見出し画像

鳥たちのさがしもの 7

少年は憧憬を探していた。平日のヨットハーバー。マストが天に向かって整列敬礼する。面舵一杯で錆色の海原へ。うねる波を5ノットで切り裂こう。風はセーリングに打ってつけだ。岸壁で見る春の夢。猫があくびする。 

**********

-燕のさがしもの・夏-

 夜から嵐になるという予報だったので、仲間たちとは早めに分かれて家に帰った。しかし燕の中にはまだ先程までの興奮がくすぶっている。
 昨日、斑鳩から連絡がきた。いつもの通り急な誘いで「すげえもの見つけた。明日十時、駅に集合」だという。少し呆れながら承諾の返信をした。そして今日、斑鳩の言う”すげえもの”を見に行ってきたのだ。
 それは確かにすごかった。鷲宮神社には何度も行ったことがある。いわゆるこの辺りの氏神様だ。しかし、その奥にあんな場所があるとは知らなかった。表からお参りすると、最初に鷲宮神社があり、通常は皆そこでお参りをして終わりだ。そこから、本殿の脇の小さな鳥居を抜けてさらに石段を上ると奥社がある。奥社は小さな社殿と、御神体である狗鷲いぬわしの岩から成る素朴な社だ。その向こうは断崖絶壁で、即海なのだと思っていた。実際に行ったことがある人でも、大抵の人はそう思っているのではないだろうか。
 斑鳩に連れられて行ったトンネルを抜けると、少し開けた場所に出た。道らしい道は無かったが、大きな木の間を縫うように進むと、間もなく海が見える場所に出た。そして、意外なほど近くに狗鷲いぬわしの岩が見えたのだ。狗鷲の岩は翼を広げた大きな鳥のような形をした岩で、海の方に”顔”を向けている。奥社側から見るとその”背中”しか見えないのだが、その場所からは横顔を見ることができた。どうにかして彼方あちら側に近づけないかと辺りを探索して、燕たちはついに奥社の脇に出る道筋を見つけたのだった。
 探索している間も、誰一人そこを訪れる者は居なかった。ここは、自分たちだけの秘密の場所にしようと五人で約束した。”俺たちの秘密基地”と斑鳩は言った。
「今日は何をしていたの?」
 夕食の時、母親に訊かれた。これは挨拶のようなものだと燕は知っていた。だから、いつもどおりだよ、と簡単に答える。案の定母親は、そう、と笑顔で返事をして、テレビの天気予報に視線を戻した。
 燕は中学受験をする予定だった。それは、引っ込み思案の燕を心配した両親の決定だ。このまま地元の中学に通って、万が一いじめにでもあったら困る。せめて一定以上の水準の人々が集まる私立中学に入れたいという願いを、燕は素直に受け入れた。自分の性格を自覚もしていたからだ。ただ、本当の燕は、おそらく両親が思っている燕とは少し違う。
 確かに小学校四年生まで、燕は友達と呼べる友達は居なかった。しかし、それは友達と居るよりもひとりで本を読んでいた方が楽しかったからで、友達を作る気がなかったわけでも、仲間外れにされていたわけでもない。実際、分からないことを教えてくれる”便利な”燕に話しかけてくる同級生は多かったし、燕もそれにできる限り丁寧に応えていた。グループワークでも重宝されて、決して除外されることはなかった。その代わり、一度家に帰って来てから再び友達と遊びに出かけるようなことも、休日に友達と待ち合わせて遊ぶようなこともなかった。
 燕の生活が一変したのは五年生になって五日目の朝、斑鳩が話しかけて来てからだ。
「そんなに毎日本を読んでいて飽きないか?」
 そんなことを訊かれたのは初めてだったので、一瞬燕は言葉に詰まった。それを斑鳩は燕がむっとしたのだと取ったようで、すぐに謝ってきた。
「ごめん。悪いって言ってるわけじゃなくて、休み時間もずっと本を読んでるから、訊いてみたくなっただけなんだ」
 進級して早々クラスのムードメイカーになって目立っていたが、悪い奴ではなさそうだと思ったので、燕は真面目に答えた。
「飽きるどころか楽しいよ。知らないことが沢山書いてある。自分が普通に生活していたら絶対に経験できないことが、本を読むだけで経験した気になれるんだ」
「ふうん。でもさ、本は家でも読めるだろ?」
「そうだね」
「学校でも読まないと時間足りない?」
「どういうこと?」
「本を読んでいただけじゃ経験できないこともあるんじゃね?」
 そう言ってにやりと笑った斑鳩を、燕は正直見直した。失礼な言い方だが、級友の前で道化を演じているだけで、意外と賢いのかもしれないと思ったのだ。
「それは……そうだね」
「千草はバスケやったことある?」
「体育の授業くらいかな」
「蘇芳、いるだろ? あいつ、すげえ上手いの。試しに今日の昼休み、一緒にやってみねえ?」
「それが経験?」
「そ。やってみて、やっぱ本の方が面白かったら止めればいい」
 昼休みに斑鳩と連れ立って出ていく燕を、以前同じクラスになったことのある級友は驚いた表情で見ていたが、斑鳩に連れて行かれたバスケットゴールに先に集まっていた雲雀と孔雀は驚いた顔は見せなかった。
「あれ? 藍炭は?」
「少し遅れるって。ちゃんと誘ったぞ」
「蘇芳、お前なかなかやるじゃん。藍炭が誘いに乗るとは思わなかった」
「お前なあ。そんなんで俺に振るなよな。……でも意外とすんなりだったぞ」
「へえ」
 そのやり取りで、夜鷹もその日初めてそこに加わるのだということが分かった。
「何でこのメンバーなの?」
 遅れてきた夜鷹が揃ってから、好奇心を押さえきれず尋ねた燕に、斑鳩は満面の笑みを浮かべて即答した。
「俺は気が合いそうなやつを見つけるのが得意なんだ」

 受験生なのに毎日のように出かけていく燕を見て、母親はむしろ安心しているように見える。昨日は、”憧憬”を探しに逗子マリーナまで行ってきた。平日だというのに、ヨットハーバーには沢山のヨットが出ていた。様々な色のマストが整列するように規則正しく海原へ出ていく様子はそのまま誰もが憧れる風景だった。それを見ながら燕は、四人に出会った一年前の春を思い出していたのだった。これから何度も見ることになる、”春の夢”を。

**********

少年は循環を探していた。嵐のあとの海辺を歩く。打ち上げられた海藻が浜に赤紫の抽象画を描く。流木。干からびたカシパンウニ。コウイカの殻。漂着物。海に駆け足で帰る蟹を猫が追いかける。虹が空に梯子をかけた。

**********

 嵐は夜のうちに通り過ぎた。
 燕は朝、まだ早いうちに家を出て海へ向かった。”循環”と”浜辺”は夜鷹から出されたお題だ。浜辺で循環と言ったらまず、繰り返し打ち寄せる波を思い浮かべるがそれでは面白くない。だから、嵐が来るのだというニュースを聞いた時、燕はしめたと思った。嵐の後の浜辺には、きっと面白いものが転がっているに違いない。
 コンクリートで舗装された国道から海を見下ろして、それが期待通りであることが分かった。昨日の夜は風の音がかなり激しかった。波も高かっただろう。いつもは流れつかないような大きな流木が浜辺に打ち上げられていた。
 赤茶色の海藻、ウニやコウイカの残骸、元の形が解らなくなった持ち主も知れない漂着物。浜辺には燕の他には誰も居ない。蟹でも追いかけているのか、一匹の野良猫が波際を走り回っていた。
 燕の足に何かが引っかかる。下を向くと、砂に埋まった流木だった。枝に、干からびた実までくっついている。その実を見て、燕はそれがコアの木だと分かった。昔、ポリネシアの人々が船を造るのに使った丈夫な木だ。流木に触れようとすると、雲の切れ間から光が射した。そして海に、うっすらと虹が架かった。
 燕は急いでカメラを取り出すと、コアの木と海に架かる虹を写真に収めた。
 海は、世界中を循環している。世界は繋がっているのだ。まだ行ったことのない、本で読んだ遠い世界を思い描いて燕は思った。
 確かに斑鳩の言ったように、本を読んでいるだけでは経験できないことはある。いつか世界中を旅して、本で見た世界に会いに行こう。

『迷い』-セアカノスリ

画像1

-----

この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,147件

#この街がすき

43,524件

鳥たちのために使わせていただきます。