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鳥たちのさがしもの 17

 夜鷹が話し終えると、雑木林に重い沈黙が降りてきた。先程まで聴こえていた筈の蝉の声さえ聴こえない。世界中から音が無くなってしまったようだった。
 当然ながら話を聞いたからといって記憶が戻ったわけではなかった。しかしそれは全くの他人事にも思えなかった。そうだったのか。素直にそう思った。そんなことを経験したならば、確かに忘れてしまいたくなったかもしれない。
 イーグルという猫の存在が心に引っかかる。それでもそれは、夜鷹にしたのと同じようには雲雀の記憶を引き戻してはくれなかった。
「イーグル、死んじゃったんだ……」
 燕が呟き、気持ちが沈んでしまうのを止めるかのように鞄からごそごそと何かを取り出した。それは一冊の本だった。
 これからどうするんだ?と誰かが言い出すことを期待していた雲雀は、何も言えずに燕の顔を見た。
「これ、僕が作ったんだ。タイムカプセルに入れる予定だった」
 燕の隣に居た雲雀は自然とその本を受け取ることになり、パラパラとページをめくった。どうやらアルバムらしい。そこには、燕のスマートフォンのアルバムにあったのと同じ写真が並び、それぞれの写真に撮った者の名前と短い文章が添えてあった。
 ”少年はフェンスを探していた……。”なかなか洒落た文章だ。燕が考えたのだろうか。文章はすべて読むことはできないまま、その本を向かい側の孔雀に渡す。本は一周して燕の手に戻った。
 皆は説明を求めるように燕を見たが、燕はそれを自分の質問で上書きした。
「結局タイムカプセルってどうなったの? それと、クラウド上に作った共有アルバムは? 僕のスマフォに入っている写真は、これを作るために僕がダウンロードしておいたものだけなんだ。夜鷹が管理者だったはずなんだけどあの後そこにもログインできなくなった」
「アルバムはアカウントごと削除した。誰かの親が見つけてしまうことを恐れたからだ。同じ理由で、俺たちは自己暗示をかける前に、スマフォからお互いの連絡先や関連するデータをすべて削除した」
「随分念入りだね。最初からお互いのことすら忘れてしまうことを覚悟していたみたいじゃないか」
「その可能性は高いと思った」
「忘れることを選んだのには、僕を巻き込みたくないっていう意図もあったんだね。知らなかった」
「タイムカプセルは……ここに埋まっている」
「え?」
「この場所の後始末として、持ち込んだものは全て海に投げ捨てた。そして、残したいものだけは、タイムカプセルに入れて埋めたんだ。万が一俺たちが記憶を取り戻して、再び出会った時のために。……その可能性はほとんどなかったが」
「でも、少なくとも出会った。僕は、学校でみんなを見かけた時、みんなが約束だけは憶えていたんだと思った。僕たち、約束したんだよ。中学は離れ離れになってしまうけれど、同じ高校を受験しようって」
「その約束も忘れていた。でも、潜在意識のどこかで憶えていたのかもしれないな。どうしてもあそこを受験しなければならない気がしたんだ。それもあって俺は高校の段階からアメリカから戻ってきた。日本の大学に行きたいだけなら大学の帰国子女枠を使った方が楽だ」
 今の高校が付属している大学は都内の他に湘南キャンパスがある。確かに当時の自分たちが考えそうな学校ではあった。しかし当然雲雀もそんな約束があったことは憶えていなかった。
「なあ。そのタイムカプセル、掘り返してみないか?」
 それまで珍しく黙って聞いていた斑鳩が、当然の提案をする。皆、同じことを考えていただろう。
 さすがにショベルは持ち合わせていなかったので、その辺に転がっていた木の枝を使って夜鷹の指定した場所を掘った。しばらく掘り進めると手ごたえがあり、大きめのクーラーボックスが現れた。
「これが、タイムカプセルか?」
 斑鳩が燕と夜鷹を見る。燕が笑ってその質問に答えた。
「これ、斑鳩が準備したんだよ。家に要らなくなった大きめのクーラーボックスがあって、それがちょうど良さそうだって」
「ぜんっぜん憶えてねえ」
「そうだよね。でも、そう、これだよ」
 斑鳩が少し緊張した面持ちでクーラーボックスを引き上げ、蓋を開けた。中からは、バスケットボール、楽譜、本、額縁に入れられた鳥の絵が出てきた。そして、ジッパー付きビニル袋に入った紫色の布包み。
「石……一緒に埋めたの?」
 燕の質問に夜鷹が頷く。
「あの日、石を返しに行く気力は無かった。どうでもよくなったんだ。でも、その辺に打ち捨てておくわけにもいかない。俺たちは決断を未来に託した」
「わぁ、懐かしい。『物語の欠片』の原作だ。あはは。どれを誰が入れたかすぐ分かるね」
 バスケットボールは孔雀、楽譜は斑鳩、本は……夜鷹か? そうだとすると、雲雀が入れたのは鳥の絵ということになるが、全く記憶がない。それが自分らしい物だとも思えなかった。
 絵には、イヌワシを中心に五羽の鳥が描かれている。燕、斑鳩、孔雀、夜鷹、雲雀……。使っているのは色鉛筆だろうか。
「これ、俺が描いたのか?」
「そうだよ。雲雀、絵が上手だったんだ」
「記憶にない。今も、絵が得意という認識はない」
「ふうん。それも忘れちゃったのかな」
 それぞれが、自分が入れたものを手にとってしげしげと眺めている。
「おお。レッチリ(RED HOT CHILI PEPPERS)の『SNOW』の楽譜だ。俺、この頃これが好きだったんだな。今でも結構好きだけど」
「バスケットボール。……五人の思い出っていうか……」
「僕たち、最初に遊んだ時バスケをしたんだよ。学校の校庭で。だからじゃないかな」
「そう……なのか。燕と夜鷹も?」
「そうだよ。本ばかり読んでいた僕を斑鳩が、それから夜鷹を孔雀が誘って」
 燕にそう言われて、孔雀は再び黙ってボールを見つめる。そのもどかしさが雲雀にはよく理解できた。自分のことを言われているのに、自分にはその記憶がない。
「燕。さっきのアルバム、貸してくれないか?」
 夜鷹が燕からアルバムを受け取り、あるページをめくって孔雀に見せた。そこには夕陽を背に、バスケットゴールに向かって綺麗な軌道を描くボールと、それを放ったらしい少年のシルエットが写っていた。
「これは、俺が撮った孔雀の写真なんだ」
「へえ。そう言われると俺っぽい」
「場所は小学校の校庭。俺たちの出会いの場所を残したくてこうして写真のキーワードにしたんだ」
「夜鷹もそういうこと考えるんだな」
「行ってみないか? ここに。そのボールを持って。そう簡単に記憶が戻るわけではないことは俺もよく知ってる。それでも」
「名案だね、夜鷹」
 燕が嬉しそうな顔で言ったが、孔雀は戸惑った表情のままだ。
「その前に、これどうするよ」
 いつの間にか斑鳩の手には紫色の包みがあった。そしておどけたように言葉を続ける。
「これを奥社に返したら奇跡が起こって記憶が戻ったりして」
「そう言えばあの釣り人の進路を絶った影はイヌワシに見えたな。鷲宮神社の奥社の御神体は狗鷲の岩だ」
「お。夜鷹、珍しくノリがいいじゃん」
「記憶が戻ることに期待はするな。しかしこのままにしておくわけにもいかない。丁度三時過ぎだ。神社の予定が変わっていなければもう誰も奥社までは上がってこない」
 燕も夜鷹も奥社までの道程を憶えていて、石は呆気なく奥社の小さな社殿の中に納まった。先程の話のように小学生時代に大騒ぎしていたのが不思議なくらいだ。
 そして、当然ながら石を戻しても、イヌワシも現れなければ雲雀たちの記憶も戻らなかった。

**********

少年は壁を探していた。体育館倉庫の裏。片付け忘れた白線引きが石灰を撒いている。ランニングの掛け声が拍遅れでこだまする。外周道路を走っているのは何部だろう。陽が落ちてきた。猫がテニスボールと戯れている。

**********

 正門は閉ざされていたが、壁伝いに裏に回ると小さな門が開いていたのでそこから中に入った。すると、体育倉庫の裏側に出た。片付け忘れたのか、打ち捨てられた白線引きから石灰が零れている。どこからかランニングの掛け声が聴こえた。大分陽が落ちてきている。
 写真にあったバスケットゴールはすぐに分かった。しかし、その前に立っても雲雀には何の感慨も湧かない。
 校舎には少しだけ見覚えがある気がした。それとも小学校の印象など、どこでも同じようなものなのだろうか。
「五号のボールはやっぱ小さいな。それに、ゴールが低い」
 そう言いながらも孔雀は綺麗なフォームでシュートを決めて見せた。
「Nice shoot.」
「……フリーだからな。これくらい当たり前だ」
「それでもたいしたものだ」
 夜鷹の言葉に首を振りながら孔雀はボールを拾い、次は誰だというように四人を見渡した。そのボールを夜鷹が受け取り、同じようにシュートを決めて見せた。
「何だよ夜鷹。バスケもできるのか。いや、運動神経がいいのは体育の時間を見てりゃ分かるけど」
「アメリカにはその辺にバスケットゴールがあるんだ」
「そうなんだってな。羨ましい。俺なんて休日に近くで練習しようと思ったらどこかを借りないと無理だ」
「お前らそんな連続できれいに決められたらその後やりにくいだろ? 空気読めよ。特に夜鷹!」
 斑鳩が抗議の声を上げると夜鷹は素直に謝った。孔雀はじっとバスケットゴールを見つめたままだ。
「じゃあ、次は僕がやるよ。誰も僕に運動神経なんて期待してないだろう?」
 笑いながらそう言って放った燕のボールはリングの手前に当たり、大きくバウンドして転がって行った。先程までテニスボールと戯れていた野良猫がそれを追いかけていく。
 猫か。
 雲雀の飼っているホークは茶トラの猫ではない。確かに、身近にホークが居るのに雲雀はプレゼンにホークの写真を使わなかった。ネットのフリー画像でちょうど良さそうなものをピックアップして載せたのだが、茶トラの猫を選んだのは無意識だ。
 ”あんなに可愛がっていたのに。”
 一瞬燕の声かと思ったが、それは自分の頭の中の声だった。また何か聴こえるのではないかと耳を澄ます。しかし、それ以上は何も聴こえてこなかった。こういうことは今までも何度かあった。何かが掴まえられそうなのに、それは僅かの差で雲雀の手をすり抜けて逃げて行ってしまう。諦めて視線を上げると、ボールを拾ってきた燕が斑鳩にボールを渡そうとして手を止めるのが見えた。
「ねえ、あれ」
 燕の指差す方向を振り返ると、一羽の大きな鳥の影が優雅に空を舞い、天狗山の方向へ飛んでゆくのが見えた。

『約束の場所』-イヌワシ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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