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鳥たちのさがしもの 16

少年は機会を探していた。冬の朝。雑木林の小道。落葉が層をなす南の斜面に陽が降る。池の端で釣り人が白煙をくゆらす。カモが水面の波紋を引きずる。猫が獲物を狙っている。竿がしなった。肢体をひねらせ鱗が光る。

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-夜鷹のさがしもの・冬-

 いよいよだな。
 ここ数日、ずっと機会を伺っていた。ようやく計画実行できそうな日の朝、夜鷹は念のため鷲宮神社を訪れていた。万が一特別な行事があって、いつもと神社のスケジュールが違ったりしてはいけないと思ったからだ。
 本殿の様子を見てどうやらその心配はなさそうだと分かり、安心して本殿脇の階段を上る。雑木林の小道を歩き始めると、落ち葉の道に午前中の柔らかい陽射しが降り注いでいた。
 小さな池の端で煙草を加えながら釣り糸を垂れる人の姿が見えたが、はたしてこんなところで何かが釣れるのだろうか。カモがその様子を遠巻きに見ていた。夜鷹たちの心中など関係無いかのような穏やかな風景だった。
 表側から見る奥社の様子がいつもどおりであることを確かめて踵を返す。
 先程の釣り人の釣り竿がしなり、慌てて竿を握る手に力をこめるのを横目で見ながら階段を下った。
 釣り人が居る可能性があることは認識しておかなければならないだろう。
 そのことを報告しようと思ってスマートフォンのチャット画面を開き、燕が参加できなさそうなことを知った。
 残念だが仕方がない。
 今日は珍しく両親が共に家に居る。来週からアメリカなので、荷物をまとめているようだ。昼食を三人で摂るのがなんとなく気詰まりだった。早々に食べ終え、少し早めに家を出た。
「あ、夜鷹」
「雲雀、早いな」
「今日はあまり好きではない親戚のおじさんが来てるんだ。今出かけてるんだけど戻ってこないうちにと思って。夜鷹こそ早いな」
「似たようなものだ。今日は両親が揃って家に居る」
 その返答に笑う雲雀と連れ立って秘密基地へ向かった。いつもの通り小さなトンネルを抜けると、そこには……いつもどおりではない光景が広がっていた。

「イーグル!」
 雲雀が叫ぶ。眠っているのでないことはすぐに分かった。茶トラの毛にいつもは無い赤い斑点があった。
「誰が……どうして……」
 イーグルに駆け寄り、自分が汚れるのも構わずに抱き上げる雲雀とは反対に、夜鷹は周囲に視線を走らせた。赤い斑点は未だ鮮やかだった。そんなに時間は経っていない。
 イーグルの寝床がひっくり返されている。中に入れてあったものが、辺りに散乱していた。
「何だこれ!」
「どうしたんだよ」
 振り返ると、トンネルをくぐってきた斑鳩と孔雀が青い顔をして立っていた。
「俺たちも今来たばかりだ」
「おい。石がない!」
 斑鳩がひっくり返されているイーグルの寝床を指差して叫んだ。鷲宮神社の石は、紫色の布ごと大きめのジッパー付きビニル袋に入れて、イーグルのクッションの下に隠してあったが、確かに見当たらない。
「まさか石を盗んだ奴が戻ってきて……」
 孔雀が言いかけた時、がさがさと物音がした。反射的に目をやると、見覚えのある後ろ姿が雑木林の坂を上っていくのが見えた。あれは、朝見かけた釣り人だ。
「待て!」
 斑鳩が一番に走りだした。孔雀と夜鷹がすぐ後に続き、イーグルを抱いていた雲雀も一度イールグの身体を地面に横たえてから遅れて追いかけてきた。
 釣り人は鷲宮神社の奥社への道を真っ直ぐに進んでいる。あちら側から来たのだろう。トンネルの目隠しはどけられていなかった。
 とてもではないが追いつきそうにない。
 と、その時、突然大きな影が釣り人の前に現れた。正確に言うと、舞い降りた……ように見えた。
 音はしなかった。
「うわっ。なんだこれ!」
 釣り人は叫び声をあげ、後ろを振り返った。夜鷹たちと目が合う。前後を挟まれた釣り人は、舌打ちをして脇道にそれた。
 あの方向は……。
 声をかける暇もなかった。
 再び釣り人の悲鳴が響いた。今度は、長く尾を引くような悲鳴だった。段々とそれが小さくなっていく。
 あの方向は、崖だ。
 夜鷹たちは顔を見合わせた。雲雀も追いついて、今の悲鳴は……と呟く。皆、蒼白い顔をしていた。
 恐る恐る崖に近づき、下を見下ろした。しかし、そこには岩場に打ち付ける激しい波しか目に入らなかった。前日までの雨の名残で波が高い。そもそもこの高さからあの岩場に落ちたらとてもではないが助からないだろう。
 崖の淵に、石の入った袋が投げ出されていた。夜鷹は黙ってそれを拾う。
「どうするんだ?」
 斑鳩が掠れた声で尋ねたが、それに答えたのは雲雀だった。
「とりあえずイーグルのお墓を作ろう。他のことはそれからだ」
 秘密基地へ戻る途中で鷲宮神社の方を見たが、先程の黒い影はもう見当たらなかった。あれは鷲だろうか?
 雲雀は、イーグルの気に入っていた古いタオルにイーグルの身体を包むと、最初から場所は決まっていたというように迷いない足取りで再び坂を上りはじめた。他の三人は、タイムカプセルを埋めるために準備してあったショベルを手にして黙って後に従う。
「夏休みの間、よくここでイーグルと昼飯を食べたんだ」
 狗鷲の岩の横顔がよく見える場所へたどり着くと、雲雀はひと言ぽつりと言った。
 四人は黙ったまま、万が一野生の動物が掘り返しても届かないくらいの深い穴を掘り、イーグルの身体を横たえ、再び土をかぶせた。墓石のようなものは置かなかった。向かい側に在る狗鷲の岩が墓標だ。
「なんで……」
 イーグルの墓に向かって手を合わせると、雲雀が再びぽつりと言った。
「……石を、守ろうとしたんだよきっと」
 斑鳩が躊躇いがちに言うと、雲雀の目から大粒の涙が零れた。
「逃げればいいのに。馬鹿……」
「許せねえよな」
「……罰が当たったんだ」
 孔雀の言葉に、斑鳩がはっとしたように先程釣り人が落ちた崖の方を見た。
「あいつ、どうするんだ?」 
「放っておけよ。どうせもう死んでる」
 斑鳩は答えを求めるように夜鷹の顔を見たが、夜鷹も回答は持ち合わせていなかった。取り得る選択肢はいくつかある。しかし、どれが最適解かは決めかねていた。
「選択肢はいくつかある……」
 仕方なくそう答える。
「選択肢?」
「ひとつめは、石を持って鷲宮神社の本殿まで行き、すべてを正直に話す」
「あり得ねえ」
 斑鳩が即答し、孔雀と雲雀も頷いた。
「ふたつめは……予定通り石を奥社に戻し、すべてを俺たちだけの秘密にする」
 三人は互いに顔を見合わせ、斑鳩が、他には? と訊く。
「石は予定通り奥社に戻し、奥社側から人が海へ落ちるのを見たことにしてそれだけを大人に話す」
「何で奥社に行ったのか訊かれないか?」
「訊かれるだろうな。……ちなみに、あの男は、朝、奥社の近くの池で釣りをしていた」
「え? 夜鷹あの男を目撃してたのか」
「たまたまな。あの男が池に居たのが今日だけなのか、よくあそこへ行っていてここを見つけたのかは分からない」 
「……俺たちバラバラになるんだぞ。夜鷹は来週にはアメリカに行ってしまう。俺たちの秘密って……」
 孔雀が口を挟んだ。
 夜鷹も同じことを考えていた。秘密は、日に日に重くなるに違いない。ただでさえバラバラになることを気に病んでいるのだ。秘密の重さに耐えられるだろうか。
「燕は……燕には話すのか?」
 雲雀の言葉に、皆は黙った。
 燕に秘密にすることも、燕に同じ秘密を背負わせることも、同じくらい躊躇ためらわれた。
「どうすりゃいいんだよ……」
 絞り出すような斑鳩の声につられるようにして、夜鷹は最後の選択肢を口にしてしまった。
「全てを忘れる……と言う選択肢もある」
「はあ? それは秘密にするのとどう違うんだ?」
「俺の父はそういう研究をやっている。暗示で、人の記憶を封印するんだ」
「暗示? テレビでしか見たことねえ。あれ、やらせじゃないのか?」
「テレビのことは知らない。でも、父のやり方は知ってる」
「それをやれば、無かったことにできるのか?」
「表面上はな。事実はもちろん、変わらない」
「……忘れたい」
 そう言った雲雀の顔にはまだ涙の跡が残っていた。三人は雲雀の顔を見つめた。
「イーグルが死んでしまったなんて。しかも、石のせいで。もう、石を返すなんてどうでもいい。全部忘れたい」

 イーグルの存在やその日やろうとしていたことに引っ張られてどこまで忘れてしまうのか、それぞれの脳がどう整合性を取るのかは、夜鷹にも全く読めなかった。
 それを説明しても決定はくつがえらなかった。四人は黙々と秘密基地を片付け、トンネルの入り口をいつもより念入りに隠すと、駅への道を引き返し始めた。
 自分たちは夢を見ていた。そう言い聞かせた。『物語の欠片』という物語に影響されて、化身になり切る夢を見ていた。イーグルなんていう猫は居なかったし、石なんか見つけなかった。
 踏切は、結界だ。
 細い路地の先の、海に面した踏切。近づく音。遠ざかる音。音の洪水が通り過ぎると、舞台は暗転し、日常に引き戻される。
 さっきまであった出来事は、すべて夢物語だ。夢は、いずれ忘れてしまう。
 あの踏切を渡ったら、すべては夢になる。

**********

少年はフェンスを探していた。港の突堤を、猫が夕陽にむかってぶらついている。その背は太陽の残照を浴びて黄金に輝く。朱色に染まる波をからかうように、カモメが低く旋回している。サギが一羽、高く空に舞い上がった。

**********

「夜鷹。こんな所に居たのか」
 父親にそう声を掛けられた時、夜鷹はフェンスにもたれて海を見ていた。 すっかり日が暮れている。
 先程まで、港の突堤を猫が夕陽に向かってぶらついているのをぼんやり眺めていた。その背中が、太陽の残照を浴びて金色に輝いていた。その光はもう無い。
 猫……。
 何か、大切なものを忘れている気がした。
「父さん。どうしたの?」
「どうしたのじゃない。帰りが遅いから探しに来たんだ。ひとりか? 友達はどうした?」
「友達?」
「アメリカに発つ前にいつものメンバーで集まるんだって言っていただろう?」
「知らない。俺に、そんなに仲の良い友達は居ないよ」
「夜鷹? ……俺が分かるか?」
「何言ってるの? 父さんが分からないはずはないだろう? 記憶喪失でもあるまいし。研究のしすぎじゃない?」
「今日は何をしていた?」
「……ずっと、ここに居たよ。海を見てた」
「ひとりでか?」
「他に誰が居るの?」
 猫が……。猫が居た。それ以外には、誰も来なかった。
 父親はしばらく何か考え込んだ後、とりあえず家に帰ろうと言った。母さんも心配していると。
 不思議だった。両親が二人で夜鷹の心配をするなんて、これまで無かったことだ。アメリカ行きで、みんなナーバスになっているのかもしれない。
 暗闇の中から猫の啼き声がした。
 猫……。
 心に引っかかる何かを振り切るようにして、夜鷹は父の背中を追って家に帰った。来週からアメリカだ。新しい生活が始まる。 

『ふたたび空へ』-ヨタカ(夜鷹)

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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