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鳥たちのさがしもの 23

少年は無限を探していた。テスト勉強に飽きた深夜。小銭をポケットに突っ込んだ。コンビニまでの道。吐く息が白い。車のライトが闇を運ぶ。駐車場の隅で光るキャッツアイ。南の夜空にオリオンの三つ星が瞬いていた。

**********

 受験勉強に飽きた深夜、コンビニまで行くの道の途中で見たオリオン座の三つ星を思い出す。あんなに頑張って勉強したのは、この四人に再会するためだったのだ。未だ戻らない記憶。しかし雲雀は妙に納得していた。ただただ流れていった中学校三年間の時間の中で、唯一必死で頑張ったもの。
 五人は夜の海に来ていた。オリオン座の三つ星の代わりに、今は夏の大三角形が輝いている。
「あれが、アルタイル、あっちがデネブ、最後がベガだよ」
 燕が指差しながら説明し、斑鳩がふうん、と興味があるのかないのか分からない返事をする。その斑鳩の手にはアコースティックギターがあった。先程孔雀に、どうりで荷物が大きいと思ったと突っ込まれたものだ。
「それで、何を聴かせてくれるんだ?」
 その孔雀が缶コーヒーを片手に質問する。
「もっちろん、『SNOW』だろ」
 斑鳩の弾くアコースティックギターを聴くのは初めてだった。エレキの音よりもしっとりと水分を含んでいて夜の空気によく似合う。
 そして、アコースティックギターで奏でる『SNOW』は、とても美しい曲に聴こえた。オリジナルの、白銀の世界をぐんぐん前に進んでいく勢いの強さではなく、少しずつ何かが心に沁み込んでくるような、いつの間にか心が清らかになっているような、そんな感じがした。
「斑鳩、ギター上手くなったね。エレキよりよく分かる」
 弾き終えた斑鳩に燕が言う。
「これ、俺が最初に全部弾けるようになった曲なんだ。英語の歌詞も全部歌える」
「歌えば良かったのに」
「それは何か……恥ずかしいじゃん。俺、ヴォーカルじゃねえし」
「斑鳩はどうしてこの曲の楽譜をタイムカプセルに入れたんだろうね。ただその時にお気に入りの曲だったからなのかな。五人の思い出の曲って程でもなかったと思うけど。僕たちの前では『物語の欠片』のテーマソングとか弾いてたよ」
「兄貴に連れられてスノボに行った時にさ、『SNOW』の世界を見たんだ。真っ白な白銀の世界。俺たちは離れ離れになるって決まってて、でも、その景色を見た時に、大丈夫だって思った。だからそれを写真に残したんだ。その思い出が強烈……」
「斑鳩?!」
 それは突然だった。皆が驚いた顔で斑鳩の顔を見つめる。一瞬きょとんとした斑鳩の顔も、次第に驚きの表に変わった。
「なんだ、これ……俺、思い出したのか?」
「斑鳩、大丈夫?……夜鷹、夜鷹の記憶が戻った時はどんなだった?」
「俺の場合は……声と映像がフラッシュバックして、記憶が押し寄せてくる感じだった。受け止めるのに必死だった」
「それは……無いな。何だ、思い出すってこんな感じなのか? なんか、気がついたら記憶がそこにあった、って感じ」
「思い出し方も、人それぞれなんだろうな」
「斑鳩のキーワードは『SNOW』だったんだね」
「そうなんだろうな。そう言えば、たまに雪山がフラッシュバックすることがあった。そうか、これだったのか。……でも思い出すと何の感慨もない。本当に、ただ当たり前にそこにある感じ」
 そう言いながらも、斑鳩はどこかぼんやりした表情をしていた。
「あのさ……」
 不意に孔雀が口を挟む。そう言えば先程からいつもより口数が少なかった。
「多分、俺も、思い出したんだと思う」
「多分って何だよ」
「分かんないんだよ。まだ、何を憶えてて何を忘れてるのか。でも、お前らの向こうに小学生の時のお前らが重なって見える。所々に、ああ、こんなことあったなって言う思い出が……」
「それ、完全に思い出してんじゃん。いつからだよ」
「夜鷹、さっき何かしただろう。あの、バスケットゴール。あれは……あの時と真逆だ」
「それで孔雀の記憶を揺さぶれるかもしれない……とは考えた。賭けだった」
「何だよ二人で。説明しろよ」
「夜鷹が、俺がシュートする写真を撮ったって言ってただろう? あの時の会話なんだ、あれ。さっきの小学校での会話。でも、小学生の時は反対だった。夜鷹が先にシュートを決めて、俺が『Nice shoot.』って言ったんだ」
 皆の視線が夜鷹に集まる。
「さっき、真っ先に綺麗にシュートを決める孔雀を見て咄嗟に思いついたんだ。あの時と反対の会話をすれば、脳が違和感を感じて、潜在意識に働きかけられるかもしれないって。だから、反対の会話を仕掛けた。孔雀は無意識に、きちんと相手をしてくれた」
「夜鷹の言うとおり、違和感を感じた。なんか違うって思った。でも何が違うか分からなかった。分からなくて、ゴールを眺めていたら……あの、黒い鳥の影……。小学生の時も鳥の影を見たんだ、夜鷹が来る前に。強烈なデジャヴがきて……それで思い出した。ああ、反対なんだって。あの時は俺がシュート外して、夜鷹が先に決めた。『Nice shoot.』って言ったのは俺の方だった。そう思ったら、それに引っ張られてずるずると記憶が戻ってきて……」
 そして……当然ながら皆の視線が雲雀に移った。雲雀は仕方なく黙って首を横に振る。
 燕が残念そうに、もしくは申し訳なさそうに、そっか、と呟いた。申し訳ないのは雲雀の方だった。きっと皆、記憶が戻ったことをもっと喜びたいに違いない。
「良かったな。思い出して」
 だから雲雀は率先してそう言った。うまく、笑えただろうか。
「明日、どうする? なんか、予定通り鎌倉観光って気分じゃ無くね?」
 おそらく困ったのだろう斑鳩が、それでもこのまま皆を沈黙させてはいけないと思ったのか話題を変えた。孔雀がそれを受ける。
「でも、何もせず帰るってのもなんだよな……」
「雲雀のキーワードは何なんだろう。……ごめん、話題戻して。でも、ここまで来たんだ。僕は、諦めきれない」
「俺らだって別に諦めたわけじゃねえよ。でも……」
「ごめん……」
「雲雀のせいじゃないよ。僕の方こそごめん」
「燕は、ずっと一人記憶を持ったままここまで来て、できるだけのことをやってくれたんだ。大変だったよな。斑鳩と孔雀も、記憶戻ったばかりなのに、悪い……」
「雲雀、そういうとこ変わってないね。……でも、どうすればいいんだろう」
「雲雀のキーワードを見つけりゃいいんだろ? あの写真に写ってる場所を順番に回るってのは?」
 斑鳩の言葉に燕は首を振る。
「数が多すぎる。それに、その場所を見ても……顕在意識じゃ駄目なんだよ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「雲雀は……誰よりもイーグルを可愛がっていた。最初にすべてを忘れたいと言ったのも雲雀だった。多分元々忘れたいという思いが一番強かったんだ。俺たちよりも、強く暗示にかかったのかもしれない」
「夜鷹、それって、雲雀の記憶が戻らないかもしれないってこと?」
「それは、分からない」
「どうすりゃいいんだよ」
 斑鳩がもう一度繰り返した。
 雲雀はなんだかいたたまれない気持ちになった。夜鷹が忘れるという選択肢を提示したにせよ、最初に忘れたいと言ったのが自分なのだとしたら、皆をばらばらにしたのは自分だ。
 そして今、自分だけ記憶が戻らない。自業自得というだけでは済まされなかった。
「もう、宿に戻らないか? ……いや…みんなはここに居てもいいよ。俺は先に宿に戻る」
「駄目だよ。雲雀をひとりにできない。戻るならみんなで戻ろう。それとも雲雀がひとりになりたい?」
「……分からない。自分でもどうしたいのか」
 燕の気遣いも、同じく色々考えてくれているだろう皆の気持ちも、全てがやりきれなかった。
「悪い。そもそも俺が忘れたいなんて言い出さなければ、みんな忘れずに済んだんだ。燕も、つらい思いをしなくて済んだ」
「違うよ雲雀。僕があの場に居なかったのは僕が熱を出したからだ」
「俺が忘れるという選択肢を出さなければ雲雀も選びようがなかった」
「おいおい、お前らなあ。それを言うなら最初に石をこっそり戻そうって言ったのは俺だよ。あんなことしようとしなきゃイーグルだって……」
「それを言うなら、斑鳩が秘密基地を死守しようとしたのは俺がタイムカプセルを提案したせいだ。……だから、不毛な議論はやめよう」
「みんな……昔からそうだったのか? ……やっぱり、俺にはよく分からない……」 
「ごめん。僕がみんなの記憶を取り戻したいって思ったから、今度は雲雀をひとりにしてしまった」
「それは仕方ないよ燕」
「だーかーらー。さっき孔雀が不毛な議論はやめろって言ったの、聞いてなかったのかよ。あのな。俺は思い出したから敢えて言うぞ。思い出しても忘れたままでも変わんねえよ。雲雀は雲雀。俺たち五人は仲間。今高校で一緒に居んの。小学校の時にあったことはさっき聞いただろう? あれはだから五人の秘密になった。今はそれでいいじゃん。もちろん、雲雀の記憶も戻るに越したことはないからそれはこれから考えるけど、誰が悪いとかそういう問題じゃない」
「おお、斑鳩が珍しくまともなこと言ってる」
「俺はいつでもまともだ。茶化すな孔雀」
「茶化してねえよ。褒めてんだよ」
「ひと言多いんだよお前は」
 そうだ、これはいつもの斑鳩と孔雀のやり取りだったはずだ。でも、その”いつも”の定義が変わってしまった。他の四人の”いつも”と自分にとっての”いつも”の圧倒的な距離に打ちのめされる。
 燕は高校生になって皆に再会してからずっとこんな気持ちを抱えて来たんだな、と今度は声にせず心の中で思った。
 どうすればいいのだろう。
 自分のことなのに、どうすればいいのか全く分からなかった。
「そうだ夜鷹。夜鷹はどうしてタイムカプセルに『物語の欠片』の原作を入ようと思った? ……俺はそもそも斑鳩や孔雀と違って、自分が入れたあの絵を見てもなんとも思わなかったんだ。自分が描いた絵とも思えなかった」
「一見性格がばらばらに見える俺たちの共通点が、猫が好きなことと、原作かアニメかという違いはあったが『物語の欠片』が好きだということだったからだな。さすがに猫を入れるわけにはいかないだろう?」
「そっか。……読んでみようかな。どうせ、眠れそうにない」
「雲雀ぃ。……じゃあ僕、付き合うよ。というか僕も久しぶりに読みたい」
「それは、俺にはいい睡眠薬になりそうだな。眠くなるまで付き合うよ」
「斑鳩なら瞬殺だな」
「お前はまた……お前も似たようなもんだろ?」
「斑鳩よりはもつと思うぜ? ……ま、そういう訳だからとりあえず宿に戻るか」
 夜の海を振り返ると、暗闇に僅かに白い波が浮き上がり、相変わらず空には夏の大三角形が輝いていた。
 雲雀は無限の宇宙にひとり佇んでいるような孤独を感じた。

『I remember』-イヌワシ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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