生は、婉曲的にではあるがそのようなことを言った。あまり気にすると余計に良くないから、中学校生活を楽しみなさい。そう言われて、努めて昔のことは考えないようにしている。
 その代わり、斑鳩は最近詩作を始めた。もやもやした自分の気持ちを、毎晩ノートに向かって吐き出し、昇華する。今はただ言葉にして吐き出しているだけだが、いずれ歌詞に仕立て直し、曲をつけたいと思っていた。そのことはまだ誰にも、バンドの仲間にも話していなかった。 
  近々作曲の勉強も始めるつもりだった。それは、斑鳩が初めて兄の後を追うでもなく自らの意志でやることだ。ギターを始めたのは兄の影響だが、兄はあくまでもクラシックギターで、しかも個人的趣味で弾いているという体だった。バンドを組んでいるわけでもなければ、エレキには手を出したことは無いはずだ。もちろん作詞作曲をやっていると聞いたこともない。
 高校は軽音部のある学校を選ぶつもりだ。斑鳩には絶対に行きたい学校があった。そこは正直言うと今の斑鳩のレベルでは難しい。しかし反対に言うと、そこなら両親も反対しないはずだった。

「ねえ、俺、雪山に行ったことある?」
 両親には失った記憶については訊けないので家に戻ってから兄にそう尋ねた。先日フラッシュバックした白銀の世界が気になっていた。
「あるよ。俺の友達と一緒にスノボをしに行った。何か思い出したのか?」
「いや。何か急に雪山が気になったんだ。だから、そこで何かあったのかなと思って」
「特に何も無かったと思うけどな。少なくとも俺が知っている所で事件は起きなかった。というよりお前は、初日の夜くらいしか俺たちと一緒に居なかったんだよ。あとはずっとフィンチと二人きり。悪かったな。気晴らしになるかと思ったら居心地悪かったのかもな」
「ううん。兄貴が俺のこと考えてくれてるのは知ってる」
「……どうしたんだ。今日はやけに素直だな。フェスで何かあったのか?」
「何も無い。ただ……」
「ただ?」
「兄貴、さすがに就職したら家を出るだろう?」
「職場次第かな。家賃払わなくて済むなら貯金できる。……何だよ、それが何か関係してるのか?」
「兄貴は信頼できる仲間って居る?」
「話が飛ぶな。……居るよ。憶えていないと思うが、一緒にスノボに行った三人とは社会人になっても続くと思う」
「ふうん、そりゃ良かった。……俺は、結局兄貴に甘えていたんだなと思って。兄貴は、誰とこういう話してるのかなと思っただけだよ」
「お前、まだ十四だろ? 俺は成人してんだぜ?」
「兄貴は中学生のとき何してたの?」
「忘れた」
「忘れた?」
「そ。お前は半端に記憶喪失になったから気にしてるのかもしれないけどな、そういうもんだよ。大人になればなるほど昔のことは忘れる。そうじゃないと、キャパが足りないだろう?」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
「何か嫌だな」
「嫌と思うならそのままでいいよ。そのままでいろよ。……これ、言っちゃいけないのかもしれないけどさ。お前にも居たんだよ。仲のいい友達。それ含めて忘れてしまったみたいだけど。……残念だったな」
「そう……なんだ……」
 その友達とは、何でも話せたのだろうか。別れた後も、熱が冷めたりはしなかったのだろうか。
「知りたくなかったか?」
「ううん。そんなことない。ありがとう」
 またいつか出会えるだろうか。心を許せる仲間に。兄は大学生でその仲間を得たのだ。自分もきっと大丈夫に違いない。

『その向こうへ』-Rooster 鶏

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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