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鳥たちのさがしもの 20

 少年は希望を探していた。校門前の桜並木。風に花びらが舞う。裾がだぶつく真新しい制服。スーツ姿の保護者がさんざめく。去年の自分がフラッシュバックする。制服の丈はもうぴったりだ。桜吹雪に猫がダッシュする。

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-雲雀のさがしもの・失われた時間-

 春。校門前の桜並木を風が揺らし、花びらが舞っていた。裾のだぶつく真新しい制服が目に付き、去年の自分を思い出す。
 とは言っても、昨年の春の記憶は曖昧だ。気がついたら自分はこの桜並木を両親と一緒に歩いていた。自分が既に中学生だということに、酷く違和感を感じた。
 小学校時代、自分は何をしていたのだろう。記憶のない不安を抱えたまましばらくぼんやりと過ごした。
 幸い、他の学区から”転校”してきた雲雀に、同級生は親切だった。この辺りのことを知らないことは当たり前だったし、小学校の時の話は憶えていることを繋ぎ合わせて適当にごまかした。そうしているうちに、だんだん何が本当なのだか分からなくなってきた。
「あの時は本当に大変だったのよ」
 その頃のことを話す時、母親は決まってそう言う。雲雀はある日突然一部の記憶を失ってしまうし、その少し後、父親の兄が海の事故で亡くなった。独り身で、父親の両親、つまり雲雀の祖父母は既に他界していたため雲雀の家が葬儀の面倒等々見なければならなかったらしい。
 しかし、雲雀が失った記憶そのものについて言及しようとすると言葉を濁すのだった。それは母親だけでなく、父親も同様だった。
 その頃、両親の仲があまり良くなかったらしいことは雰囲気で分かった。しかし雲雀が記憶を失ったことで、両親は心機一転、新しい土地でやり直すことに決めたのだと、二人の言葉の端々から何となくそんな風に理解していた。
 今は夫婦仲はそう悪くは見えない。
 自分の足元を見ると、制服の丈はもうぴったりだった。この一年で、雲雀は十センチ近く身長が伸びた。それと同時に、中学生としての自分をようやく手に入れた気がしていた。
 もう忘れてしまったことなど放っておいて、今の自分を生きていくしかないんだな。新入生たちの期待と不安、そして希望が満ち溢れる校舎で、雲雀自身も希望を探していた。

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少年は期待を探していた。初めての青春18切符の旅。田園を各駅停車で走る。土手で手を振る菜の花。車窓を駆けてゆく春。一眼レフを持って無人駅に降り立つ。ホームの割れ目から蒲公英が空を仰ぐ。猫の恋の季節だ。

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 そろそろ進路を決めなければならない。
 雲雀は初めてひとりで電車の旅に出た。青春18切符という少し気恥しい名の切符を使った鈍行の旅だ。雲雀は自分の生活を、青春とは無縁だと思っていた。勉強でも運動でも人間関係でも、目の前に置かれた物をただ消化していくだけの毎日。
 それでも、雲雀には何故かひとつだけ行きたい学校があった。東京都内の大学付属の私立校だ。何の期待もせず、模試の結果から勧められた学校の一覧を眺めていたら、突然飛び込んできた名前。
 いや、目からだけではなく、その学校の名前だけが音に変換されて頭に響いた。
 その直感のようなものに、雲雀は少しだけ期待していた。
 この高校に行けば、何かが変わるかもしれない。
 目的の駅に着き、一眼レフのカメラを持ってその無人駅に降り立つ。写真を撮ることは小学校の時から好きだったからと言って、両親が雲雀の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。ホームの割れ目からタンポポが空を仰いでいた。

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少年はルートを探していた。新興住宅地のはずれ。田と畑と家並みがパッチワークを描く。春の雨に濡れた土手に、タンポポが黄色の模様を添える。目覚めたばかりの蜥蜴を猫がいたぶっている。雲雀が空に舞い上がった。

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 駅から出ると、田と畑の向こうに遠く家並みがパッチワークのように続いていた。家並みは新しい。新興住宅地なのだろう。そのうちここも無人駅ではなくなるはずだ。
 春の雨に濡れた土手にタンポポが黄色い色彩を添えていた。いいモチーフを探しながらきょろきょろ辺りを見渡すと、蜥蜴をいたぶる猫が目に入り、雲雀の目は釘付けになった。蜥蜴……猫……。
 突然、目の前に海がフラッシュバックした。
 遥か彼方まで続く海。それを見つめる何かの横顔……。
 海を見つめているものが何なのか確かめようとした時、自転車のベルではっと我に返った。
 慌てて自転車に道を譲る。再び土手に目をやると猫も蜥蜴も消えていた。
 今のは何だったのだろう。
 雲雀は猫が好きだ。少し前、道端に棄てられていた猫を拾った。ダメ元で家に連れて帰り、飼いたいというと母親は意外なことに嬉しそうな顔をした。
「貴方、憶えていないかもしれないけど、昔もそうやって猫を拾ってきたことがあるのよ」
「ふうん。憶えてない」
「その時はお母さんも余裕がなくてね、どうせ自分で世話しないんだからって言って駄目出ししたの。雲雀、しばらく機嫌悪かったわ」
「その猫、どうなったの?」
「さあ。『もういい』って言って家を飛び出して、戻ってきた時には手ぶらで不機嫌だったから、元居た場所に返してきたんじゃないかな」
「憶えてないけど、今回もし同じように言われてたらどうしたかなあ、俺。……多分、元の場所に戻してもしばらく通ったと思う。気になるもん」
「そう……。後から考えると、そうやって一方的に、子供だからって決めつけたりしたのも嫌だったのかなあと思って」
「俺が記憶失った理由の話?」
「そ。……とりあえず、自分できちんと世話するなら飼っていいわよ」
 自分で雲雀が忘れていたことを持ち出したくせに、母親はその時も突然そうやって無理やり話を終わらせた。雲雀もそれ以上訊くことはしなかった。
 そして今、雲雀はホークと一緒に暮らしている。
 ホークは今しか見ていないように思える。過去なんか知らない。そう言っているようだった。当然雲雀に昔の話をしたりしない。だから雲雀はホークと居るととても落ち着く。
 それなのに先程の野良猫を見た今、雲雀は酷く落ち着かない気持ちになっていた。
 気持ちを落ち着けるために、近くにあった自動販売機でサイダーを買って立ったまま一口飲んだ。
 田んぼに目をやると、鳥の姿が見え隠れしているのが分かった。あれは、ヒバリだろうか。一、二、……五羽居る。やはりヒバリだ。
 茶褐色のその地味な鳥がなぜヒバリと分かったかというと、鳥が好きだからだ。猫といい勝負だった。自分の名前が鳥の名前だから親近感が湧くのかどうかは分からないが、鳥の図鑑を眺めるのも、外で身近な鳥を眺めるのも好きだ。とりわけ、鳥が空を飛んでいる姿を見るのが好きなので、雲雀は普段からよく空を見上げる。
 一年生の時、学校の読書感想文の課題図書で、宮沢賢治の『よだかの星』という本を読んだ。その中で、ヒバリはヨタカの次に醜い鳥として描かれている。その書き出しに嫌悪感を抱いた雲雀は、実物のヨタカとヒバリの美しさを力説し、物語の中のヨタカの心の美しさを強調した。その感想文は何故か読書感想文コンクールで賞を貰った。作文で賞を貰うなんて、後にも先にもあの一度きりだった。賞には興味が無かったが、ヨタカがいい奴だということが認められたことは嬉しかった。
 ふと、それまで田んぼで戯れていたヒバリが空に舞い上がった。五羽で並んで雨上がりの青い空を飛んでいく。雲雀はその姿を眺めながらサイダーを口に運んだ。
 高校生になるルートが見えた気がした。
 先程までのざわついた気持ちはすっかり落ち着いていた。

『決意』-クマタカ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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